石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

「土地」の記憶と感覚。


今年は2度、博多でイベントをやらせて頂いた。
いつ行っても、美味しいものを食べて、嬉しい気分になるのだが
夏には、噂の(?)もつ鍋を食べて
大興奮となった。



一人前からちゃんとあるのである。
これと、芋焼酎を飲んだら
その組み合わせたるや、本当に
天国的といいたいくらいであった。
一人でニコニコしながら盛り上がった。
端から見たら
気色悪かっただろう。




あれ以来、芋焼酎を飲むたびに
パブロフの犬のように
条件反射でもつ鍋が食べたくなるようになった。
たった一回なのに、恐るべし、味の記憶。


この条件付けによって
私は、京都に戻ってからも何度か
もつ鍋+芋焼酎
をやるようになった。
調べてみるともつ鍋のお店はかなりたくさんある。
さもありなん
うまいもんな
と、人気店に足を運び、食べてみる。
美味しい。
おいしいはおいしい。
おいしいのだが、しかし、
どうも、気分が出ない。
あの時の、あの、心全体を占領するような感動が湧いてこないのだ。


もちろん「初体験」というのは
なんでも特別な味わいがあるものだ。
二度目、三度目となると
最初の感動はどうしても、薄らいでくる。
慣れもあるだろうし、
いろいろ細かいことも気になり出す。
「知る」ということはそんなふうに
それ自体が一つの喪失であり、悲しみなのである。



開高健がどっかで言っていた(ような気がする)。



それだけでもないような気がしてきた。
よく言う
「地元で飲み食いするのが、一番うまい」
という、アレである。
このことは私も何度も体験している。
イギリスビールはイギリスで飲むのが一番うまい。
同じものを日本で飲んでも、どうも、違う感じがする。
333はベトナムで飲むのがうまい。
サン・ミゲルはフィリピンで飲むのがうまい。
同じものを日本でみつけて、
嬉々として口にしても
「なんか、ちがう」感がじわじわ湧いてくる。


多分、同じ芋焼酎+もつ鍋でも、
博多で食べたからこそ、美味しかったんじゃないか。

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それと同じようなことなのだが
くるりの曲を、散歩しながら聴くと
京都とくるりの音楽の食い合わせの良さは
もつ鍋と博多くらいいい
ということが
京都にきて、解った。


もちろん、他で聴いてわるいというのでは決して、ない。
曲にも寄るかもしれない。
しかし
味わいがいくらか、確実に増す。


京都出身の人がつくった音楽を京都で聴く
という、この「食い合わせ」は
もしかすると
他のアーティストにもあるのかもしれない。



絵や彫刻ならばもっとビビッドだろう。
どこで見るか
どこに飾るか。
それで、作品のかたちが全く変わる。
もちろん、音楽であればまず、ライブ会場だが
そのライブ会場にも
場所によってちがいはある、
という話をいつか、きいた。




思っていたら
くるりの新曲
Remember meの
ウィーンで録音されたニューバージョンが出た。
https://itunes.apple.com/jp/album/remember-me-ep/id720722849


これは、ウィーンで聴いたら
どんな感じがするんだろう(な


と思った。
行ったことないけど。


ウィーンは
私にとっては
「ウィンナ・ワルツ」の街で
ヨハン・シュトラウスの街である。
小学生の頃、所属していた合唱団で
「ウィーンの森の物語」
を歌ったことがきっかけで
家にあったシュトラウスのレコードを聴き、
しばらく愛好していた。
とても解りやすく、
子供の好きな「お姫様」の姿や「舞踏会」の場景を喚起させるシュトラウスの世界は
美しい絵本のように私の心に、いい思い出として残っている。


そんな、美しく繊細な絵本のようなカラーが重ねられている気が(個人的に)して
これはこれで、いい食い合わせだなあ
と思った。


古い歴史の街、記憶、
目に見えない「土地」の持っている力、
私たちの不思議な五感。


カップリングの「Time」も好きだ。


時間を越えて、地面が覚えていることを
私たちは、味や音で
感じとることが出来ているのだろうか。


だとすれば
じつに不思議な対話だ。