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石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

えらぶ


東日本大震災の時は、
まだツイッターが流行りだしてまもない頃で、
このブログを読んで下さっている読者の中にも
ネットに流れている情報を
よく見ている人と、あまり見ていない人に大きく分かれていた。

毎日「メモ」として
ここで、震災関連情報のURLをご紹介していた。



このほど九州で大災害が起きて、
あのときの「メモ」を
けっこう便利だと使って下さった方がいらしたのを思い出して
再挑戦してみた。
しかし、やってみて、
2011年と、あれから5年が過ぎた今とでは
ネットの雰囲気や状況が大きく変わったことに気づいた。


上手く言えないが
なんというか
あのころは、抽出が難しいくらい
情報の流量があって、玉石混淆度合いが激しかったのだ。
でも今は
あの頃ほどの量も、混沌とした感じも無い。
敢えて私なんかがピックアップしなくても
自然に情報に接触できるようになってるなあ
と感じた。
つまり
ああいう「メモ」も
5年前みたいな意味があるとは
思えなくなった。
5年の中で、インターネットの使われ方も変わったんだと思う。


なので
また何か見つけたら
ご紹介するかもしれないが
ひとまず、一段落させた。


読んでくださった皆様、
ありがとうございました!

      • -

(以下は
上のこととはぜんぜん関係ないのだが
さっき皿を洗いながら考えていたこと。)


大きな決断をすると
いや
ほんのちいさな決断であっても
自分で何かを決めてしまうと
「これでほんとうによかったのかな」
「他に、もっといい選択肢があったのではないかな」

何度も何度も考えてしまう。


疲れてきたり、
辛くなってきたりすると特に
本当にこっちの道でよかったのかな?
という疑いが
深くなる。


そういうときに
「他の選択肢が
自分の現状という条件も含めて
果たして『あり得た』のかな」
と細かく考えていくと
やっぱり
他の選択肢を選ぶというセンは「ありえなかった」ことに気づかされる。


人間が、
「自分の力だけで選んだり行動したりしている」
と思い込んでいることのうち
ほんとにほんとに自分だけでやったことなど
ほとんどない
というのが
浄土宗などでいう
「他力」
という教えなんだろうなと思っている。


自分で何かを決断して
その決断の世界に入っていったとき
この考え方は
限りなく
力になる。


例えば今、目が見えて耳が聞こえているのだって
自分が頑張ったお陰でそうなってるのではなく
単に運が良かっただけだ。
自分自身の感情や能力を
完全に意志でコントロール出来る人間などいない。
もとい
この世のどこかには、いるかもしれないが
少なくとも、私はそうではない。
完全にコントロール出来ないなら
それは
完全に自由な意志、ではない。
私には
完全に自分の自由意志で選べた「他の道」など、なかった。


そう思うと
少し安心して
目の前のことを引き受けていける気がする。