石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

七夕



紫陽花がきれい。




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今日も今日とて、ちょっとメモ。



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「前回の私のツイート「さあ次はみんなで何しようか、と家族に。3.11以降で聞いた最高の言葉」は、本当にたくさんの反響とRTをいただきました。そのことも含めてブログ更新しました、「早尾:緊急、原発震災関連」http://t.co/csRSpG0「最高の言葉と最低の言葉」 @p_sabbar 」


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「「74人が避難」「シーツも震災以来、一度も替えることができていません」[880]南相馬市立石神第一小学校 - 支援している避難所 | ふんばろう東日本支援プロジェクト http://t.co/70bXKZJ via @saijotakeo @sophiaberry_ 」


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福島原発の関するリンク集 http://bit.ly/eUa4Sv 」



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「ある大学でこんな授業があったという。「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。「本当に?」…
 http://wasara.tumblr.com/post/6523275030 」


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「2年程前の「七夕」の日に、家に飾られていた家族の願い事の写真。... on Twitpic http://bit.ly/mFsJpC わろたwwwこんな家族いいなぁwww @ichiwwwww」




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「生かされている」という言い方があって
それを喜びや恵みとして受けとっている人もいる。
でも
「生かされている」が自分にとって
断り切れない任務のような意味で感じられている人もいる。
「やらされている」
「生きさせられている」というのに近い。
これもまちがいではない。


生かされる喜びをうたう人もいていいと思う。
同じように、
死ねずに、死なずに、デフォルトのまま「生きさせられている」人の気持ちもまた
汲まれるべきだと思う。


何かを強いられてそれを引き受けるのが度量や勇気や責任感や自己犠牲を払うことなのだとすれば
生きさせられていて生きていることは
道徳に照らせば、美徳にあたりさえするだろう。


うれしくてやってるならそれはそれでいい。
辛いのにもかかわらず、やっているなら
そこに「○○のために」という明示的理由なんかなくとも
そっちのほうが、タフだ。
そこには「なぜ生きるか」は、ない。
「どう生きるか」しかない。
そして、「どう生きるか」は、ほんとうに、
どうでもいいのだ。
こういう生き方がイイとか悪いとか、そんなのはどこにもない。



今日は七夕だ。