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石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!


「適性」「すきなこと、やりたいこと」「特技」
「だれでも一つくらい得意なことがあるだろう」
みたいな表現はどうも
おおきすぎる感じがするのだが
その点
「性(しょう)に合う」という表現は
ほどよい軽さでイイ。
私が子どもの頃
近所のおばさんなどがよく使っていた。
「あたしは、これが性にあってんのよ」
みたいに。
「どうもね、性に合わなかったのよね」
みたいな感じにも使っていた。




なにかが性に合うか、合わないかは
それを実際にやってみないとわからない。
だから
性に合う、合わない
ということは
人生の1つの大事な経験なんだろう。
そこには、優劣も、正解・不正解も、
イイも悪いも、理屈もなにもない。
個人の心の納得だけがある。
続いていく現実的な生活だけがある。


「適性」も、「性」が「適している」ということだが、
これはたぶん、たとえば仕事で言うなら
「人が、ある仕事に適しているかどうか」ということなんだろう。
「性に合う」というのは
「自分の性分に、その仕事が、合うかどうか」
なので、
主役は「人」なのだ。
「オレにはその仕事への適性がない」
のではなく
「その仕事が、俺様の性分に合っていない」
というイメージで
なんとなく
主体・客体が逆なのだ。
「適性がない」だと自分が悪いみたいだけど
「性に合わない」だと、まあ、悪いのは自分ではない。
そこも「イイ感じ」の理由なのかもしれない。




もしかすると
「性に合う・合わない」
という表現をよく耳にしたのは
それだけ
「最初に選べない」
状況が多かったからかもしれない。
職業や住処、結婚相手など
昔はいまよりずっと「他人にあらかじめ決められてしまう」感じがあったはずだ。
もしくは、「たくさんの選択肢から選ぶ」のではなく
「たったひとつ目の前に置かれた選択肢をイエス/ノーで選ぶ」
みたいな感じだったかもしれない。
勤め先を紹介してもらうとか
お見合い写真を渡されるとかは
そういうイメージだ。
たくさんある中から選ぶんじゃなくて
たった一つを前にしてイエスかノーかを言う。
で、イエスと言ったものが
「性に合うか、合わないか」
という結果に結びついていくわけだ。



とはいえ
今でももちろん、たくさんの制約がある。
「何でも完全に自由意志で決められる」
などとは、とても言えない。
しかし
それでもとりあえず
「選べる自由」「選んだ自分」
というものがある、ということになっている。
「自己責任」みたいな言葉も
そういうところに根っこがあるのかもしれない。
「親の決めた相手と仕方なく結婚したが
婚家が性に合わなかった(のでおん出てきた)」
みたいなことは、
少なくとも、マジョリティではない。
選んでない状態で「とりあえずやってみる」ことが
「性に合う・合わない」という結論に
自然に結びついていく、ということならば、
現代的には
「性に合う・合わない」
という感覚は
たしかに、生まれにくいかもしれない。
「あらかじめ適性を考えて選びなさい。それが責任だ」
みたいになってしまう。


「選べると、出会えない」
ということを
以前ここでも書いたような気がするが
選ばないで、出会わされてしまうと
「性に合う・合わない」
がわかる
ということなんだろう。
もちろん
「性に合わない」状況から簡単に抜け出せない場合は悲劇だ。
そしてそういうパターンも多い。
だから私たちは出会いや選択を前にして緊張するし
選択の結果の悲劇を恐れる。
それで、選ぶことも出来なくなってしまう場合さえある。
性に合わない生活、
性に合わない相手、集団、
性に合わないルーティンワーク。
これは、とても辛い。
選べないものが性に合わないこともある。
学校とか、生まれた環境とか。
本当に辛い。




たぶん、
性に合わないところから抜け出せない状況だったとしても
「これは、自分の性に合わないなあ」
とわかっているだけでも
ずいぶん違うかもしれない。
「性に合わない」
と思えない場合
「自分の努力が足りない」「自分が悪い」
などと考えて
辛さの量が増すからだ。
「性に合わない」なら
自他を責める必要は無い。
その分、辛さの量がわずかに減る。


たとえ自由に選んだとしても
「性に合う・合わない」
は、ある。はずだ。
「好きで選んだが性に合わない」
は、ある。



今の生活が
自分の「性に合ってる」のかどうか
自覚的には、あまりよくわからないが
少なくとも自分は
「性に合わないな」
と思ったら
「しかし、それは逃げだろうか?」などと迷うことはほとんどなく
ぱっとやめてしまうほうのような気がする。
もちろん、やめられない場合もあるが。


とにかく、最終的には
「私は(合理的・一般的ではないかもしれないけど)こうやってんのが
性にあってんのよね」
と思いながら暮らしているばあさんになりたい

願っている。