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石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

ひるがえる

「相手の身になって考えなさい」
というのはよく言われるが
「これがもし、他人事だったら、どう思うだろう」
って考えるのも
かなり役に立つ。





「相手の身になって考える」
ことは大事だけど
「相手の身になって考えたつもりになりすぎる」
のは、よくないこともある。


「これは私の問題ではない、相手の問題だ」
というフレーズは
ときどき、役に立つ。
人のせいにする、ということではなく
たとえば誰かが苛立っているとき
すぐに
「自分のせいかも」
と思ってしまうか、
「家で嫌なことでもあったのかな?」
「体調悪いのかな?」
と思うかでは
相手への接し方もすごくちがう。
もちろん、
自分のせいである可能性もあるだろうが
とにかくなにかあればあたまから
何でもかんでも自分の問題だと思ってしまうのは
たとえば幼い子供が、親の離婚を自分が悪い子だったせいだと考えてしまうのと同じで
幼い発想なのだろう。


なんにでも「巻き込まれて」しまうと
全体が柱を失って
倒れる
こともある。





「だれのせいか」みたいな
感情の上での善悪や解釈、意味づけから離れたときに
「さっと身をひるがえす」
「とりあえずぱっと変える」
みたいなことが可能になる、ことがある。


これがもし、自分の身の回りのことじゃなくて
ニュースで見るような
全く知らない人におこった出来事だったら
どう見えるだろう
って考えると
自分の心の重力から少しだけ自由になれる。


私たちは
「感情に支配された自分」を
「自分」だとは思っていないらしい。
一番冷静でフラットで
物事を論理的に考えられる状態の自分をこそ
「自分」だと思っている。
感情に振り回されているようなときの自分や
酔っぱらった時の自分は
「本当の自分じゃない」
と感じている。


「これがもし、
ニュースで見るような遠い場所の出来事だったら
どうだろう」
って考えるのは
自分が「これが自分だ」と思える自分の状態に
ちょっと近づくことなのかもしれない。




ダメ出ししたり、
「これはよくないことだ」
みたいな定義をしなくても
ただ単に、ぱっと方向転換する
単純に違うやり方にしてみる
というのは
できる。


さっと身をひるがえす
みたいに
意味付けや解釈をしないでも
上下とか優劣とかを決めないでも
ただすらっと変える
ということが
ありうる。


それは
一番感情が揺れていない自分
になれたときに
可能になることなんじゃないかな
と思った。


感情に支配されているとき
感情をおさめるのは難しいけど
「こんな気持ちじゃいけないんだ」
みたいなダメだしもまた
必要ではないんだろう。


「そういう感情になることもある」
みたいに
自分の感情から少し離れてみているもう一人の自分を作り出して
そこから
もうひとつの案を出す
みたいなことができれば
いいんだろうなと思う。



大人になるって
そういうことも
あるのかも

思った。




以上
この記事を偶然読んで、思ったこと。
http://www.lab.toho-u.ac.jp/med/omori/mentalhealth/mental/about_stress/expression_recurrence.html