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石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

熊本ツアーinRed・その3


その2のつづき、最終回。

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3日目、午後には新幹線で京都に戻らなければならない。
わずかな時間だが、貴重なオフである。
私は「観光しよう!」と心に決めていた。
で、
まず、
長崎次郎書店さんへ。


名前だけを見ると、長崎書店さんが本店で
次郎書店さんは「次郎」だけに「分家」みたいな感じもするが
そうではなく、こちらが元々のお店で、
長崎書店さんが、支店だったのだった。
長崎次郎書店さんは明治7年創業、
この建物は大正13年に建てられたものだという。
お店の前の路面電車のレールといい、
いまにも袴姿の「はいからさん」が飛び出してきそうな感じがする。
長崎書店さんに負けず劣らず魅力的な書棚で、
気がつけば山ほど抱えていた本を買って、
自宅に送ってもらい、
二階のカフェで珈琲を頂いた。
市電・新町電停の風情は時間が止まったようで
「おおおおお!観光している・・・・!」
という感動がわき上がった。


そして
ここから歩いて15分ほど、
みんなから「お勧めです!」と言いまくられた
橙書店さんへ。

ここが入り口で、階段を上がっていく。

すこしわかりにくいのだが
下のお店の壁画が目印になりそうだ。

地震のあとこちらに移転されたということで
熊本を応援する熊の絵がたくさん飾られていた。
http://mainichi.jp/articles/20160714/ddp/010/040/024000c
震災や移転に関するお話は、上のニュースに詳しい。


ハッキリした意思が感じられる書棚だった。
この書棚に本を並べた人は
売り手ではあるけれども、
ほぼ、自分自身の書棚を作るのと同じ気持ちで
このように並べたのだろう、
という気がした。
カフェでは一人のお客さんがランチをしていて
私が本を選ぶ間に、2,3人のお客さんが
出入りしていったようだ。
その気配を背中に感じながら
本を選んでいた。
で、
ざくざく本を買った。


熊本の人々はみなさん温かく、ユーモアに溢れ、
元気な様子をしていた。
けれど、しばらくお話を聞いていると
話題は自然に地震のことになった。
前震で恐怖を感じたものの
「このくらいならまあ、大丈夫だな」
と、ちいさな安堵をおぼえたところ
その直後の本震で、文字通り「心を折られた」。
どんなちいさな揺れも「前震」のように感じられる
これから大きなのが来るのでは、と身構えてしまう。
そう話した方もいた。


熊本の町も、一見すると何事もなかったかのように賑わっているのだが
よく見ると、深い傷痕がそこここにある。



熊本城の石垣。



こんなふうに、外壁がはがれ落ちている家がたくさんあった。


縦に大きくひびが入っている。



大丈夫そうな建物にも、
こんなふうに張り紙がしてある。
「建築関係の方々の話では、
まだ、全体の2割くらいしか、
修理や手当てが済んでいないんだそうです」
という話を耳にした。
「外から見て何ともなさそうでも、
中はもう、ぐちゃぐちゃ、という家やお店がたくさんあるんです」
と、和の國の茨木さんが思いを込めて話していた。
人々の表情と心の中の風景にも
それは、通じているのかもしれなかった。


熊本城を以前のように、中に入ってみることはできない。
修繕中で、入り口のすべてが立ち入り禁止になっている。
でも、夜にはちゃんと、天守がライトアップされ
町中から、その勇姿を見上げることができる。
熊本の人々にとって
熊本城というものがどんなに大切なものか
その、夜空にふわりと浮かぶ姿を見て
少しだけわかった気がした。
誇り、支え、憧れ、守り手、
そんなようなものを包括した「シンボル」なのだろう。
「シンボル」とは
「それそのものと同じように扱われるもの」である。
たとえばクリスチャンにとって
十字架やロザリオは、キリストと同じものだ。
御数珠や仏像は
仏様そのものと同じだとしか、感じられない。
だから、踏んづけたりできない。
もし壊してしまえば
ただ「ものが壊れた」というだけではない衝撃を感じざるを得ない。
恋人が暮れたペンダントと
全く同じペンダントが店に売られていても
両者は決して、同じ価値にはならない。



震災復興支援のための個展で、吉田さんは、
そのテーマに、陣羽織や武将の具足を選んだ。
戦い、強さ。
そこでは、キレイゴトでは済まない命のやりとりが行われる。
私たちの身体には血が流れている。
血は、生命力であり、強さであると同時に
死や暴力を連想させることもある。
にもかかわらず
戦の装束に「赤」が好まれたのは
恐怖に飲み込まれない力を誇示したかったからなのだろうか。
ゾンビがこわいのは
もう死なない
からだ。
すでに血まみれで死の覚悟を決めている人間は
怖ろしい。
殺しても死なないような感じがする。


きものに赤と黒という組み合わせを選んだ私もまた
無意識に「強くありたい」と思っていたのだろうか。
地震という
人間にはとてもじゃないが太刀打ちできないような大きな力を前にして
なんでもいいから、力が欲しい
したたかさでも、ずるさでも、へこたれなさでも、
なんでもいいから、強さがほしい
と感じていたのだろうか。


熊本の人々は、とてもあたたかく優しかった。
それは、強いからなのだろう、と思った。
これは何度も書いてきていることだけれど
強いということは
苦しまないとか、怖がらないとかいうことではない。
強さとは
どんなに苦悩しても恐怖しても最終的には、
苦悩や恐怖のせいで完全に停止してしまうことはない
ということだ。
苦しんだままで、怖がったままで
それでも動いていく
ということが
強い
ということなのだろう。


震災のあと、東北にも少しだけ足を運んだ。
あのときにも、東北の人々の強さを感じた。
熊本にはまたべつの強さがあった。
太陽みたいな「赤」の強さだ、
という気がした。


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熊本の皆様、熊本で私に構ってくださった皆様
本当にありがとうございました!!!