石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

儀式


昨日、こんなのをみつけて
http://www.youtube.com/watch?v=ClAwQYzpENI
五回くらい見た。
芸の力ってすごい(涙
きらいなひともいるかもしれないが、私はこれは気に入った。


これは「ドリームガールズ」とゆーミュージカルのなかの一曲で、
ビヨンセの主演で映画になった。
ジェニファー・ハドソン
http://www.youtube.com/watch?v=QsiSRSgqE4E
このシーンはもう、すばらしいのひとこと(涙
これの、エアヴォーカル(っていうのか?(ああ、リップシンクっていうのか?)である。




この映画を最初に見たのは飛行機の中だったのだが
あとで、DVDで何回も見た。
以前「仕事中目が乾いて辛くなると見て泣いて目を治す映像」のことを書いたが
実はこれがそうだったりする。


自分を捨てる男に逆ギレ気味になきわめいて取りすがる、
やぶれかぶれのかっこわるい歌なんだけど
そのかっこわるさというか、やぶれかぶれが突き抜けきったところに
不思議な後光が射してくる。
殉教者のような透明感が生まれる。
「水底にたどり着いた人」
というイメージがうかぶ。


たぶんこんなふうに泣きわめきたくても
だれだってこんなシーンでは
「そんなことしてもしかたがない」
ということが解っているわけで
相手も困るだけだし、
余計に嫌われるだけだし、
だから、しない
というのが、まあ、一般的というか
大人の対応、なんだろうと思う。


どっちみちもどってこない、というのは
このシーンのエフィだってわかってるんだよなと思うのだ。
でも、これをやらないではいられない、
やらざるを得ない
というのは
儀式みたいなものなんだと思う。
儀式というのは、
特にそれをおこなったからとて
なにか現実的な効果が得られるわけではない。
だけど
実質的にはなんのためにもならないそれをやらないと、
その場所を通過することができないんだろう。


私はこれをたぶん死ぬまでやらないだろうと思う。
でも
だからこそ
徹底的にそれをやってくれているこの映像が
どうにも手放せないお守りみたいなものになってしまうのだろうと思う。
これは、特定の誰かに対してどうこう、というのではなくて
単に、あらゆる人生の局面において
「何かを失う」
ということについて、である。


だれもが徹底的に、日々、何かを失い続けて生きている。
人もものも、立場も力も、どんなささやかなものでも、どんなだいそれたものでも、
なにもかも、一度手に入れたらいつかは失われる。


その喪失の前で
彼女が渾身の音楽の中で身もだえしてくれている、
それを私のかわりにやってくれている、
私はそれを何度も見て何度も泣いて
それで
いつか
喪失を自分の血肉にできるんだろう。


渡辺直美の芸がなんですごいとおもえるのか、自分で分析的には解らないのだが
最初はあきらかに「まね」で、ちょっとぎこちないんだけど
だんだん、音楽の「中」に入っていってしまっていて
そこになにかしら「ほんとう」がにじみ出てきてしまう、
その否応なさが「すごい」んだろうという気がする。
最初は「どうやってやってるんだろう?」という、
ある種技術的な興味で、ぎゅうっとひきつけられるんだけど
いつかそれを忘れて
この人がほんとに歌ってるんだと思ったっていいや
と思えてくるのが面白い。



悲しみが徹底的に救いようもなく突き抜けきった先に見えてくるものは
それを緩めたり許したりするような、安易な「希望」ではないんだろう。



そこにあるのは、名前をつけるとするなら
慣れとか、着地とか、そんな感じなのかもしれないが
それは
悲しみ尽くす前に想像したようなものとは全く違う。
ぼうっとひかる春の雨上がりのような
空っぽだけど濃密な、ある種の「空気」だ。