石井ゆかり@筋トレのブログです。
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いい人。

ある人が「いい人」かどうか、というのは
一義的に決まっているわけではない。


Aさんから見てXさんが「いい人」であっても
Bさんから見れば「Xさんは、とことんだめな人」である場合もある。
これは、
XさんがAさんとBさんに対して別々の接し方をしている、裏表のある人
ということを、必ずしも、意味しない。
「いい人か、そうでないか」という評価は
あくまで関係性の中できまるので
当人に属性のようにくっついているわけではないのだ。


イニシアチブを取りたい人にとっては
そっとサポートしたり共感したりしてくれるのが「いい人」だし
だれかに丸投げしたいという思いがある人には
バリバリ率先して決めてくれるのが「いい人」だろう。
Xさんを
「穏やかで上品でとても素敵な人」と評する人もいれば
「センスの古い、消極的で退屈な人」と評する人もいるだろう。
自分に似た人が好きな人もいれば
自分に似た人を毛嫌いする人もいる。
Xさんがいい人かどうかを測る物差しは
AさんやBさんの性格そのものであって
実は、Xさん自体とは、
ほぼ、関係ない。



自分がどんな人か
という評価は
あくまで、他者と接したときの、関係性の中で決まる。
相手がリトマス紙だ。BTB溶液だ。
どういう色になるかは
試薬、つまりAさんやBさんのほうの都合である。
ジャガイモにもともと紫の素質があるのではなく
ヨウ素液がデンプンに入り込んで、紫になるのだ。
ジャガイモを加熱すると
ヨウ素が出ていって、紫色は消える。


だから、人との関わりの中でなにかあったとき
「反省」と称して自分を責めても
他の場ではその「反省」が
意味を持たないことも
けっこうあるんだろうと思う。


だれだって「いい人」だと思われたい。
ゆえに、目の前の相手が期待していそうな人になろうと
無意識に、がんばってしまう。
でも、だれにとっても「いい人」になるのは
たぶん、不可能だ。
常に目の前の人に「いい人」と言われよう
ということが人生の目標になってしまうと
とても辛い。
それはころころ変わるし
とてもついていけない。


自分の目に映る「その人」の姿も
自分というヨウ素液が入り込んで紫色に見えているだけで
その人自身が紫色なのではないかもしれない。
その人と自分とを比べて、何か考えたとしても
たぶん
それはきっと
自分の裏側と表側を比べてみているようなことに過ぎないのかもしれない。


自分が何かを素晴らしいと思ったとして
その「素晴らしさ」を測った物差しは
自分の一部だ。
自分が何かを嫌悪したとして
その嫌悪感は
自分の中にある物差しから出てきたのだ。
うらやましさも、劣等感も
比較対象となった「その人」とは
ほぼ
関係がない。


自分がどんな人間でありたいか
ということと
他人にどう思われたいか
ということを
くっつけてしまうのは
危険なんだろうな
と思った。


自分がどう生きていきたいか
ということは
もっと別の方向から考えていかないといけないんだろう。