石井ゆかり@筋トレのブログです。
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雑魚

面白いところにでくわすためには
その前に延々続くつまらないところに耐えなければならない




澁澤龍彦が、たしか、読書について
そんなことを書いていた
ような気がする。


全部が全部面白いような本というのはなくて
むしろ
わずかにものすごく面白いところが
膨大なつまらないところに埋もれてるようなのが、ふつうだ


みたいなことを書いていた気がする。



つまらないものに耐える
ということは
大事なことなんだが
そんな時間まで誰かに奪い取られてしまったような世界では
面白いものの感触も
だんだん違ってくるようだ。


パンの耳が許されないような世界では
劇的な香辛料を立て続けに摂取して
それらの刺激も一瞬で喉元を過ぎて忘れ去られていくみたいなことになる。


感覚器官と
感覚器官を刺激するものの性質とは
ほとんど同時に変化していく。
どちらかが先に一方的に変化して、
もう一方がそれにつられてやむを得ず変化していく
というようなものじゃない。
双方が「相手のせいだ」と思いながら
お互いにその変化を増幅し合っていくんだろう。

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小さな魚を釣って
それを餌に大きな魚を釣る人がいる。


大きな魚だけに心を奪われている人は
大きな魚を釣った人がその前に
小さな魚を釣っていた、ということに気づかないので
大きな魚を釣った人が、いきなり大きな魚を釣ったように思う。


「なんで私には、あの人のように大きな魚が釣れないのだろう」
と人に尋ねたら
「まず、餌にする小さな魚を釣らないと」
と言われたけれど
「小さな魚を釣るなんて、遠回りで、徒労だ」
「私が釣りたいのは小さな魚ではなく、大きな魚なのだ」
としか思えない。


…という、そんなような構造の「悩み」がある。
「小さな魚を釣る」というのは
「努力」のアナロジーではない。
どちらかといえば
「一見、関係ないことをする」
みたいなことだ。
「餌にする」なんてあざといようだけれども
自分ではそのつもりはなくとも
そう「なっている」ことってあるものだ。


くだらないこととか、つまらないこととか、どうでもいいようなこととか。
生活の中でも、そういう「雑魚」みたいなことは
たぶん、けっこう意識にのぼらないような「機能」や「作用」を持っているのだろう。


昔は、
盲腸(虫垂)はなんの役割もない臓器だから
虫垂炎の予防としてとってしまえ
といわれていたそうだが
現在では虫垂にも免疫に関係する役割などがあることがわかってきて
「いらないからとってしまえ」などとは言われなくなった、とのことだ。


ムダかどうか
ということも
なかなかわからないものなんだろう。