石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

没入


ピンぼけ。。--;)
こないだ、五条坂の陶器市にいってきたときの。



6月からかなり忙しかったせいか、
先週末から風邪を引いて、久々に寝込んだ。
夏風邪はしまつがわるく、
暑いんだかぞくぞくするんだか、
もう、しっちゃかめっちゃかであった。
年をとると回復にも時間がかかるらしい。
節々は痛いし、変な汗をたくさんかいて往生したが
やっと調子が戻ってきた。ふう。


ひたすら寝まくっていたせいか、
なんだか時間の感覚がおかしい。


いまではそうでもなくなったが
幼稚園の頃の私は
しょっちゅう熱を出して寝込む子供だった。
二段ベッドの上に寝かされていると、
窓にかかっているカーテンの
(今にして思えばあのカーテンは謎だ。なぜならその窓からは
一切陽が射さないからである。窓の外はすぐ隣のうちの壁に接していた)
子供と荷車と果物
みたいな柄をじっと見つめて
それを「動かす」空想をしていたのを思いだした。


同じ絵が繰り返される、単なる「柄」なのだが
その子供や荷車みたいのが「ある」世界がどこかに「あって」、
それで、生活をしているわけだ。
その生活を様々に思い描いて
楽しんでいたのであろう。


子供向けの映画や童話の中には、しばしば
「物語の中に自分が入って行ってしまう」
という筋がある。
はてしない物語」なんかはその最たるものだが
メアリー・ポピンズのシリーズにもこれはよく登場するし
見てないけど、ディズニーの映画にも、
「ゲームの世界」に入って行く、みたいなのがあった(ような気がする)。


子供が自然に、パラレル・ワールドを受け入れたり、自ら空想したりするということは
思えば、奇妙な感じがする。


とはいえ、幼い子供にとっては
世界中が「まだ見ぬ、見知らぬ世界」なのであるから
たとえば、実在する「遠い国」であれ、
カーテンの意匠の人物の住む「どこかの場所」であれ、
同じ「どこかにありそうな、未知の世界」にすぎない、
ということなのかもしれない。


そういう世界に想念が没入すると、もはや
叱られることも、苦しいことも恥ずかしいこともなにもない、
自分を取り巻くバックグラウンドから一切自由になった
別の意識を生きることができる。


子供の頃から今に至るまで
空想の世界を生きる…といえばかっこいいみたいだが
要するに「妄想族」として生きてきた私だが
子供の頃の、あの、熱に浮かされながら一心にカーテンを見つめていた感覚を
ふと、おもいだしたとき
あの頃の私にはいまや、
まったくかなわないなあ、と思った。
あんなにも完全にその世界に意識を投入してしまうことが
今は、どうも、難しい気がする。
空想を巡らしているようなときでも
どこか、没入しきっていない部分をのこして、
片足を出している感じがある。



子供の頃のあの、「完全没入」の快感は
なにかしらスイッチを入れればまた、蘇るものなんだろうか。