石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

手掛かりのない壁を

よじ登るような日々。





明け方の月と木星
・・・・木星・・・・・・・・。



右下にぼうっとあるのがそれです--;)




そして街角の星空。






なんかこういうものに目が行くのは
もう職業病のような感じになってきたな。。


そして来週私は
星を見に旅立つ(のでそれまでに原稿を




原稿をーーー!!!(涙目



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嗤われることはとても恥ずかしく悲しいことだけど
嗤ってる人が心のそこから嗤っているかというと
そうでもないこともあるとおもう。


人にあわせて嗤ってたり
嗤わないと恥ずかしいから嗤ってたり
そんなことはいっぱいある。
むしろ
はらのそこから嗤ったり笑ったりしてることのほうが
すくないかもしれない。


もちろん
腹の底から嗤ってるひともいると思うし
それに値するような恥ずべきことだってあるだろう。
もとい、
「笑い」は、かなりへんなもので
すごくいいものでもあるし
すごく怖いものでもあるのだ。
たとえば
「笑い」のないイジメってないだろう。
いじめる人間は、たいてい笑っている。
誰もバカにされていない笑いって
お笑い番組の中とかでも、かなり見つけるのがむずかしい。
「ドリフ」のコントでは、かならず強い立場のいかりや長介がひどい目に遭うことになってた
というハナシをどっかで読んで
それは、弱い立場にあっていじめられている人たちの気持ちを昇華するような意味を持ってたと思う。
だれだって、なにかしらどうにもならない強い力の下で、抵抗できずにいるところがあるから
抵抗できにくいものに抵抗する姿は、面白く感じられるだろう。
でも、もうひとつの「現実の世界」では
強い立場にいる人ならひどい目に遭わせて嗤ってもいいってことにはならないだろう。
先生とか、上司とか、強い立場にいるひとでも
とてもきずつきやすいものだろう。



嗤われたりバカにされたりするのがこわいからしない、ということって
けっこうあるとおもう。
たとえば、「好きな人に好きだと言う」とか。
でも
たとえ自分の言葉を聞いて
相手が嗤ってバカにした顔をしてみんなに言ったりしてお互いに口のきき方が不自然になって疎遠になってしまっても
相手がいつか
誰かに人格否定される勢いで怒られたり
あるいは、大失敗したり振られたりしたときに
心の奥から自分に「好きだ」と言われた記憶を引っ張り出して
それを前進のための微かな力にできるとしたら
どうだろう

想像したりする。




そんなにも相手を深く愛するなんて
たぶん、どんな好きな相手だろうと
不可能なくらい、難しいことなんだろうな。


たいていは
どんなに誰かを好きだと思っていたとしたって
それよりもはるかに
傷つきやすい自分の心のほうが大事なもんだろう。
傷つきやすい自分の心を全力でまもるためだけに
大好きなはずの相手をぐっさり傷つけるようなことだって
ちっとも珍しくないんだ。
それもまた
責められるようなことじゃない。
あたりまえのことだ。


でも、そのハードルの向こう側にしか
「愛し愛される」という地平はない。





「片思い男子へ。もし男友達が自分のこと好きだってまじめに言ってくれたら、付き合うかどうかは場合によるけど、言われたことは一生忘れないよ女の子って。何年たっても時々思い出すよ。そういった意味では、告白した時点で君は彼女にとって特別な人になれるんだよ。ひるむ理由、ひとつ減ったでしょ?
 瀧波ユカリ @takinamiyukari」
を読んで思った。
https://twitter.com/takinamiyukari/status/262193728859566080