石井ゆかり@筋トレのブログです。
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春夏秋冬


色とりどり。

小樽に行ったときに撮った、
朝里川越しの景色。
とてもかわいい。



こないだ出た『後ろ歩きにすすむ旅』のもとになった
雑誌『開運帖』連載では、
毎回二枚くらいずつ写真を載せて頂いてたのだが
全部白黒だったので
こういう写真は使えなかった。


雪が降るとどんな景色になるのだろう。
色が映えて、
もっとかわいくなるのかもしれない。


春夏秋冬の風景の変化は
そこに住んでみないと実感できない。
旅行では、ほんの一瞬を切り取れるだけだ。
その場所の春夏秋冬をすべて経験するということは
よく考えると
とても贅沢なことのようにも思える。


なぜなら
ある場所に住む、ということは
その場所に人生のなにがしかを「賭ける」みたいなことだ
と思うからだ。
引越をするときに、それがしみじみ思われる。
引っ越し先をすべて知り尽くして引っ越す
ということは、
実際的には、不可能だ。
解らない部分をたくさんのこした状態で
「えいや!」と
思い切って、
賭けに出るように、移り住む。
一度住んでしまうと
すくなくともしばらくは
否応なく、そこに住まなければならない。
たとえ不都合や不具合、トラブルなどがあっても
すくなくともしばらくはガマンしなければならない。
逆に
望外に嬉しいことやおもしろいことが起こる、場合もある。
「ここに来てよかった!」
と思えるような
住んでみなければ解らない長所が見つかることもある。


旅行に出たときは
「ここに住んだらどんな感じなんだろう」
と想像しながら歩くのが好きだ。
商店街とかスーパーを見ると
「そうか、ここにくればいいんだな」とか思うし
日々の散歩コースを考えながら歩いていたりする。
だから、名所旧跡よりも、
住宅街みたいな所に足が向かってしまう。
みんなが写真を撮ることが前提となっている名所旧跡とはちがい
住宅街ではほぼ、写真撮影ができないので
結果
私の旅ではあまり
写真がのこらない。
怪しいやつと思われたくないので
立ち止まることも、あまりしない。
ただただ、歩く速さでゆるゆると通り過ぎていく。



旅に行っても
旅人は「外」からその場所を眺めるしかない。
住むということは
その場所の「中」に入る、ということなんだろう。


住むこともそうだが
仕事でも恋愛でも結婚でも出産でも介護でも
そのほか諸々、人生の転機というのは
ある世界の「中に入る」ような営為だ
と考えることもできる。
「中」に入るのは
一種の賭けだ。
入ったら
簡単には出られないからだ。


負けるだろうなと思って賭ける人はいない(ふつうは)。
みんな、勝ちたい、勝てるはずだ、と思って、賭ける。
でも、賭けるときには
リスクを計算したり、リスクを引き受けたり、
負けたときは負けを認めて引いたり、などなど
マイナスになったときにこそ
人間の才覚が問われる。
賭けて勝ったときは
運が良かっただけなので
たいしてやることもない。
勝ちたいと思い、勝てるだろうと思うからやるのに
「賭け」全体を通して必要になる主体的人間活動はなにかといえば
「負けに対処・対応する」ことが大部分
だなんて
因果なことだ。


人は生まれた瞬間から老い始めて
いつか死に至る。
このことだけを見ると
時間は不可逆で、まったく直線的だ。
でも、人間は、
「巡る時間」というものを考え出した。
繰り返される春夏秋冬は
生まれてから育っていってやがて死ぬけれど
春になるとまた「甦る」「再生する」時間である。
ぐるぐる回る時間は、生まれては死に、また生まれる。
時間の生と死が、人生の中でぐるぐる回っていく。
「ぐるぐる回って、何度ももとどおり、よみがえる」時間
があるからこそ
私たちは危険な「賭け」に出ようと思えるのかもしれない。