石井ゆかり@筋トレのブログです。
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石巻に行ってきた。その1


7月23日、今年も石巻の一箱古本市に参加してきた。
これで4回目だ。
朝10時集合で11時スタートなので、
前の晩に石巻入りする必要がある。
飛行機で仙台空港に降り立ち、
いつものように、ここから閖上日和山へ。




あれ・・・?
何か建っている!


以下は去年の、同じ方角の写真。




寄ってみると・・・


調べてみたら、
震災で全壊した相馬の水産会社「いちまる水産」の工場だった。
http://mainichi.jp/articles/20160222/k00/00m/040/101000c

「相馬で再開したい」との思いは募るが、古里は原発事故の影響が残る。
福島県沿岸部は試験操業しかできず、漁獲量は震災前の1割未満。風評被害も根強い。14年夏、顔見知りだった名取市の同業者から加工団地への進出を打診され、心が揺れた。被災地の原材料を一定量使う条件で、建設費は8分の7が助成される。「操業が本格的に再開すれば、相馬の魚も運び込める」と苦渋の決断をした。」


以下は、閖上に初めて行ったときのこと。
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20111124/p1
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20111124/p2


そして、その後毎年訪れた。
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20120728/p1
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20130206/p1
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20140727/p1
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20150801/p1



石巻は4度目だけど、仙台アエルでのイベントや「おとのわ」などで
閖上にくるのは、6度目になる。
毎回、タクシーを利用するのは
運転手さんが必ず、話をしてくれるからだ。
これまでは、震災のとき何をしていたかとか、
被害がどれほどひどかったか、
どんな支援があったか、などというお話が多かった。


でも、今回はちょっと違った。
今回は
「被災地を見て回りたいという人々を案内した話」
であった。
九州から来た学校の先生が、子供たちに震災を伝えるために学びたいので、
どういうところにいって何を見たらいいかと相談してきた話。
一方、「被災地ツアー」に来て、
すでにまったく瓦礫が残っていないのを見て
「なにもなくて、つまらない」と言った人がいる、という話。
陸のど真ん中に転がっていた船を片付けたら
まったく旅行客が来なくなってしまった、という話。
石巻のホテルのフロントにも
地元のタクシー会社が
「被災地ガイド」をしてくれる、という案内があった。



震災直後は、ジャーナリストでも無い限り
被災地を「見に行く」なんて、不謹慎なのではないか
という気分があった。
でも、いまとなっては、
瓦礫が片付けられ、方々で工事が始まり、建物が建って
どこがどう被災したのかも解らなくなりはじめる中
「どうしたら忘れ去らせずにすむか」
ということも
難しい課題になり始めているのだろう。


5年間眺めてきたこの光景に工場が建ったのをみて
不思議な衝撃を感じた。
「場所」が生き生きと息を吹き返しつつあることに喜びを感じる、
が、同時に
これで、ここが住宅街だったことがほんとうに
わからなくなってしまう、と思ったからかもしれない。
最初にここを案内してくれた荒川君の目の中にある「元の景色」の中では
どう映るのだろう、と思ったからかもしれない。


この場所に戻ってもう一度住みたい、と思っている人は
元の住民の三割くらいらしい、と運転手さんは言った。


古本市に来てくださった方が
仙台にもある「日本一低い山・日和山」の話をして下さった。
ここも津波の被害に遭った場所だが、
標高3メートルしかない山に、
毎年大勢集まって本気で「山開き」のイベントをしている、というのだ。
わずか数歩でのぼれる山に、本気の登山の勢いでのぼる。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201507/20150704_13029.html
なぜそんなことをするのだろう、と思った。
「その山を、とても大事にしてらっしゃるんですね」
と言ったら、
「そうです」
と、重みのある声で、答えが返ってきた。
その山のあるあたりは閖上と同じように、すべて建物もみんなさらわれてしまって
何も残っていないのだった。
唯一、その山だけが、「その場所、土地、地域」のランドマークなのだ。
低さで、とはいえなにしろ「日本一」なのだ。
そこを「その場所」として定義してくれるのが
その山なのだ。

津波のお陰で日本一に返り咲いた"日和山" #BLOGOS
http://blogos.com/outline/166526/


あたりまえのことなのだが
私たちは「場所」を記憶するのに
建物や、地形などを利用するしかない。
たとえば、完全な砂漠の中にいたら
そこを特定の場所だと認識することが出来ないだろう。
砂漠はどこをとっても砂漠だ。
オアシスのようなものがあってはじめて、
その場所に名前をつけたり覚えたり出来る。
たった一本の木でもいい、岩でもいい、
何か動かないもの、特徴のあるものがあってはじめて、
そこが名前を持つ、特定の場所となりうる。


たとえば、
私という人間からあらゆる記憶が失われ、
年老いて姿も一変し、
性質も大きく変わってしまったら
知人が私を「石井ゆかりだ」と認識する手だては
まったくなくなってしまうだろう。
そこでもし、
私が一冊でも「自分が書いた本」を持っていて
それを自分が書いたのだということだけをわずかに、認識していたとしたら
そこではじめて、その知人は
私が私だということを「感じる」ことができるだろう。
それまでは、私が誰なのか、ぜんぜんわからないだろう。
たぶん
「土地」や「場所」も
そういうものなのだ。



建物も何もなくなってしまった場所では
その山がどんなに低くても
とてもとても大切な、その場所の「名前そのもの」のようなものなのだ。
その山があるお陰で
そこが「知っている場所」だと思えるのだ。
何もなくなった場所は、
極端な話、「場所」であることまで、やめてしまう。
私たちの頭の中にある座標は
つねに、なんらかの「意味ある原点」を必要とするのだ。
そのかけがえのない「原点」が、
その山なのだ。