石井ゆかり@筋トレのブログです。
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東日本大震災津波を絵手紙に…母失った小学生の兄弟 - 毎日jp(毎日新聞)
http://t.co/2L2LQ1c via @mainichijpnews


かなり前にご紹介した、この記事。
この絵が、なんだか、すごいと思った。
津波を、大きな怪獣で表現している。
ちいさな子供がこの絵を描いた。


こどもからこの絵を引き受けてきたのは、プロの紙芝居師・金谷さんだ。
金谷さんは被災地に行き、避難所で紙芝居をしているうち、
子供達からたくさんの絵を託された。


あの怪獣の絵に心を強く惹きつけられたので、
金谷さんの名前をぐぐったら、
http://ameblo.jp/hakko-bunka-ouendan/entry-10887149775.html
こんな記事が出てきた。
亀戸で金谷さんが、被災地で体験したことを話してくれるというのだ。
どうも気になって仕方がなかったので
WAVE出版の飛田さんにも声をかけて、行くことにした。



亀戸で降りたのは初めてだったが
勝運商店街までの道のりがとてもおもしろかった。
演歌専門のレコード屋さんで、演歌歌手の方がインストアライブをやっていた。
ファンの方が店の外まで溢れていた。
酒屋さんや肉屋さんなど、古いお店が結構残っているし
店の中までハトがわんわんいる豆屋さんもあった。
折しも日曜日で、警察が交通安全のイベントをやっていた。
「酔っぱらい体験コーナー」というのがあって
一杯飲めるのか??と思ったら
きらきらしたレンズのはまったゴーグルを着けさせられた。
飲んで酔ったときの「視覚」が体験できるのだ。
飛田さんはお酒が飲めないので
「えええ???酔っぱらうとほんとにこんなふうになるんですか?」
と、どストライクなリアクションをしていた。
確かに、近い感じになる。
ほろ酔いバージョンと泥酔バージョンがあったが、
両方かけてみて、自らの豊富な経験に照らしてみるに
なかなかのものではないか、はっはっは、やるなおぬし
と思った。
おもしろいので機会があれば是非どうぞ。



飛田さんとぶらり旅をしつつ、会場に向かった。
勝運商店街は、香取神社につながる古い商店街とのことだが、
最近まですっかり寂れていたという。
これを復活させようと、ここしばらく頑張っており、
「休日の昼飲み」をプッシュしたりして(万歳)
活性化の気配があった。
角ではいい感じで人々が陽光を浴びつつ飲んでおり
屋台もちらほら出ている。
この商店街の中程にある、
ご主人が脱サラしてはじめたという居酒屋、発酵文化応援団が
http://www.kame3katori.com/koten_1.html#inshoku4
このイベントの会場だった。


私達は香取神社にお参りすると、
「観客席」として用意された座席におちついた。
金谷さんは60代の背の高い、グレーの髪に帽子を被った、
飄々とした中にどこかユーモラスな感じを備えた方だった。
「10周年写真展」にご来場下さった方は覚えていらっしゃると思うが
写真家の相田諒二さんに似ていた。
金谷さんはまず、紙芝居「黄金バット」を名調子で力強く演じ、
そのあと、被災地でのお話をしてくださった。



金谷さんも、被災地に行こうか行くまいか、かなり迷ったという。
こんなたいへんなときに、紙芝居でもないだろう、と思ったそうだ。
でも、結局、車に紙芝居と水飴(昔の紙芝居には必ずみずあめがついたのだ)を積んで、
東京から石巻に出かけていった。


最初に行った避難所では、避難者は300人くらいで、
いろんな地区から来た人が集まっているところだった。
避難所は場所によって本当に、状況も空気も違うらしい。
ここは、別々のコミュニティから人が集まっている分、
どこかよそよそしく、まとまらず、噛み合わない空気が漂っていた。
幸い、紙芝居を許可してもらい、
すみっこではじめることができた。
集まってくれたのは小学生が3,4人。赤ちゃんを抱いたお母さんもいた。


紙芝居をはじめると、
1人の男の子が、いたずらをはじめた。


「悪ガキが騒ぎ出しちゃって、1人やると誘発して2人、3人って騒ぎ出すんだね、
棒で紙芝居をつついたり、周りをぐるぐる走り回ったり、
後ろから蹴り入れてきて、それで走って階段を上って逃げていくんだよ、
しまいには、置いておいたお菓子をもってっちゃったりしたので
仕方がないから、大きい声で怒ったら、びっくりしてどっかいっちゃった」
普通は、また来て会って話したりして、関係を修復できるけれど、
この被災地行脚は「一期一会」に近い。
「だんだんに関係を作る」ということができない。
「これでは、怒っちゃったことだけが伝わっちゃう、と、胸に残っちゃった」
金谷さんは自分の胸を親指で突きながらそう言った。


1晩を駐車場で過ごし、
次の日は別の中学校に行くと、
こんどは放送で紙芝居のことを周知してくれて、
子ども20人、大人10人くらいの観客に大変喜ばれ、
水飴とかシャボン玉などを配って、ここは、平和に終わった。


でも、昨日の子のことがどうしても気にかかった。
そこで金谷さんは、
翌日、最初の避難所にもう一度行ってみた。


車を止めて様子を見ていると、
なんと、昨日のいたずらした子が、
石を蹴っ飛ばしながら歩いてきた。
金谷さんは彼に
「おい!水飴食べないか?」
と声をかけた。
すると、彼は寄ってきて、昨日の分も、と、2つ水飴を食べた。
二人でひなたぼっこしながら、金谷さんは
津波はどうだった?」と聞いてみた。
すると、
「うちが流された」とのことだった。
お母さんは大丈夫だったか、お父さんはどうしたの、と、さりげなく聞いたら
津波の前の晩にお父さんはお金のことでケンカしてそのまま別れちゃったからわかんない」
と言った。


被災地の紙芝居の旅の最初に
この「洗礼」を受けて良かった、と金谷さんは言った。
耐えがたい悲しい経験と、
ギスギスした空気の中の避難生活。
目に見えないものが子どもの内側に積み重なって、
それをコントロールできずに、暴れてしまうのが当然だった。
「こうしたストレスを、子どもは背負っちゃってる」。
そのことを、殴られるように実感できたのだ。


この子とあれこれ話していたら、
昨日紙芝居を見てくれた子達が集まってくれて、
自分たちも紙芝居をやってみたい、と言い始めた。
金谷さんは、クレヨンやペンなどの画材と、
紙芝居用の固い厚紙を持ってきていたので
それを子供達にわたした。
別に、津波地震のことを描いて、と言ったわけではない。
「なにを描いてもいいよ、昨日見た夢でもいいし、描かなくてもいいし、何にでも使いな」
と渡した。
すると、子供達は
「描いてくるから待ってて」
と言って、30分くらいして戻ってきて、描いた絵を見せてくれた。
そして、また「紙芝居やらせて」などと言ってくるのだった。


そのあと、移動の準備をしていると、
バレー部の女の子達が車のそばに集まってきた。
避難所がある中学校でも、ちゃんと部活の練習が行われているのだ。
彼女たちに、水飴でも食え、といって水飴をあげると、
「おじさん紙芝居やってたの?」と、興味を示し始めた。
「そうだよ、紙芝居のおじさんだよ」と答え、
よかったら紙と絵の道具をあげる、と言うと
彼女たちは
「わたしたち、紙芝居なら作れるよ」
と言った。
そして、誰の家で作るか決めようと、ジャンケンを始めた。


金谷さんは、
「明日、東京に帰る前にここに寄る」と
彼女たちに約束をした。
でも、描けなかったら気にしなくてイイからね、ムリしなくてイイからね、
と念を押した。


そして、また次の避難所に向かった。
アポなしで、カーナビを頼りに、学校を探して行くのだった。
途中で、あるはずの道がなかったり、道ががたがたで通れなかったりした。
やっとの事でたどりついたところで、
「アポなしではむりです」と断られたりした。
そんなこんなでやっと、紙芝居をやらせてくれる避難所にたどりついた。


今度の所は、子どもがわっと一杯集まってくれた。
金谷さんは、自分では、紙芝居を演じているところを写真に撮れない。
でも、この日は、たまたまいた東京消防庁のレスキュー隊が
写真を撮ってくれた。
ここはとても和やかで、楽しかった。


紙芝居を終わって片付けていると
6年生くらいの子が来て、残念そうに「終わっちゃったの?」と声をかけてきた。
例によって水飴をあげると、片付けるのを手伝おうとしてくれた。
金谷さんは彼に、12色のペンと紙をあげようとした。
すると、
「僕は文章は書けるけど絵は描けないんだ、
でも、弟が絵が描けるから、呼んでくる」
と言って、呼びに行った。


体育館の入り口の所に、学習机があって、
弟くんはそこに紙を置き、
金谷さんいわく「もう、岡本太郎流だよ」という大きなアクションで、
夢中で絵を描き出した。
みていた周りの人たちがわあっと笑うほど、
それは、すごい光景だった。
弟が描いた絵をみて、お兄ちゃんは
「なんだ、怪獣じゃん!」と言って、
文章を添えた。


「ぼくのお母さんは津波で死んでしまいました。
 けど、ぼくはこれからもがんばります」


弟が描いた怪獣の意味が、
何にも言わなくても、お兄ちゃんにはわかったのだった。


これが、新聞記事で紹介されていた、あの絵だった。



弟くんはさらにもう1枚、絵を描いた。
それは、津波をせき止める大きなヒーローの絵だった。
「つなみストップ」
「むてきのバリアー」
という大きな文字が、絵の中に書き込まれた。
このヒーローはほんとうに、津波をうけとめられるような
おおきなヒトデのような、縦横に広がれる柔軟なカベのような姿をしていた。
両手を大きく拡げて、津波に敢然と立ち向かっていた。
お兄ちゃんはそこに、ぐりぐりと太いゴシックの文字で
「つなみのバカヤロー」と記した。



怪獣のような、不可解で圧倒的な暴力が襲ってくる、
それを「むてきのバリアー」で受けて立つ、
ちいさなこどもの心。



しばらく目を離すことができずに、絵をじっと見ていると、
強い悲しみと、悲しみとは違う別のなにかが、胸に湧いてきた。



飛田さんはこの2枚の絵を見て
「両側から描いてるんですね」と言った。
津波が襲ってくる絵と、津波を受けて立つ絵と。
たしかにそうだった。
津波を見る目が、片側からではないのだ。





翌日は金谷さんの予定していた行程の最終日だった。
この日に行った避難所は、
数日前にタレントのコロッケが来たというところで、
体育館には畳が敷かれていて、
避難所の中でもずいぶんよい雰囲気のところだった。


避難所の体育館では寝ている人もいるだろうし、
どこか外か隅っこでやりたかったのだが、
「芸能人の方もたくさん来ているし、みんな慣れているからどうぞ」
ということで、体育館でやることになった。
「正直、芸能人がやってるようなとこでは、いやだなあと思いました、
そういう人たちにはやっぱり、かなわないからねえ」
と金谷さんは苦笑いした。


すると、漁師だというお爺さんが、声をかけてきた。
「昔はよく紙芝居の人が回ってきたんだぞ!
昔の人はほんとに名調子だったよ、
あんた上手くできるのかね、
俺が評価してやっから、
俺がフイと横を向いたらヘタだってことだよ」
これはキツい。
お年寄りがたくさん見てくれている中で、
金谷さんは「黄金バット」をやった。
幸い、観客は大喜びで、盛況のうちに無事、終わり(件のお爺さんは横を向かなかった!)
子供達に水飴をあげているうちに、
集まっていたおとしよりたちは皆、戻っていってしまった。



しかし、金谷さんは、
お年寄りのほうが、水飴は懐かしいんじゃないか?
と思い、「水飴いりますか?」と聞いてみると、
みんな手を上げるではないか。
配って歩くと
「水飴なんか50年ぶりに食べた、
縁日なんかで欲しいなと思っても
大人だから我慢してたのよ」
と笑ってくれた。


帰りに、「お騒がせしました」と挨拶したら
体育館がスタンディングオベーションとなって、大きな拍手で見送られた。
金谷さんは
「これからは、絶対水飴だと思った」と笑った。
「だって、コロッケなんかにかなうわけないじゃないですか」と。
いや、かなったんだ、と私は思った。


帰りがけに、昨日の、バレー部の女の子達がいた中学校に寄った。
女の子達がもしかしたら、
紙芝居を描いてきているかもしれない。
車を止めて、ちょっとトイレに行って戻ってくると、
あの子達が紙芝居を持って待っていてくれた。
手紙を持ってきてくれた子もいた。


作品には、地震が起こってから今に至るまでの一部始終が描かれていた。


きちんと紙芝居の形に作られた、力作だった。
いかにも中学生の女の子らしい絵だったが
描かれていることはリアルだった。
車があちこちで爆発音を出す絵、
血を流した人々が流されていく絵などが
冷静な事実として描かれていた。
3月11日は東北では冬だ。
地震の直後からの画面には、絶え間なく雪が降っていた。
これを見て、
彼女たちがまさに津波を目の当たりにしたこと、
テレビの映像に映らないものがたくさんたくさんあって、
それを彼女たちはありありと見つめていたのだということが
冷水を浴びせられるように、伝わってきた。



そして
彼女たちが一番嬉しかったのはなにか、ということもまた、
そこに生き生きと表れていた。


一番嬉しかったのは
電気と水道が通ったことだった。
「無い」という不自由が、「有る」に変わったときの喜びが
かがやかしく描かれていた。


作品は
「この千年に一度の地震を経験して、良かったと思います」
と結ばれていた。


金谷さんは、これを見たとき
「宝物を見たと思った」。


子供達が描いた津波の絵を机の上に並べて、
金谷さんは一枚の絵を指さした。
「これ、何だと思いますか」
見ると、色々なものが流されていく中に、
なにかまるいものが描かれている。
丸の中に、楕円のようなもの、そしてその中央にちいさな丸いもの。


私達は誰も解らなかった。
金谷さんが教えてくれた。
「これは、赤ちゃんを抱いて流されていくお母さんの絵です。
これを説明したくて、子どもが丸で囲んだのです」と。


子どもの心は動いている、と金谷さんは言った。
大人がフィルターにかけたり、フタをしたりして
出てこなくなっちゃってるけれども
子どもの心はこんなにも動くんです、と
金谷さんはくり返し言った。