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石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

自由






THREE TREE JOURNALのコラムが更新された。
http://tree.threecosmetics.com/2014/05/the-portrait-of-heroines-02/


今月更新の「闇鍋インタビュー」も、ちょっとつながっている。
http://www.mishimaga.com/yaminabe/012.html
http://www.mishimaga.com/yaminabe/013.html


孤独とか、ごく部分的であることとか、脆さとか、不完全さとか、
死とか、否定とか、隠蔽とか、作為とか、ディシプリンとか。
美は、そういうネガティブなものでできてるんじゃないか、と
最近、思っている。


どこかで他者の侵入をはねつけて
自分だけで答えを出し、その答えを守り切らねばならない。


喩えそれが理不尽な価値観であっても
その価値観を守り通した人の死は
「美しかった」
と語られることすらある。


もしかすると「美」って、
それ自体はそんなに、喜ばしいものじゃない。
もちろん、役にも立たない。
そんなに喜ばしいものじゃないし、役にも立たないのに
それをどうしても持ちたい、っていう精神が
「美」の秘密なんじゃないか。


このところ与えられている「美しさ」というテーマの前で
私はなんとなく、2つの映像をいつも思い浮かべている。


1つは、幼い子供のほっぺたの、
桃のような、春の花のような透き通る赤さだ。


もう1つは、どこかで読んだ記事なのだが
ある救急隊員が、おばあさんを担架で運ぼうとしたとき
もうろうとする意識の中で、おばあさんがきちんと寝間着の裾を合わせた、
という話だ。
彼は「女の凄みを見た」というような言い方をしていたと記憶している。



一連のコラムを書きながら「矜持」っていう言葉が何度も頭をよぎるが
それを使うべき場所がうまくみつからないでいる。
「無心」か「矜持」のどっちかなんだよな。
「矜持」にはもはや
合理的リクツはない、という点で
限りなく「無心」に近い。


合理的なリクツがあれば、私たちは納得するが、感動はしない。
合理的なリクツがないのに、何かとんでもないことが起こっているとき、
はじめて、感動するんじゃないかなあと思う。
そういう感動が「美」なのかなあ

なんとなくこのところ、思っている。


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物理的にも、経緯的にも
もはや手の届かないような場所にあるもの。