石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

皆既日食(ろくな写真はございませんTT)。


11月14日、オーストラリアで皆既日食を見てきた。
11日に旅立って16日の早朝に帰国、というスケジュール。
11月中旬という、占いの仕事で1年のうち最大の繁忙期に
5日もつぶすなんてどうかしてるオレ、と思ったが
日食は日食である。


春に金環を見て
皆既はどうなんだろう
という好奇心に、負けた。


さらに、私は一人で仕事をしているので
どうしても、うまく「休み」がとれない。
だらしないので、ついずるずると机の前に座り続けてしまう。
で、もう随分長いこと
まともに外に出て歩くということをしていなかった。
そのせいか、このところ妙に、
気持ちが落ち込んだり、常に疲労感があったり、
調子がよくなかった。
だから、ここは本気で徹底的に「休暇」をとろうと思った。


ゆえに。
たいてい、海外に行くときはラップトップを持っていくのだが
今回は思い切って、iPhoneだけで乗り切ることにした。
休暇にマシンは要らない。
…それに、万が一なにかあれば、ホテルのビジネスセンターに行けばなんとかなる(←腰砕け)
3冊の単行本と、3つの大きな特集記事と、いくつかの連載をなんとか乗り越えて、
11日の昼にはすっきりして、家を出た。
土砂降りの雨であった。


今回はめずらしく、旅行代理店の団体ツアーで行くことにした。
普段は、飛行機とホテルだけ抑えて一人で行くのだが
今回は「星ナビ」のセミナーつきツアーである。
日食観測会場も抑えてもらえる、完全に皆既日食のためのツアーなのだ。
このツアーを見つけたのがそもそも、「星ナビ」誌上だった。
団体行動は苦手なのだが、今回は頑張ってみることにした。
といっても、蓋を開けてみたら6人のツアーだった(爆
終始、スムースであった。


赤道を越えるのは、これが初めてである。
オーストラリアは今、ちょうど乾期から雨期へと変わるところで、
観測地点であるケアンズは「初夏」ということであった。
乾期から雨期への季節の変わり目は
「天気が不安定」。
雨が降ったり止んだり、気温も一日の中でかなり大きく変わる、とのことで
食の観測にはあまりいい条件ではない。というか、悪い。


私は最初「アマルー」という、小高い山の上に広がる私有地で観測するツアーに申し込んだ。
でも、私が申し込んだツアーは人数が集まらず「ナシ」になり、
代わりに提案されたのが、「海の上で日食を見るツアー」だった。
オーストラリア、ケアンズと言えば
グレートバリアリーフ」。
世界最大の珊瑚礁だ。
そこにある人口の浮島「ポンツーン」で、
皆既日食を観察できるというのである。
1つ、難点は
発泡スチロールみたいな素材でできている浮島なので
波に揺れる、ということだ。
つまり、写真撮影をしたくても、三脚は立てられないのだ。
立てても地面自体がゆれるからムダなわけだ。

(※旅行代理店の人はそういったけど、
実際は、船の上でも浮島でもみんな三脚立てて撮影していた。)
私は、特に写真に関心があるわけではなく
「ちょっととれればいいな」くらいなので、
躊躇なくそっちに乗り換えた。
今回の皆既日食は、夜明けとほとんど同時に始まる。
深夜2時過ぎに宿を出て、
船で一時間半ほどの、ささやかな船旅となった。


旅の最中の細かなおもしろ(?)ネタは、
イーストプレスの雑誌「開運帖」で連載中の
石井ゆかりのじんせいはたび(仮)」で書くので、乞うご期待。
で、以下は日食がらみのことだけ書こう。

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深夜二時過ぎ、船着き場から船に乗り込んだ。
夜中だというのに、日食を見に行く人でごったがえしており
非常に賑やかだった。
何隻もの船が、港を出て行った。
空を見上げると、曇っている。
わずかな雲の切れ間に、きらきらと輝く星が見えた。
その数は、日本で見るのとはダンチガイである。
日本のが普通盛りなら、ここのは特盛りだ。全部のせだ。
しかしこの雲の多さはどうだろう。
船に乗り込んで出航を待っていると
窓に水滴が散らばり始めた。
雨である。


日食は、普段私が占いによく書くように
新月のすごいの」である。
新月の日、海は「大潮」になる。
満月と新月で潮が満ちることはよく知られているが
新月の方が、潮位が高くなる。
現地では「キング・タイド」と言うのだそうだ。
だから、海は波が高くなる。
当然、船は揺れる。
私は持参の酔い止め薬を持っていたのだが、早く飲み過ぎたのか、
船が出てしばらくすると、気分が悪くなってきた。
波に大きく持ち上げられて、深く突き落とされる。
どーん、どーん、どーん、と、三回以上は連続しないのだが
また少しすると、上下の大きな動きが始まる。
吐き気は頂点に達し、吐くというよりは「勝手に出てくる」感じで
エチケット袋にお世話になった。
このときはもう「来るんじゃなかった」と真剣に思った。
雨は降ってたし、たぶん、日食は見えないんじゃないか。
だったら、気持ち悪くなりに来たようなものである。
ホテルで寝てればよかったかも、と本気で思った。


しかし。
やがて船は浮島に着いた。
ちいさなポンツーンは、それほどキャパがあるとはおもえなかったので
私は船の上から日食を見よう、と心に決めていた。
船内では朝食の準備が始まっており、
その匂いからダッシュで逃げるようにして
私は船の階段を駆け上がって、外に出た。
すると、
晴れていた。




そして、少し待っていると
雲の中から、陽が昇ってきた。






既にこの段階で、左上が削いだように欠けている。
部分食が日の出と同時にスタートしていた。




まだ雲に包まれている。
でも、上に行くほど雲が薄くなる。
これは、見られるかもしれない!



雲から出た。



フィルタで見ると、もうここまで欠けている。


風が強く、船は揺れる。
カメラを構えても
もともと手ぶれの王様を自認する自分の身体に
更に色々な震動が加わって
被写体を捉えること自体、素手で雀を捕まえるみたいに大変なのだ。
フィルタも強い海風を受けて、バタバタ動く。
しかし、必死に手で押さえて、
執拗にシャッターを切る。
ブレブレの写真のオンパレード。
これがフィルムの時代だったら、諦めていただろう。
デジタルカメラ、すごい。


持っていったのはここ数年の相棒のCanonPowerShotと、
こないだ「都会の星」のときレクチャーを受けて欲しくなった、
RicohGR4だった。
でも
どっちも、ほとんど猫に小判状態(爆



脇を見ると
観測の船が並んでいた。






ここまで欠けてきた。


やがて、月は完全に太陽に重なり、
皆既が始まった。
ダイヤモンドリングに始まりダイヤモンドリングに終わる皆既は、正味2分程度。
体感では30秒ほどにしか思えなかった。


右下に輝く、まばゆいばかりのダイヤモンド、
そして漆黒の太陽と、それを取り巻く青白い炎のようなコロナ。
さっきまで明るかった空が暗くなり、
いつのまにか、大きな金星が輝いている。


船と浮島全体から悲鳴のような歓声が上がった。
にもかかわらず
光の荘厳な沈黙に圧倒された。
騒がしいはずなのに、音がなかった。
時間が止まっていた。
私たちの日常を包みこんでいる大きな嘘を
平然と暴かれたような感じがした。



ろくな写真は撮れなかった。



肉眼で見たところでは、
まん丸な黒い太陽が見えていた。
が、コロナがまばゆすぎて、つぶれてしまっている。
中心がかすかに黒いのが、わずかな痕跡だ。



これも同様。妙な具合に浸食されている。
太陽の光の「威力」を思い知らされる気もする。





皆既の短い時間が過ぎ、
やがて「第三接触」、2度目のダイヤモンドリングが出現した。


コロナが消えて、左上に、闇を切り裂くようなダイヤモンド。
アストロアーツの大熊社長が、
セミナーで「最も美しい」と言ったダイヤモンドリング



何よりも自分の目で見て記憶しようと思いつつ
苦し紛れにシャッターを切ったら、
こんなのが写っていた。




玄人が見たら笑うだろう。
でも私には、これが何よりの宝物となった。


この目で見たのは、こんな光景ではなかった。
丸い円の中はあくまで漆黒であり、
左上の光はあくまで鋭く、蛇の瞳のようだった。
でも
このカメラも、私と一緒に、あのほんのわずかな一瞬、
「あれ」を見ていたのだということが
ここに、痕跡のように、残った気がした。


部分食が全て終了するまでは、
私たちはここにいなかった。
船は少しして出航し、
行きよりはずっと穏やかになった海を何事もなかったかのように走って、
港に帰った。




船着き場の近くから撮った、朝の海。



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ほんとのダイアモンドリングはこんなかんじ。
http://www.astroarts.jp/photo-gallery/gallery.pl/photo/10840.html
それでも、肉眼で見たのとはやっぱりちょっと違う。



もしかしたら行くことになっていたかもしれない「アマルー」の観測地点では
空はずっと厚い雲に覆われていたが、
奇跡的に最初のダイヤモンドリングの時だけ、雲が切れ、
皆既を半分ほど、見ることができた、と、あとで聞いた。


晴れたこと、
海に行けたこと、
なんとなくツアーを見つけたこと、
幾つもの偶然がかさなりまくって、それを「見た」わけだが
だれだって、人生に起こる事はみんな
偶然がかさなりまくって、そこに起こっているのだ。



宿に戻ってから何気なくiPhoneでネットを見たら
衆院解散のニュースで持ちきりだった。
森光子さん死去、のニュースも大きく報道されていた。
食だったんだ、となんとなく思った。
因果関係ではない。
偶然である。
私たちは「偶然」という言葉の本当の意味を
意識して用いてはいない。
というか
私たちは「偶然」という言葉を使うとき
心の奥と頭の中では
違う定義でそれを用いているような気がするのだ。

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日食の間、電波が悪いなかでも
なんどかツイッターで「実況」できた。
反応してくださった皆様、ありがとうございました!