石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

心の中の避難所


マイスピさん、MYLOHAS.netさんの企画で、
おととい、鏡リュウジさんと対談をさせていただいた(近日公開予定)。
春分図」がテーマで、鏡さんとお話しさせて頂くときはいつもそうなのだが
勉強になることがたくさんあった。


日ごろは人と会ったり話したりすることもなく、一人でやっているので
あまり意識にのぼらないんだけど
鏡さんとたまにお話しする機会を頂くとかならず
自分の勉強不足っぷりに、ブルーになる--;)
というか
ちゃんと勉強しなければ…と痛切に思う。



その帰り道。


対談の内容とは関係ないのだが、
ふと、鏡さんのメールマガジンにあった
「シッダールタ」のことを思い出した。
メルマガ読者からの「ご専門以外でお好きな本を教えて下さい。気楽に読めるものを。」という質問に答えて、
「専門以外で」という部分は留保されつつ(この留保の気分はすごく共感…あんまり境目ってナイのだよな…)
「あえていうとヘッセの『シッダールタ』とか。これは一種瞑想的な気持になれる本です。」
と回答してらしたのだ。





「…おまえの心の中には静かな場所が、避難所がある。
 その中へおまえはいつでも入り込んでくつろげるのだ。
 (中略)
 誰でもそうすることができるのに、それができる人はほとんどいない」





この本の中で、
私は、このくだりがいちばん好きだ。




これは、この小説の主人公・シッダールタが、
彼の愛人であるカマラーにかたった言葉で
彼らはこのあと、痛烈なまでに徹底した別れを選び、受け入れる。



このくだりには、個人が個人であるために必要な
どうしようもない断絶がうたわれている、という気が、いつもする。
これがあるからこそ
シッダールタが彼女のもとをすっと離れたことが
ごく当然のこととして受け止められる。
彼の甘えではない、と思うことができる。



心が折れる」とか「心が傷つく」とか「胸が破れる」とかいう表現を
私たちは日常的に用いる。
たしかにそういう感覚があるから、そう言うのだ。
心がぼろぼろになったり、心に大穴が空いたりする感じは、
ちっとも嘘ではない。
心はくしゃくしゃになったり、スカスカになったり、ちみどろになったりする。


だが、その一方で、
「月が満ち欠けしても、月の本当の形は変わらないように、
 心がさまざまに形や色を変えて痛み尽くしても
 本当の心の形はかわらない」
と、「禅語」の世界ではくりかえし、語られる。


満ち欠けすることも事実だけれども
丸いままの形であることも事実だ、ということなんだろう。


たしか、スコット・ペックの著書だったと思うが
「大人は、他人の言葉に傷つけられないという権利を持つ」
というような文章を読んだことがある。


他人の言葉に傷つけられない権利。
これは、他人が自分を傷つけるような言葉を言うことをさまたげる権利、ということではない。
何か言われてもそれを真に受けないとか
心の中にまでそれを入れない権利、ということだとおもう。


これは「権利」の話であって、能力の話ではない。
なにか些細なことを言われても、
私たちの心は容易に、ぐっさり傷ついてしまう。


心の中の避難所をもつこと。
「誰でもそうすることができるのに、それができる人はほとんどいない」。


これは
傷つかないでいる
ということなんだろうか。


それとも
切り裂くような痛みとともに、心が血を流すのを感じながらも尚
心自体のありかたを見失うわけではない
ということなんだろうか。



小さな悲しみや苦しみが、誰の生活にも、にわか雨のように降る。
時に、耐えがたい大きな悲しみが、世界中を真っ黒に塗りつぶしてしまって
私たちを閉じ込める。


「避難所をもつ」ことは
この小説の中では
非常にすぐれたこととして描かれているように見える。


苦しみとつきあうことは難しく
ほとんど力尽きてしまうこともあるけれど
そういうとき
この小説の、この一節は
ときどき、蜘蛛の糸のように思えたりする。