石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

ひと


去年の年末、くるりのファンクラブの対談記事の企画で
くるり・岸田氏とお話しさせて頂く機会があった。


アーティストを占う、みたいな企画は、
実は、たまに頂くのだが、あまりお受けしていない。
というのも、
音楽とか、アートの世界に
「占い」を占いのまま持ちこむというのは
ちょっと、いやだな、と思うところがあるからだ。
去年、GINZAで岡村靖幸さんの企画をやらせていただいたけど、
それは、「結婚を考える」という、
音楽とは全然関係ないテーマが設定されていたからだった。
実際、占いもすこしはしたけど
大部分が「結婚とは」「占いとは」みたいな話になって
それはすごく面白かった。
もとい
アーティストの方を、あくまでアーティストとして「占って欲しい」的な企画は
なんとなく、アーティストという活動を「穢す」ような気がしてしまうのだ。
そのことは、ここに書いた。


でも、そういうややこしい私の気持ちを
今回ご依頼下さったスタッフの方は、
すごくこまやかに汲み取って下さって、
何度かやりとりする中で、
「そういうことをふまえたうえで、是非」と言っていただいたので、
「じゃあ、対談では、あまり星占いの話は、ナイ感じで、
占いについては、ふつうの12星座占いを、対談とは切り離して、記事を書きます」
みたいなふうに、お受けしたのだった。



で。
師走も押し詰まった京都の「スマート珈琲店」で、
はじめてお会いした岸田さんは
あまりにも自然に「一人の人」だった。
有名なミュージシャンであることとか、
ここが対談の場であるとかいうことが
ほとんどその雰囲気から、そげおちていた。
そして、私のことも
単に「一人の人間」として会ってくださった。
この感触は、ちょっと、特異なものだった。


ゆえに
私は、ごく自然に、
「自然な一人の人」としてそこにいる岸田さんが
「自然に感じている『星占いってどうなってるんだろう』みたいな興味」に応えるべく
単なる一人の人として、
星占いの話をしまくったのだった(爆


もちろん、他の話もたくさんして、
きかせていただいたこともたくさんあって、
すごく面白い、密度の濃い時間だった。
しかし
ホロスコープをひろげて、星占いの話を
冒頭、ごく自然に、やることになったことについて
なんでそんなふうになっちゃったのかなあ
と、あとで考えた。


私は星占いを使って仕事をしている人間で、
そこで、相手を楽しませたいと思ったら
たぶん、星占いの話をするのが「最大出力」なのである。
それに、岸田さんの関心の示しかたが
なんの嫌みもなく、あまりにも透明度が高かったため、
つい、「ナシで」と言っていたはずの話を
自然に、することになったのだろう。


相手を「一人の人間」として扱う、ということは
結構難しい。
というのも、あらゆる関係には
ほぼかならず、役割や肩書きがあるからだ。
期待値や、責任や、義務があるからだ。
私たちは、日常的に
肩書きや立場や責任と話をすることのほうが
たぶん、ずっと多い。
友達、というのは、一番、相手を「一人の人間」として扱えるのかもしれない。
でも、他の関わり方においては、
相手の人間としての多くの部分が
「度外視」「無視」されている。


何か特殊なことを言われたわけではない。
ただ、単純に
「相手の、どの部分だけをピックアップする意志もなければ、
どこを無視するという前提もない」
というような、岸田氏の不思議なインタフェースは、
なかなかできるもんじゃないなあこれは
と思って、すごく感心したし、尊敬した。
何もかもを見ている、というわけでもないのだ。
ただ、普通ならあるはずの何らかの「前提」が、ない。
たぶん、そういうことなんだろう。


あとで、そういう人に以前、会ったことがあるのを思いだした。
その人といるときは、
あの、他者と一緒にいるときの独特の寂しさが、なかったなあ
と、
その不思議な感触を思い出した。
そういう寂しさは、前述の「度外視」「無視」と
強く結びついているんだろう。


そういうことができるようになりたいな、と思うけど
どうやったらできるのか、よくわからない。


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原稿を書くとき、BGMはたいてい、
歌のない音楽か、外国語の曲になる。
日本語の曲だと、歌詞が耳に入ってきてしまって、
文章を書くのにジャマになるからである。
でも、くるりの曲は不思議と、そうならない。
なので、仕事用のプレイリストに、結構入っている。


それを、対談の時、岸田さんに言ったら、
岸田さんは「ありがとうございます」って言ったけど
あれってよくかんがえると
ほめ言葉になっているのかどうか、よくわからない。


しかし
私はほめたつもりだったのだ。なんとなく。


つまりそれは詩が、音楽的すぎるほど音楽的だ、ということなのかもしれなくて
だとすればそれは、とても、美しいことだ、という気がしたからだ。