石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

「親鸞」。



「都会の星」「夢を読む」に続く、
年末(ほぼ)同時3冊刊行の最後、「親鸞」ができあがった。
今週末くらいから書店に並ぶ予定、とのこと。
「禅語」の続編(?)的な位置づけで製作された。


美しい写真と、私のエッセイが半々くらいの分量である。
「禅語」と構成はほぼ同じだ。
親鸞の著書や書簡、唯円の「歎異抄」などから印象的なフレーズを引用し、
そこからエッセイを書き起こした。
お葬式や法事をするまでは自分の家の寺が何宗か知らない、という人も少なくない。
家が浄土真宗の檀家であるけれども、その教えについてはよく知らない
という人も多いと思う。
浄土教」の教えは、解りやすいが、果てしがない。
海のようである。




「禅語」に続き
この「親鸞」でも写真を担当して頂いた井上博道さんには
私は、お目にかかったことがない。

井上さんのお誕生日は6月28日で
私は6月29日であり
妙な親近感をひそかに抱いていた。
編集者の釣木沢さんから伝え聞いたところでは、
「禅語」では
本の出来を大変喜んで頂けたそうだ。
読者の皆様からも、予想外に好評を頂き、刷りが4回か5回も重なった。
だから今回も、きっといい本にして、喜んで頂きたいと思っていた。


しかし
私がこの本の最初の原稿をどうにかまとめたころ
井上さんは、事故に遭われた。
そして、本のサンプルができあがる前日、
息をひきとられた。


#
「写真家の井上博道さん死去 朝日新聞「季をひろう」担当 - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/91eg 」
「【浪速風】司馬さんが指名したカメラマン(12月13日) - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121213/wlf12121313180008-n1.htm
「【追悼】井上博道さん 仏師の心も読み取れる写真家 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/life/news/121220/art12122007440002-n1.htm




折しも「夢を読む」のサイン会の当日、できあがったサンプルが届いた。
釣木沢さんは、会場まで、本を持ってきてくれた。
書店員さんや、まわりにいたスタッフの方に、それを見せることができた。


いつもは
本ができあがると、嬉しさと新鮮な緊張感を
同時に味わうのだが
今回は、本は悲しみとともに届いた。
受けとった本が、
果てしない沈黙の中に置かれている気がする。
本がいつもより、ずっと重たいような気がする。



「禅語」の表紙は、真っ白な蓮の花であった。
今回は、白梅である。
表紙を見ただけで、梅の清冽な香りがにおいたつような
迫力のある装丁になっている。


今回の原稿は、内容が内容だけに
ものすごく丁寧に校閲をして頂いて
何度も何度も直した。
いつも直しは結構やるのだけれども
今回は、一人で直しているという感じではなくて
先生に親切に添削指導されているようなところもあり、
あるいは対決しているようでもあり、どこか共闘しているようでもあった。
ただ直されるだけではなくて、文章の内容を強く、受け止めて頂いて、
いつもとは全く違ったプロセスで文章を作った、という感じがある。
本には活字のみがプリントされるが
ページを開くと、私の目には自動的に
校閲して下さった割田さんの、力強い鉛筆の筆跡の印象が、
文字に重なって見えてくる。


大それた仕事と、思いがけない出来事と、
他にも、様々な「いつもとは違う経緯」が重なって
何度も「この仕事をして、ほんとにいいのかな」という気持ちが涌いたが
そんな浮き足立つような気持ちをいつも、
ぐっ、と下にひきおろしたのは
親鸞の言葉であり
自分が書こうとしていることの内容だった。



宗教は、善悪を言い、道徳を言い、倫理を言う、と私たちは想像している。
でも、親鸞の言葉は、そうではない。
そうではなく、
もっと私たちの中に「すでにあるもの」のことを言う。
絶望や苦悩のことを言う。
私たちは「本当は別の未来が選べたのではないか」とすぐ、想像する。
でも、未来は、今、すでに目の前に選ばれておかれている。


いうなれば、そういう景色のことを書いていたような気がする。


「禅語」と比べると、もう少し生々しいというか、
私たちの「日常」に近い距離感の内容になっていると思う。
親鸞は「法を見て人を見なかった」と書かれているのをどこかで読んだが
私には、そういうふうには、感じられなかった。
それは、私の誤りなのかもしれないが、
とにかく、私のそういう「読み方」が、今回の本には記されている。


書店でお見かけくださったら、是非一度、
お手にとってみて頂きたい。