石井ゆかり@筋トレのブログです。
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言葉

具体的な例を思い浮かべてそれを分析し、一般化した
という文章は、
具体的経験に基づいているがゆえに
強い説得力を持つ。


でも
その「具体例」からすこし外れた別のケースを生きている人たちにとって
この「一般化」は、
渦巻く水のような性質を持っていて
元々はその渦の中にいなかったのに
言葉の持っている不思議な力で
その渦の中に巻き込まれてしまう
という現象が起こる、場合がある。


具体例を思い描き、でも、
そこで個人名やら具体的な状況やらを書くわけにはいかない場合、
一般化して書くことになる。
「怒りとは…」とか「孤独とは…」とか、
「嫉妬とは…」「うまく行かない人は必ず…」とか
そんな書き方になる。
この「一般化」にはかならず
その具体例とは別の、でも、世間的に見れば類似して見えるようなことがある。
書き手の想定している具体的シチュエーションにおける「怒り」や「嫉妬」と、
読み手が「怒り」や「嫉妬」という言葉から想起するシチュエーションは、
違っている場合がある。
そうなると
「私が経験した嫉妬はそういうものではない」
という議論がうまれる。
ゆえに、その差を掬い取ろうとするなら
「もちろん、同じ言葉で説明されることのなかには、
自分が言ってるケースとはちがうものもある」
というふうに、注記する必要がある。
しかし、こういう注記のたくさんついた文章は
たいへん、読みにくい。


どんな文章を書くときにも言えることだと思うんだけど
話し手や書き手は、なにかを話すとき
自分なりの体験やイメージを、言葉に置き換えている。
だけど
聞き手や読み手も、
その言葉に自ら与えている意味や経験というものがあって
そこに、ズレが生じる可能性からは
いつも逃れられない。


それは非常に難しいことで
私自身、しょっちゅう失敗している。
保留や補足は、
本論をわかりにくくさせる。
だから
省いてしまいたくなる。
わかりやすさと、正確さは
そんなふうに、ジャマしあう。


でも。
頭の中で考えていたものを文章にするとき、
自分の書いた言葉が、意図しない方向に解釈される可能性とか、
「同じ言葉で、これとは別のことが言えるかも」という可能性とかを考えて、
自分が書きたいことのアウトラインを、気をつけて限定していくと、
使える言葉がどんどん減っていくんだけど
その分、新しい表現を思いついたり、
アウトラインの内と外を分けるあたらしい条件が浮かび上がってたりして
書いていて、自分でおもしろくなってくる場合もあるのだ。


以前書いた「やさしさ」というエントリ
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20120427/p1
の、

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で区切った下の追記部分なんかは
そういうのの一種だという気がした。


言葉に頼ったときは、たいていあとで、失敗したなと思うんだけど
言葉を疑ったときは、自分が思ったより遠くまで行ける、場合がある。
という感じがする。個人的に。



まあ、
朝の「一言占い」なんていうのは
まったくこの逆をやっているわけだが・・・・。


言葉ってほんとに
むずかしおもしろい。