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石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

個性


大昔の医術の本を見ると
「多血質」とか「胆汁質」など
人をカテゴリに分ける考え方について書いてある。
こういう体質の人はこうするのが良いとか
この地域に住んでいる人はこういう体質になるとか
そういうことが書かれている。
あと
体質と、性質・気質が
強く関連づけられている。

そういう世界観というか、システムは
星占いの世界と密接に関わっている
というか
むしろ
全体としてひとつの世界観だ
と言っていいと思う。
医療の場でも、星は用いられた。


現代の病院では、
いろいろなパラメータの数値が、
正常の範囲内か、範囲外(異常)か
みたいな考え方がたぶん
基本なんだろうと思う。
病院で「あなたの体質は・・・」など
言われたことがない。
「この薬の効き方には個人差がありますよ」
くらいは言われるけど
じゃあ、自分が何タイプか、などという話にはならない。
生理痛なんかでも漢方薬局では
「あなたは○○タイプですね」
とか言われるけど
普通の内科や婦人科では
言われたことはない。


もっとも遺伝子の研究が進んだ未来には、
検査情報をぱっと見て
あなたはこういうタイプですね
みたいなことを言うところから
治療が始まったりするのかもしれない。
だとしたら
大昔の医療にちょっと戻るみたいで
とても面白い。



美容の世界とかでも
「キレイ」と言ったりする。
健康法でも
デトックス」「毒素」みたいな言葉が出てくる。
いろんな美しさがある
いろんな体質がある
ではなく
「キレイか、きたないか」
みたいな物差しは
こういう場でも結構一般的だ。
個性を持った美人になるのは難しいが
清潔にするならだれでもできる。
その証拠に
「キレイになろう」
というキャッチフレーズのついたポスターなどは
ほぼすっぴんか、
あまりデコレーションされていない感じの女性の姿がうつっている。
カタカナの「キレイ」は
「清潔」というイメージ
「よごれていない、きよらかな」
というイメージに近い。
美女になりたい
といったら「無理無理」といわれそうだが
汚れを落としてキヨラカになりたい
ならば
できないひとは、とりあえず、いない
ということになり
そのコピーで商品を売るパイががっと増える。
みにくいと、きたないは
もはや、セットなのである。
それを合わせた言葉が「キモイ」なのだろう。




人が元々いろんな性質を持っていて
その性質を生きているのだ
という昔の考え方は
あらかじめ色々なカテゴリが存在して
そのどこに入っているか
という発想なので
個性を大事にしている
みたいなこととは、ちょっとちがうだろう。


とはいえ
正常値か/異常値か
キレイか/キレイじゃないか
みたいな考え方も
個性に注目している発想ではない。


現代社会では
個性を大事にするのが良いことだ
とされているが
「生きづらさ」
というキーワードを目にしない日はない。
実際には
個性を探して個性が見つからず
苦しんでいる人も多いように思う。
人にどう思われるか気になる
誰にどう思われたらいいのか、もはや、わからない
という状態なのかなと思う。



本質的には個性とはちょっと違うけど
タイプ分け
に惹きつけられる。


医療以外の場なら
「あなたはどのタイプ?」
というようなテーマ設定は
大変人気がある。
私達は、
人間はいくつかのタイプに分けられるはずで
自分はそのうちのどのタイプに属するのか知りたい
という思いを
今でもちゃんと、持っている。
心理学でも、占いでも、ほかのことでも
「自分はどのタイプか」
ということが知りたいのだ。
自分は唯一無二の、
どんなカテゴリにも入らない個性を持っている
と考えるより
「同じ誰かがいるはずだ」
という思いの方が強いんだろうと思う。
多分それは、宇宙に関する研究のニュースで
地球型惑星!」
「人類に似た生物がいるかも!」
みたいなのにワクワクする
というのとも
つながっているのかもしれない。
宇宙に放り出されたたった一つの個性であるより
宇宙のシステムに受け取られた、宇宙の一部でありたい
という思いなのかもしれない。



って
何が言いたいのかというと
そんなにたいそうなことではなく
現代的な病院で語られることと
大昔の医術の世界で大事にされていたことの間には
むちゃくちゃな違いがあるなあ
と思った
ということだ。


体質や性質、風土や文化、気質。
医術の本でまず、そういうことがバリバリ語られていたのに
今は
人がどこに住もうが
どんな生活でどんな性格でどんな生き方をしていようが
病気は病気で
数値は数値で
正常値か異常値か、なんだなあ
という
そのギャップが面白かった。
人間の考え方や価値観というものが
これほど変わってしまった
ということが
面白かったのだ。


昔は科学が遅れていたので
そういう迷信的な世界観が信じられていたのです
といってしまえばそれまでだが
前述の通り
遺伝とか、遺伝にまつわる環境の条件とか
そんなものがこの先、もっと解明されたあかつきには
むしろ、
大昔のタイプ論にちょっと似た世界観が生まれたりして

妄想したのだった。


今は、病院関係で
「ドキドキしながら自分を知る」
のは、血液型の検査くらいだ。
(いや、いろんな検査結果を知らされるときは結構ドキドキするか・・・)
それに
血液型占い自体、今のところは
他の占い同様、科学的根拠はない
ということになっている。


でも
未来に、遺伝子の検査がもっとできるようになって
性格とかも結構わかっちゃうようになったら
病院にいくのと
占いをするのとが
気分的に似たようなものになるのかもしれない。


なんちゃって(ふ