石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

「傷つく」
という表現が
このところ、あまり好きな言葉じゃなくなってしまったのは
それがあまりに手垢にまみれてしまって
それが元々持っていた新鮮な意味への「直截さ」が
失われてしまったからなのかなと思う。



でも
「傷つく」
っていうのは
たぶん、大事な表現なんじゃないかとも、思っている。
「怒る」とか「悲しむ」よりも「傷つく」が辛いのは
傷を負った本人には
その傷をどうすることもできない
という点が
強調されているからだ。


「傷」は、
長い時間をかければ、ふさがっていく。
でも
「傷」を、いきなり治すことはできない。
「傷」は、自分ではどうにもならない。
「治せ!」とか「傷つくな!」とか言われてもどうしようもない。
自分自身、その傷を消しゴムで消すみたいに消したいワケなのだが
傷はそもそも「努力で消せる」ようなものではない。
傷の変化というのは
髪の毛が伸びたり身長が伸びたりするのとおなじで
自分の気合いや意志では、
「傷」は、どうにもならないのである。


縫い合わせたり、薬を塗ったりしないと
うまくふさがらないで、いつまでも膿んだり
ときにはその傷が原因で
命を落とすこともある。


かさぶたができても、
気になって自分の指ではがしてしまって
なかなか治らずにいつも血が出ていたり
それが跡になってしまったりすることもある。


気持ちに口を開けた「傷」は目に見えないので
本人もそれを自分がどう扱っているのか
解っていない場合も多くて
否応なく開きっぱなしの傷口から血が流れ出すままに
生活する力を失っていることもあるんだろう。


傷の痛みをごまかすための手段も
世の中にはものすごくたくさんある。
それは一時的に必要なだけだったのに
その「傷の痛みをごまかすための手段」に
いつのまにか自分の全部が支配されてしまうことだってある。


傷ついた心の悲しみと危険。
誰もが多かれ少なかれ
傷を負っている。
治してる最中の人もいれば
まだどうやって扱っていいのか解らずに
うずくまっているだけだったり
痛み止めを濫用したりしてる人もいるだろう。



私がかつて傷つけた人の傷は今
ふさがっているだろうか。
いつか謝る機会は来るだろうか。
それはその人の傷にとって
今も必要だろうか。



私の中の傷は今
どうなっているんだろう。

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インタビューシリーズでTさんが言ってたことを思い出す。
お祖母さんの最後を看取り、
治っていくおばさんの介護を引き受けたTさんは
「死んでゆく人の介護と生きていく人の介護はまるっきりちがう」
と言った。
「死んでいく人は、たった身体の1カ所がダメになってそれがもとで死んでいくけど、
身体のダメになった1カ所が何倍にもなって、生命力が大きくなるのね、生きていく人は」
と言った。


傷が何倍にもなって、生命力が大きくなる。
ほんとにそういうことがあるんだろうか。


遠い過去に背負い込んだ傷のあるあたりを探ると
なにか重たい、黒々とした、石のようなものがあって
それは硬くはなくてグニャグニャとしていて
でんとしていて
私はそれに寄っかかって生きているようなところもある、ような気もする。


気のせいかもしれないが。