石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

日食のおもひで。

昨日、港区赤坂区民センターで開かれた
「皆既日食報告会」に参加してきた。

http://www.astroarts.co.jp/news/2013/02/05eclipse/index-j.shtml
去年の、オーストラリアでの皆既日食について
様々な立場の方々からの報告が行われたのだ。


先日、カメラのイベントCP+に、GR4のレクチャーを聴きに行ったところ
ちょうど、取材に来ていた雑誌「星ナビ」の編集長、川口さん(←「星をさがす」でお世話になった)から
「来月、日食報告会があるんですよ、どうですか」
といわれたのである。

なにそれいくいく
となったわけであった。
会場で会った川口さんは、私の顔を見ると
「最近、しょっちゅう会いますねえ」
といった。
いや、川口さんが教えてくれたから今日きたんだから
と思ったが
口には出さなかった。
もとい
声をかけていただけて
たいへんありがたいことである。


そう
去年、私も
ケアンズに行って
皆既日食を生まれてはじめて、見てきたのである。
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20121117/p1



主催の日食情報センターさん
http://www.solar-eclipse.jp/index.html
は、日食ファンが集まって作るボランティア組織で、
「日食情報」という情報誌を年に数回発行している。
世の中にはいろんな「ファン」がいるわけだが
「日食ファン」というジャンルがある、ということさえ
ケアンズに行く前には、しらなかった。


参加者をざっと見渡すと、半分以上が中高年の男性と見えたが
よくみるとけっこう女性の姿もあり、会場は後ろのほうまで埋まり、
日食ファンの多さ、息の長さを物語っていた。
「ファン」といっても、
ちょっと好きになってすぐ飽きる
みたいな世界ではないのである。
「都会の星」でお世話になった東山さんもきていた。
この中の多くが、あのときケアンズ近辺にいたのか・・・と思うと
なんだか不思議な感じがした。
旅のあとに、また見知らぬ同士があつまる「報告会」(いや、ほかの参加者はみんな和気藹々と長年の仲良しのようだったが)というのも
なかなかおもしろいもんだなあと思った。
ケアンズで私を見かけたかもしれない、とコメントを下さった方が
会場で私に声をかけてくださって、とてもうれしかった。


      • -


皆既日食は帯のようにほそい「皆既日食帯」でのみ見られる。
だから、見るにはそこまで出かけていかなければならない。
2012年11月14日の皆既日食は、
オーストラリアの西の上のほうをとおり、さらに海上で見ることができた。
世界中から6万人があつまり、日本からは4000人くらいが行ったらしい。
私もそのうちの一人だったわけだ。



観測スポットは、海岸や内陸などさまざまあったが、
私が申し込んだツアーは、内陸の「アマルー」という場所で見る企画だった。
NASAの観測隊もアマルーにきていたことから、
アマルーはとても人気があったそうだ。
しかし、私が申し込んだコースは最低催行人数に満たず(!)
なかばやむを得ず「ポンツーン」という、
海の上の浮島のようなところで日食を見るツアーに変更となった。




結果的には
アマルーは小雨-曇りのお天気だったのだが、
皆既日食のあいだ、奇跡的に雲の「穴」が太陽にかかり、見えた!
のだった。
集まった大勢の人がそこに、神秘的な、文字通りの「奇跡」を感じたそうだ。
その気持ちは、よくわかる。
雨が降っているなんて、絶望的だったはずだ。
その絶望の中、ちいさな希望を胸に秘めながら待ちに待った結果、
ちらりと一瞬、雲間からみえた皆既日食である。
皆既の時間は2分くらいだ。
数百人の人々が歓喜の声を上げた、と聞いた。
このブログに
「アマルーの奇跡」という検索キーでたどり着く人がいたところを見ると
アマルーに行った人たちの間では「ドーハの悲劇」みたいに
そういうふうに呼び習わすようになったのであろう。


一方、私が行ったポンツーン、つまり海の上は
きれいに晴れた。
船が港を出るときは雨が真剣に降っていたので
私たちも、奇跡を感じていた。
さらに私は、自分が選んだコースではなかったので
もう、完全に奇跡だと思っていた。
今も思っている。


だが、その反面、
「奇跡」の感覚について、
意識を新たにさせられた気がした。
というのも
アマルーに行った方の報告を聞いたときに
「ああ、喜びや感動や奇跡というのは
やっぱり
絶望が深いほど、強く重く感じられるのだ」
と痛感したのだ。
きれいに見えればそれでいい、ってもんではないのだ。
アマルーで皆既を見たときのことを語る人の目のきらきらした、
驚きをともなった光や、あかるい興奮に弾む声を聞くと
だれもが、そうおもうとおもう。
人の喜びの所在は、
なにかが完全にうまくいくというところにあるのではないのだ。
もしかすると
人がもっとも避けたいと思い、あるいは嫌うもののなかにしか
本当の喜びや感動は生まれ得ないのではないだろうか。
。。。などとおもうわけだが
中には本当に絶望した人たちもいたらしい。
ある日食クルーズを企画した客船は、
出発が遅れたかして、日食に「遅刻」した。
乗客は当然怒って払い戻しを求める・・・みたいな「事件」があったそうだ--;)


船から見るツアーがあるかと思えば
熱気球から日食を見る、というロマンチックなツアーもあった。
でも、熱気球の発着場である広々とした場所は、
それ自体格好の観測スポットであり、
地面にいる人々は、
熱気球が邪魔して日食が見えなかったらどうしよう・・・
(前日のリハーサルでは、真っ黒な熱気球が完全に太陽を隠す「プレ日食」が見られた(爆))

戦々恐々だったという話も聞いた。
こちらは結局、
だいじょうぶで、きれいに見えたそうだ。よかった。


人生の奇跡は
いろいろである。

      • -


報告会では、天文のプロや写真のプロ、
さまざまな専門家のひとびとがそれぞれの立ち位置から見た「日食」を語った。
専門的なことは皆目わからないのだが
私なりにおもしろかったことをいくつか羅列する。


まず、東京理科大が「理大観測隊」を組んで、21年ぶりに日食観測を行った
という話。
かつては毎回、観測隊を組んでやっていたのだが、
いつからかやらなくなったのを、
長いときを超えて復活したのだそうだ。
現役11人、OB26人、OBの家族11人、友達6人という内訳が
なんか「なるほどなあ・・・」という感じで、おもしろかった。
21年前と今との違いは、「アナログからデジタルへ」だった
というのが、いかにも、リアリティがあった。


しかし
21年前、というとなんだか大昔みたいだけど
よく考えると、オレもぜんぜんものごころついてるわ
っていうか、ギリギリいけてたかもしれないわ(←理科大2部受けた(いや、1年まにあってないだろ
とか思ったら
ため息が出た(なんでだ



あと、
「写真を撮る」ことと「日食を肉眼で見て体験する」ことのはざまで
やはり、日食ファンもディレンマに陥っているのだ
ということがわかった。
日食ファンイコールカメラファン
という観念があったので
すばらしい日食の光景を前にしても
望遠鏡やカメラを一生懸命操作しているのが楽しいんだろうな・・・
と思っていたのだが
やっぱり、ちがうのである。
いい写真を撮るには、やらなければならないことがやまほどある。
しかし、日食は、自分の目でも「眼視」したい。(ガンみ、とは読まない。がんし。)
カメラファンといえども、同じ人間なんだなあ
という気がして、うれしかった(なんだそりゃ


この「とりたい」「見たい」のディレンマを解消すべく、
「撮影の自動化」を実現する「エクリプスオーケストレーター」というこれまたロマンチックな名前のソフトウェアが開発されていて
それを使ったらどうだったか
という報告があった。
成功例もさることながら、
報告者ご自身の失敗例がほのぼのしていた。
デジカメは
「何も操作しないでほっておくと、一定時間で自動的に電源がオフになる」
という設定がある。
その設定が15分になっていたのだが、
ソフトウェアがカメラに指令を出し始める20分前にスイッチを入れてしまったため
カメラ自体がお休みになってしまったのだ。

何にも写ってなかったのだった(涙
ほかのカメラでも撮影をされていたため、大きな問題ではなかったのだと思われるが
直後はさぞかし悲しかっただろうと思った。

会場は大ウケであった。


とにかく
失敗はウケるのである。


シンパシーがそこに
詰まっているからであろう(涙


また
CME(Coronal mass ejection)
という現象が「写真に写った」という話がおもしろかった。
皆既帯のどこで見るか、によって、時間差が発生するのだが、
地上で撮られた写真がまずあり、
その三十分後に海上で撮られた写真があり
この2枚を比較すると、
コロナのなかで明らかに違っている部分があった。
これをくわしくしらべると、
ぼうふっ!
という感じで
何かが吹き飛ばされている様子
つまり
CME
という現象が起こっていることがわかった
という話であった。


最初は、単なる静止画にしか見えなかった写真が
ほかの写真と比較したり重ねたり・・・
というふうに、解釈されていくうちに
心の中に
ぶおうふっ!
というような
太陽のまわりで起こった動きが「見えて」くる感じがして
太陽の近くに飛んでいったみたいなトリップ感があった。


まあ
個人的な、勝手な想像なのだが。。


もうひとつおもしろかったのは
「太陽の直径の測定」
というおはなし。
この話は、皆既日食の話ではなくて
金環日食のときに見えた「ベイリービーズ
(↓ここのまんなからへんに写真がある。)
http://www.space-park.jp/events/tenmon/2012/0521/fukushima/index.html
をもとに
太陽の境界線をみつける
という内容だった。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/121478.html
つまりこういうことなのだが、
「太陽の直径なんか、もう完全に測れてるんだろう」
とおもっていたので
それがまだそうでもない
ということが面白かった。
わかりそうでわかってないことというのは
あるものだなあ、と思った。


これから先、皆既日食はまたどんどん起こっていくが
観測に都合のいい皆既日食
2017年まで待たないといけないようだ。
それまでは
政情の不安定な地域とか、南極とか、
グリーンランドの脇のブリザードが吹き荒れる白熊の住処とか
そんな感じらしい。



等々、
最初は「完全に豚に真珠猫に小判だな・・・」と思ったイベントであったが
わからないなりにかなり楽しかった。


なにより
何度も投影される
いろいろな方が撮った日食の映像を見て
あのとき、私が見た風景は、どうだっただろう
と思い起こされた。
どれひとつとして
肉眼で見た光景は写ってなかった。
私たちはみんなが写した写真を見て楽しみながら
それをてがかりに
それぞれの心の中だけにあるあの、ふしぎ、と言うしかない光景を
それぞれにたどっていたんだろうな、と思った。



それは、じつに、
ふしぎなことだ。