石井ゆかり@筋トレのブログです。
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罪と罰

本当に徹底的にひどい目に遭ったときは
堂々と、それに反発できる。逃げることもできる。


でも
「これは、ガマンする人はガマンしてしまうのでは?」とか
「本当は自分の方に非があるのでは?」とか思えてしまうような、
ごく微量の理不尽については
それをはねのけるためのアクションを起こしにくい。


そうやって
「ハッキリ反抗するには微妙すぎる理不尽」を
日常のくり返しの中にひそかに、
砂を薄くかぶせるみたいに隠し続けていった先に
社会も驚くような大きな破綻が引き起こされる、ことがある。


怠慢や欺瞞もそんなところがある。
「このくらいは大丈夫だろう」
「このくらいはみんなやっている」
というふうに、日常の中に紛れ込ませていった結果
それがいつか、大きな破壊力を持つことになる、場合がある。


それとは逆に
どんな小さな不愉快も
どんな小さな怠慢も
決して許すことができない、という人もいる。
完全な清浄や正義や公平を求めて、その結果
あらゆるものとの交流が途絶してしまったりする。
「モンスター」と呼ばれることもある。


定量できない理不尽や怠慢。
それらに、どんなふうに反応すればいいのか、いつもよくわからないんだけど
「罪悪感」って難しいものだと思った。
マンガのワンピースに
「罪悪感は、人を弱くする」みたいなフレーズがあったのだが
たしかに、そういうところがある。
一切の罪悪感を抱かないように見える人はモンスターのように怖いが
罪悪感によって、戦うべき相手とも戦えなかったり
逃げなければならないときに、逃げられなかったりする人もいる。


ある事故で、子供をなくした人が
何年も自分を責め続けて、罰し続けているのを、目にしたことがある。
その人が原因じゃない、と、誰もが知っているのに
その人は罪悪感の檻の中で暮らしつづけていた。
まるで、罪悪感が、その人を見えないなにかから守る鎧になっていて
世界の全てをはねつけているみたいにも見えた。
「許してもらいたくない」とその人は言った。
その気持ちがなんとなく、わかるような気もした。
それは、「怒り」に似ているんじゃないかと思った。


罪悪感ってなんだろう。
「原罪」からはじまる、ふしぎなものがたり。
生まれながらに「性悪」な私たち。
最初から私たちを許さない世界に
私たちは生まれてきたってことなんだろうか。