石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

満月


昨日の満月。20時過ぎ。



こちらは、一昨日の夕方の月。


低い空の月は
太陽と同じで
赤みを帯びて、黄金に光る。
天高く登ると、銀色になる。


おりしも「過去を振り返ってまとめる」みたいな仕事をしていた。




そういや今日も
自分にとっての「バイブル」みたいなものを
引っ張り出す作業が発生している。


満月とか、新月とか、ちょっと頭の隅っこにあると
こういう「イメージの重なり」に、ささやかに感動する。
時間と自分が連動してるみたいな気がして、うれしい。

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星占い(というか、科学)の歴史は、人間にとって
「世界の中心にいたはずなのに、その中心から追いやられる」
「神様に選ばれた特別な存在から、
偶然すみっこにできあがった、ありふれた存在へと没落する」
みたいなプロセスのようだ。


古い時代に出来上がった「星の時間」を生きる、ということは
かつて世界の中心にあった世界観を生きる、ということに重なる。


「自分とは、なにか」を知りたいと思ったら
客観的に、外の世界のことをしらなければならない。
でも、「自分を生きる」には、
自分が中心となって世界を見渡す態度に
立ちかえらなければならない。


宇宙船は、「私とは、何か」を調べに行く道具で
ホロスコープは「私は、どう生きているか」を思い出させてくれるファンタジー
なのかなあ
などと
思うに至った。

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美しく着飾ることは
他人にアピールするための行為である
と考えられている。
でも
それとは別の機能もある

最近、気がついた。


たとえば、映画などで、
主人公の「普段の生活の一シーン」が美しく映し出されることがある。
スクリーンにうかぶその「普段の生活の一シーン」は、
特別なものではないが
絵画的な、詩的な美しさで輝いて見える。


私たち自身、そうした「普段の生活」の美しさを生きているはずである。
映画の中に映し出されるような「普段の生活の1シーン」は
今この瞬間にも、私たち自身のものであるはずである。
しかし
私たちがまさに生活の渦中で、生活を「生きて」いるときには
自分の「普段の生活の1シーン」を
絵画的な美しいものとしてイメージすることができない。


しかるに
美しい服を身につけて動く、
そのことを意識することによって、
なんと
生活を生きながら、その随所に、
自分の生きる姿をあたかも
「映画の一シーン」のように、イメージとして切り取ることが
僅かに(人によってはまるっと)可能になるのである。



世界の真ん中にいる自分を1つのドラマとしてイメージし、意味づけること。
これは
ホロスコープの一用途でもある。


ファッション誌に星占いが欠かせないのは、そのためか・・・・!



わかったようなわからないようなことを考える
冷たい冬の雨の日なのだった。まる。