石井ゆかり@筋トレのブログです。
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「新鮮」


ミシマガジンで公開中、
第一回「闇鍋インタビュー」。

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「新鮮」
という言葉が最初から
このインタビューのキーワードだと思った。
畑さんがお店を探すときの話の中にまず
「今一番新鮮な店は何だろう」
というフレーズが出てきた。
そのあとに
「自分自身が新鮮で、毎日そこにいることがだいじ」
というフレーズがきた。
そういうときに「新鮮」って使うだろうか。
この人はどういう意味でそれを使っているのだろう。


「新鮮」は、
「新しい」ではない。
時代の最先端を行くとか、
みたこともないものを見つけるとか、
そういうのではない。


たとえば
「新鮮な魚」「新鮮な野菜」等と言う。
「鮮度」という言葉もある。
新鮮なものは「めずらしいもの」ではない。
トマトや鯖など、ありふれたものでも「新鮮」でありうる。
生命力のほとばしりとか、
何か初々しく、けがれておらず、
未開拓な部分をたくさん持っているイメージだ。
新鮮さは、「命」と密接に結びついている。
ゆえに、新鮮さは、
時間の中で否応なく失われていく運命にある。


たとえば
古い時代に流行ったものが再び流行するようなことがある。
一世を風靡したあと、飽きられ、さび付き、忘れ去られたものが
時代を下って、再び「新鮮さ」を取り戻す。
それを知らない人々が「新しい」と感じるし
それをかつて知っていた人々も「見直す」ような格好で
もう一度、そこに魔法のような価値を見いだす。



「新鮮」という言葉は
毎朝水揚げされる魚の新鮮さのように
「くり返し」のイメージを持っている。
そして、「新鮮」には、
ある種の「驚き」も含まれている。
その輝きにはっとさせられるのだ。
既に見たはずのものの中に
よく知っているはずのものの中に
まだ見たことのないように感じられる新しい光を発見する、
その驚きだ。



かつて東向きの部屋に住んでいたとき
私は、毎朝のように朝日を撮影しては
このブログにアップしていた。
朝日は毎日、
素晴らしく新鮮だった。
毎日毎日同じように繰り返される「日の出」の
あの、衝撃的な新鮮さは、なんなのだろう。


「新鮮さ」は、保つことができない。
「いま、ここ」にしか成立しない。
鮮魚や生花がそうであるように
少年少女の美のように
瞬間的で、その時空にしかありえない。
維持することはできない。


「自分自身が毎日新鮮であること」。
そんなことが果たして
実現しうるのだろうか。
どうやれば、それを実現できるのだろうか。


畑さんの「新鮮」という表現が
私にはたまらなく新鮮だったのである。