石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

年明け、お寺にお参りに行ったら
焚き火をしていた。


(なんかピントが合ってない)


しめ縄とかを炊き上げる「どんど焼き」みたいなものではなく、
単純にお庭の枯れ木や切り倒した木を燃やしているようだ。
どんど焼き小正月のころやるので時期が違う)



檀家さんなのか、近所の人なのかわからないのだが
焚き火でお餅を焼いていた。
お醤油とのりかなんか持ってきて、
ここで食べるのか・・・・いいなあ
と思ったのだが
どうも、そうではないようだ。
焼けたお餅をタッパにいれて
持って帰るらしい。


なんとなくだけれど
実用的な意味でそうしているのではなく、
どこか、儀式的な感じがした。
きっと毎年
こうして、ここでお餅を焼くことになっていて
これを持って帰ってお雑煮に入れる
「縁起物」みたいなことなのではないかろうか。


寒かったのでしばらく焚き火に当たっていたのだが
久々のことで、気分が高揚した。
子供の頃は、近所で焚き火が始まると
遊びをやめてみんなで見に行った。
炎のおどる姿をみていると
わくわくしてくるのは、なぜだろう。
透き通って純粋な、「エネルギーそのもの」みたいな炎。


顔が火照ってくる。
身体の前がわがあたたかくなり
背中は冷たいままなので
おもちよろしく、ときどきうらがえって暖を取る。
火照った顔に冷たい冷気があたり
これがまことに、きもちがよい。



しかし
これだけ離れていても
こんなに熱いんだよなあ…
と思って
ふとお餅をみると
これも、火からけっこう離れている。



(どうもピントが合ってない)



でも
手でひっくり返したりできないほど
このお餅のあるあたりは、熱い。
そして
お餅は「ほどよくきつね色に」なんかならない。
しばらく置いただけで
黒焦げになってしまっている。
なんという高温か。


そうだ
輻射熱(放射熱)
というやつだ。


エアコンの「熱」は、空気で伝わってくる熱だ。
一方、暖炉やストーブの熱は、
「熱自体が直接」来る。
赤外線で伝わってくるのである。
太陽の光のあたたかさも、輻射熱だ。
真空を伝わり、大気圏もつきぬけて
私たちの元にくる。
夏の焼け付くような暑さは
太陽の輻射熱だ。


あの炎から直接、何も介さずに伝わってきた、
顔が火照るほどの熱を受けとっている。


火は、「清らかさ」のイメージを持っている。
浄めると言えば、水とかお塩とかだけれども
火も、「浄める」儀式によく出てくる。
火で焼くと腐らなくなるし
熱すると消毒になるわけで
「当然」とおもえないこともないが
あの、透き通る不思議な炎の躍動が
私たちの心で自然に「聖なるもの」と結びついている。
星占いでも「宗教」はもともと、射手座の管轄だけど
射手座は火の星座だ。
火の星座を語るとき「正義」という言葉が出てくるが
この「正義」は、ややこしい法廷闘争のような正義ではなく
炎のような、すべてを焼き尽くす清浄
というのに近いイメージなんだろうと思う。


もちろん
火が大変な災害や悲劇を生み出すこともある。
昨日は新幹線が止まり、
「東京の火災」で九州までがたいへんなことになった。
火は怖ろしい。
「聖なるもの」は、畏れの対象でもある。
聖なるものは、こわいものなのだ。
「いい」「わるい」
という区別は、ここでも通用しない。
「火」それ自体は
良いものでも悪いものでもない。


自分を傷つける力を持つものを
自分を守る力を持つものでもある
と考える私たち。
お寺の火でお餅を焼いてそれを食べることで
火が持っている力を
自分の中にもとりいれようとしているのだろうか。


炎と、お餅と、正月と。
単なるお餅が、ここで焼くと
「聖なるお餅」になるのだろう。
最初は誰かがごく実用的な気分でお餅を焼いたのが
いつしか
「ここで焼くと聖なるものになる」
というふうに
人々に広まりでもしたのだろうか。


であれば
焚き火に当たってきたワタクシも
あのお餅程度には
きよらかになったんではなかろうか…
とか
思ったりしたのだった。



そうだ
今年は
きよらかにいこう



というわけで
これから、昨年末にできなかった
掃除をしよう(キリッ