石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

新宿にて。

今日は、新宿朝日カルチャーセンターさんで
鏡リュウジさんと対談をさせていただいた。
数年前から、こうして人前でお話しさせていただく機会をいただいてきたが
ここへきて、ほかの仕事が重くなってきたり
もともと、人前でお話しするのは本業ではなく、
ちょっと休止することにした。
なので、なんとなく
「ラスト」感が自分の中にあった。


今回もたくさんの方に来ていただき、
ほんとにありがたい。
鏡さんとの対談は何度もやらせていただいているけれど
いつも新しく勉強になることがあり、刺激をいただいて
これでお金をいただいてるなんて
まったく贅沢なことなのである。


今さっき終わったばかりなのだが
その中で思いついて話せなかったことを
はなはだ乱暴だが、メモ的に書いておこうと思う。





今回は「2014年の星を読む」みたいなテーマだったので
4月のグランドクロスの話になり
冥王星-天王星のスクエアに話が及んだ。
ここで、鏡さんが
冥王星プルートー天王星はウラヌスということになっているが
ウラヌスは天王星に合わないのではないか。
天王星は、プロメテウスなのではないか」
という説を紹介された。
(参考)
http://xbrand.yahoo.co.jp/category/entertainment/8394/2.html
http://homepage2.nifty.com/moon21/letter25.html


プロメテウスは
プロメテウスの火
というフレーズのある通り
人間に火をもたらした存在、ということになっている。
この「火」は、単なる「火」というだけでなく
科学技術や原子力など、人間によってときにコントロール不能になるほどの
大きな力を意味することがある。
人間はプロメテウスによって
有用であると同時に自分たちを破滅させるほどの大きな力を手に入れた
というわけだ。


プロメテウスはこのことでゼウスの怒りを買い
縛られたまま、内臓を鳥につつかれる。
しかし、夜は内臓が復活するので
永遠にくりかえし、つつかれ続ける
という責苦を負うこととなる。
ヘラクレスが彼を解放するまで
この責苦が続くのだ。


死んでは再生し、
また殺される。
子供のころ読んだギリシャ神話の絵本の中で
このシーンが恐ろしくもありありと描かれていたのか
あるいは、自分の頭でこのシーンを思い描いたのか。
毎日毎日、永遠に繰り返されるはげしい苦痛のイメージは
あの、岩を何度も山頂に押し上げては落とされる、
シシュフォスの神話とともに、
幼いころの私の脳裏に、非常に鮮やかに焼き付いていた。
永遠の責苦、とは、なんとおそろしいことだろう。
死ぬことさえできないのだ。


天王星は、科学技術を象徴すると同時に
占星術の象徴でもある。
現代の感覚ではこれは不思議なことに思える。
科学とオカルトが同じ地平で語られるなど
ありえないことだ。
でも、もともと占星術天文学と同一のもので
古代には、最新の科学であったのだ。


古代から現代に至るなかで
占星術はファンタジーとオカルトの世界のものとなり
プロメテウスの火」は、原子力他、科学技術の世界のものとなって
全く別のもののように見えている。



でも、科学技術が
「人間の手の中にない世界をすべて、知によって支配したい」
という欲求のたどり着く先であるなら
占星術もまた
人間が「本来は知りえぬ時間と未来を支配したい」という欲求
たどり着く先だ、ともいえる。


プロメテウスは、大きな力を神から盗み、人間に与えたことの罰として
昼間死の苦しみを味わう。
しかし夜になると
生き返る。


科学技術の発達は、私たちをゆたかにする一方で
武器や戦いの手段を生み、環境を破壊し
私たちはまるで、神々の罰を受けているようでもある。
でも、私たちは傷ついてもまたよみがえって
プロメテウスの火を手放そうとはしない。
かつて使いこなせなかった力を
今は、未来には、使いこなそうとしてもがく。
そうして、空を飛び、月にまで足を踏み入れるようになったのか。



星占いやファンタジーは、昼間
否定され、弾圧され、嘲笑される。
しかし夜、私たちの心によみがえる。
そうやって、ながいながい歴史の中で、
いっこうに、死に絶えてしまうことがない。



死んでは生き返る「力へのあこがれ」が、
何か大それたものを求めつかもうとする力が、
私たちの生活の中に
ふつふつと生きているということなのだろう。


光の中で失われるたび、夜新しくよみがえる、
このふしぎなもの。

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いらしてくださったみなさま、
ありがとうございました!!