石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

誰にでも


「誰にだってしんどい時、辛いときはあるよね」

それは誰でも頷くと思うが
その「しんどい時、辛いとき」の長さや中身の質感については
イメージするものがものすごく違うだろう。

1日2日で「しんどい時」が終わる場合もあれば
何年も「しんどい時」が続く場合もあって
これを言った人が
あるいは聞いた人が
どっちをイメージするかは、わからない。


何が起こったか
ということと
自分がどんな人間か
ということと
どんな経験をしてきたか
ということ
等々から
「しんどい時は誰にでもあるよね」

長さと内容のイメージが決まる。


誰にでもしんどい時、辛いときがある。
でも、
それを言われたときにイメージする長さや内容や強度は
人それぞれなんだろう。


だれにでもあることだけど
簡単には「わかるよ」って言えないことがあるのは
それ自体
人間という生き物の
とてもつらい部分だなあ、と思う。


とはいえ
これはあちこちで書いてることだけど(しつこい
どうしてそれがつらいのかというと
人間がそもそも
どうしても人にわかってもらいたい生き物で
人をわかりたい生き物でもあるから
なんだろう。


もしそもそも「わかってもらいたい」という気持ちがないなら
わかってもらえなくったって
つらくはないはずだ。


私たちの体には
音を出す器官や
表情を見て取る機能があらかじめそなわっている。
生まれた瞬間から誰かに世話をしてもらわないと死んでしまうし
誰かの体にさしこんだり
誰かの体の一部を容れたりする部分がついている。
名前だって自分ではつけない。
関係性を意味する苗字と、
自分以外の誰かにつけてもらった名前で
自分を表現する。


こんなにもわたしたちは
自分という個体で完結しない。
あくまで他者という存在に出会うことを
決定的な前提として生まれている。
なんでそんなことになってないといけないんだろう

ときどき、考え込んでしまう。
そういうシステムだからこそ
たくさんのひとがつらい思いをするのに。


(たぶんそういうことはもう
色々研究されているんだろうと思う。
私が不勉強で知らないだけなのだろう。)


人間を細胞に例えることは昔から普通にやられている。
細胞と細胞が壁や膜を割ってとけあうのは
ごく特別な場合だけだ。
分断されていなければ機能しないけど
一個だけでは死んでしまう。


分断されていて
でも
一人ではいられない。
それは
つらい。



そういう状態があるからこそ
この分断を大きくとりまとめて動かしてくれるなにかを
私たちの心は探さずにいられないんだろう。
星もまたその一つなんだろうな
と思っている。


だからもし
遠い遠い未来にいろいろなことがわかって
もうちゃんとみんなが分かりあえる
みたいな日が来れば
私たちは星を見上げなくなるのかもしれない

夢想したりする。