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石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

神意(メモ

昨日
真田丸」を久々に見て
真田幸村の名前をくじで決めるところが
とてもおもしろかった。
史実ではないそうだが。


壺に(自分に関係のある)文字を書いた紙をいっぱい入れてそこからひく
というのはまず、くじとしては普通の発想だと思うのだが
それを、自分のこどもに壺に入れさせて、
さらに、こどもにくじを引かせる
というのが
とても「占い・まじない」的に
素敵だなあと思ったのだ。


くじというのは
神意を問う
ということだ。
なので、意図があってはいけない。
自分でくじを引いてもよさそうなものだが
より神意に近いもののほうが、くじとして説得力がある。
自分の意思と神意は此岸と彼岸なわけだから
自分にちかければちかいほど、神意からは遠ざかる。
だから、自分以外の人が引くほうがいい。
でも、自分と全く関係ない人、となってしまうと
自分と天のつながりが消えてしまう。
だから、自分と一番かかわりがあって、かつ、
意図の入り込まない存在として
こども
が出てくるのだろう。


ふつうに考えたら、
たとえば神社に行って神主さんにたのむとか
お寺のお坊さんに頼む、などという方法もある。
実際、私たちはお正月に神社仏閣でおみくじをひく。
あれは、幸村がこどもにくじをてつだわせたのと同じで
神仏の言葉を聴くのを、
神主さんや巫女さんなどにてつだってもらっている
ということなのだと思う。


そこを「こどもにたのむ」というのは
幽閉されているという環境もあっただろうが
最も身近なところにも
ちゃんと「聖なるもの」を見出せる、というあたりが
「名将」っぽくて、とても説得力がある。
なぜなら
勝負は人間の意志だけでなく
天意の働くところによって決まる、
と思われていたからだ。
源平合戦那須与一のアレなどはまさにそうだ。
ゆえに
どこが天意でどこが人為なのか、を
ある程度区別できるのが名将、ということなんだろう。
だから、手立てのすくないところでくじをひこうとしたときも
適切な手順を考えられるわけだ。


何もかもを人間のコントロール下に置くことはできない。
コントロール下におけないことを手放せないと、
かえって痛い目を見ることになる。
でも、私たちはどうしてもそこまで達観できない。
できるだけカッコいい名前を付けたい、とか
どうしても、考えてしまう。
文化的には、自分の名前は自分以外の人間が付ける。
ペンネームでもハンドルネームでも
今では普通に自分で自分の名前を付けるけど
もともとは、
自分で自分の名前を付ける、というのは
けっこうロックなことなんだと思う。



こどもに神意を問わせる
神様に使いさせる
というのは、
お祭りなんかでも結構見られる。
たとえば、祇園祭なんかがそうだろう。
成人儀礼的な意味を持つお祭りではこどもが主役になるが
そういうことではなく、
こどもという「意図的でない、でも、社会の一部」である存在に
神様の意志を聴いてこさせる
ということがある。
社会的に一番新参で地位の低い存在=こどもが
祇園祭では、
鉾の一番高いところに上り、もっとも重要な役目を果たす。
ここでは、社会的立場が
上下、転倒している。
ひっくりかえっているのだ。
日常と非日常、
現世と神様の世界。
現世のルールをひっくり返すと
神様と対話ができる、というイメージが
そこにあるんだろう。


更にこの件でとても面白かったのは
名前というのは普通
親から子につけるものだ、ということだ。
本来なら親から子につけるものを
子から親につけさせている。
ここでも
立場の転倒が起こっている。
「現世」の観点で行けば親の方が「上」だが
神様の世界やあの世ということに近づこうとすると
こどものほうがずっと、そちらの世界に近い
ということなのか。


わたしたちは、自分自身もこどもだったことがある。
なのに、こどものなかに神意を見出す。
それは、わたしたちが大人になればこどもだったことを忘れてしまう
ということなのか。
こどもはまだ半分「あの世」に属している存在とみなされる
ということを何かで読んだ。
昔は今よりもずっと、
こどもがおさないときにたくさん死んだので
そう考えられたのは不思議ではない。


天界、神様の世界、人間には知りようのない世界。
生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされて
私たちはそういう世界に問いかけずにいられない。
くじ、おみくじ、占いというのは
人知を超えたものに対する「問いかけ」の手続きだ。
天と自分とをむすぶよすがとして
こどもという存在が見出されるのは
とても興味深い。
こどもは、なによりも自分にかかわりがある。
でも、思い通りになるわけでも
完全に理解できるわけでもない。
こどもとは、思えば、本当に不思議な存在だ。
わたしにはこどもはいないので
実感としてはわからないけど
人間にとって、とても不思議な存在だなあと思う。
こどもがうまれる、ということは
いかにも神秘的だ。
自分から何かが分離して
自分のかけらを残し持ったまま
別のものになっていくとは。


「自分に関係がある」ものと
「人為・人の意図とかかわりのないもの」とを
上手に組み合わせて、くじが生まれる。
その手続きを厳密に考えて
ただ一回だけやる時
私たちはそこに「神様の言葉がおりてきた」と考える。
「偶然」と「必然」の交差点が生まれる。


たぶんいろんな儀式やしきたり、神事があって
そのなかの一般的なルールから導き出しただけ
なのかもしれないけど
あの「くじ」のシンプルで、でも複雑な手続きは
私には、とても感動的だった。



以上
この件は
本棚にある本をちょっと調べればいろいろ出てきそう
と思ったのだが
今ちょっと疲れて久々に休みなので
備忘録的にここに書いておく。


いや、もう専門家の人々がすでに色々コメントしてるのかも。