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石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

音博に行ってきた。


京都音楽博覧会2015にいってきた。
一昨年も行ったので、これで二度目。



といっても、仕事がちゃんとおわらなくて
入れたのは4時頃。
八代亜紀さんの回がすでにはじまっていた(汗


会場は完全に八代亜紀さんの世界になっており
入るとすぐに、完全に持っていかれた。


「持っていかれる」というのは、私の場合
たくさん人がいる場所に居るという緊張感や居心地の悪さ、
自分がどうやってここにいればいいんだろうという戸惑いなどが
意識の表面から吹き飛ばされて、
もうなにも悩まなくてよくなる
という状態を指す。
会場に足を踏み入れて、立ち位置を探し、
そこに立って彼女の青いキラキラするドレスを見た瞬間、そうなった。
すごい。


さらに
なんだかわからないけど涙が出る。
なんでこんなに歌が上手い人がいるんだろう。


「夜のアルバム」には仕事中ずいぶんお世話になっており、
かねてから一度是非ナマで聴いてみたいと思っていたので、もう大感激!なのは当たり前なのだが
なにか、想像を遙かに超えるものがあった。
エンターテイナーって、こういうことなのか、と思った。
三十分が一瞬で過ぎ去った。


その次のアントニオ・ロウレイロはピアノ一本。
芸術の上での「叙情的」っていうのは
ほんとうはこういうことなんだろう
と思った。
言葉で説明できるようなことなら音楽にする理由はない。
音楽でしかできない「叙述」がここにある、と思った。



で、最後、くるり



「辛い思い出」には、二種類ある。
「辛いけど、イヤではない、時々思い出したい思い出」と
「辛くて、イヤで、思い出したくない思い出」とだ。
先のアントニオのときも若干そうだったのだが
くるりの演奏の最中、
この、前者をやたらに思い出した。
辛いけれど、イヤではない思い出を
たくさん思い出した。
涙が出た(ようするに、この日は泣いてばかりいた)。


たとえば
本当の希望というのは
カンペキに絶望したところにしか生えないちいさな芽みたいなものだ

私はかねがね思っているのだが
くるりのこの日の演奏は
そういう意味での「希望」を
指さしているような感じがして、息をのんだ。


いや
楽しそうだったんだけど
楽しそうな中にある
痛烈さみたいなものが
しばらく身体の中に残った。





帰り道、
京都タワーが見えて
私はこれまでなんどもこの建物を見てきたけど
はじめて「きれいだな」と思っている自分に気がついた。




木工用ボンドとかマヨネーズとかお灯明とかではない。
これは「灯台」だ。
瓦屋根の波頭に突き出た、
「救いの天球」なのだ。


救いの天球
とは
ミシュレの「海」の中に出てくるフレーズだ。
船乗りたちが星をたよりに航海していた時代の
もう一つの、地上の星のことだ。