石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

話しかける


近所の古い家が取り壊されて
結構広い土地になったので
何が建つのかなと、気になった。




勇気を出して
現場で作業をしていたおじさんに
「ここ、何が建つんですか?」
と聞いてみると
「いや、なにもないんだよね、
しばらくはこのまま、空き地だよ」
と、ごくナチュラルな、しんせつな返事がもらえた。


そうか
このおじさんは
このへんの住民ときっと何回も
似たようなやりとりをしてるんだろうな・・・
と気がついた。


そういえば私は
知らない人に話しかけるのは
けっこう得意(?)だったのだ。
友達と一緒にでかける、とかがほとんどなく、
外にいるときはほぼ単独行動なので
何か知りたければ、
その辺にいる知らない人に話しかけるしかない。
といっても、
用もないのに雑談したりするような高度なワザはない。
あくまで、道を聞きたいとか、
何か騒ぎになっていることの状況把握をしたいとか
そういう、用件がハッキリしているときに限ってだが
人に話しかけるのは、
それほどストレスではなかったのだ。


が、しかし
このとき、おじさんにはなしかけてみてわかったのだが
私は、以前よりずっと、
知らない人に話しかけるのに、
勇気が要るようになっていたのだった。
おばさんになった分、
そういうことがラクにできるようになるのかな
とおもっていたが
どうも、ちがった。
というか
知らない人に話しかけるのがものすごくひさしぶりだ!
という気がした。
それでなくとも京都は観光都市で
道を聞かれたりすることは多い場所なのだが。。



こないだ
いつも行くパン屋さんで
レジのおばさんとお客のおじさんが話をしているのが耳に入った。


「・・・すみませんねえ、パンを作るのはけっこう、
時間かかるんですよ、粉をこねて、寝かして、
それから形を作って焼くんでね、、、
どうしても、朝早くからになっちゃうんですよね」


「そうかあ、パンつくるのも時間がかかるんだなあ、
あ、千七百いくら?」


どうも
近所のおじさんが、
朝早くから音がする事情を聞きに来たらしい。
半ばクレームととられかねない話だが
おじさんはあくまでおだやかに、
世間話のように話をして
大量にパンを買っていた。
ここのパンは結構安いので
千五百円以上も買うなんて
相当たくさんである。
気を遣ったのだろう。


メディアを介したりすることなく
その場所に行って、
その辺にいる人に、
限りなく一次情報に近い情報をもらう。
あるいは、交渉したり、問題解決の道を探ったりする。
ややこしく書くとそういうことになると思うのだが
そういうことのハードルは
どんどん、高くなっていくのだろう。
互いに警戒しあい、「気をつけ」あって、
変なツッコミを受けないように生きなければならない。
怪しまれないようにしなければならないし
他人は怪しいと思わなければならない。


昔は牧歌的でよかった
みたいなことを言いたいわけではないのだが
ドラクエ(ゲーム。)をやっていて
町の人に片っ端からはなしかけても
頭ごなしに
「うるさい!おまえ、怪しいやつだな!」
とか言われたりしないのは
実に安心だ。
もしかすると
「だれかれ構わず話しかけてみたい」
という隠れた願望を
あのゲームは
すくいあげてくれているのだろうか。


っていうか
ドラクエの主人公はいったい
なんて言って話しかけている前提なのだろうか。。。。



民俗学宮本常一の本などを読んでいると
いろんな場所に話や資料を集めに行くときも
たいていは土地の人に伝手があって、
渡りをつけてもらって話を聞きに行っている。
地域のコミュニティがあったときだからそういうことになったのだろう。
「場所」という面のどこかに、線をつなげる、というイメージだ。
今ならば、「その人」に話を聞くには
「人」のダイレクトな知り合いを探して
点と点を線で結ぶ感じでつなげていかないといけないんだろう。


「ちゃんと知り合いから伝手を辿って渡りをつけないと、
次の町に行っても、必要な情報をもらえない」
「根回しをしないと教えてもらえない」
みたいなゲームもあるのだろうか。。。




学生時代には
進学やクラス替えなどがあるとかならず
大した用もないのに知らない人に話しかける
ということを、「だれかが」しないといけなかった。
半ば強制的にそういうシステムだったわけで
あれはあれで問題があるのかもしれない。
あんなシステムは
大人になってからは、ほぼ、ない。
たとえば、新しい職場に入っても
みんな「用事があって」話しかける。
用もないのに、ただ仲良くなるためだけに話しかける
というのがどうしても必要になるのは
お見合いとか、恋愛の最初とか
そういうところくらいだ。
それ以外の場では
「やりたい人だけがやればいい」
ことになっている。
そしておそらく
「やりたい人」は
減ってるんだろうなと思う。



ステマチックに強制されるのはいただけないが
だしぬけにその場所に行って、
そこから物語が始まっていく
みたいなことには
夢がある。
予定調和を破る出会いは
そういうところからしか生まれない。
クリナメン」みたいなアレだ。
すべての粒がまっすぐに進んでいるだけならなにもおこらないが
そのなかの1つの粒がふと、「曲がる」ことで
他の粒とぶつかって、出会って、そこではじめて、
なにかが起こりうる。
世の中がどんどん変わっていても
ちょっとだけでも
そういう余地が残っているといいな、と
思ったりする。