石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

MYLOHASさんの記念イベント、あまやゆかさんにインタビュー。


12日、マイロハスさんの新ブログ「Happy Study Blog」の起ち上げ記念イベントに招かれて
あまやゆかさんトークライブをしてきた。
ちょうどこの直前に、マイロハスさんは登録会員が10万人を突破したところで(おめでとうございます!)
2重に「記念」のイベントだなあと思った。


・あまやさんブログ、本記事へのコメント
http://ameblo.jp/amaya-kimono/day-20100914.html


・MYLOHASスタッフさんより、当日の模様レポ(写真いくつかあります)
http://www.mylohas.net/study_blog/2010/09/post0914.php






事前に
あまやさんと何を話そうか
と考えて
「そうだ!例の『インタビュー』をやってみよう!」
と思いついた。


星占いの現場で非常にしばしばでてくるテーマに
天職、適性、仕事
というのがある。
星占いでも一応、「仕事」という考え方はあるのだが
「私ってどんな仕事が向いているんでしょう」
と聞かれたとき、
仕事とは何か
天職とは何か
ということがまず、問題になってくる。


彼女の話を通じて、そんなことを考えられるんじゃないだろうか
と思った。
その話はきっと、私だけじゃなくて
来てくださった皆さんにも面白いだろう、と考えた。
その話は、MYLOHASさんというサイトが目指していることにも
合う気がした。




当日、
彼女はごく淡いピンク色の、リボンの柄の着物に、紫がかったあざやかなピンク。
私は藍色の着物に、白地に赤い縞の入った帯。
二人とも木綿の着物でならんで座った。



私は壇上でふつうにメモを取らせてもらい(私はレコーダーを使わないのでこれをしないとあとで記事に出来ない)、
彼女のお話を一時間弱、
参加者の皆様と一緒に、たっぷりと聞かせてもらった。



以下、インタビュー。



      • -


あまやさんは、J-WAVE等に出演している、
フリーのアナウンサーだ。
でも同時に、
「キモノコミュニケーター」の肩書きで
オーガニックコットンの着物を販売・紹介する仕事もしている。



最初に、彼女が私にメールをくれたのは
「石井さんの占いを朗読したい」
という、打診だった。
これに応えて、彼女に初めて会ったとき、
彼女は
「私は今アナウンサーをやっていますが、
 昔は女優になりたかったんです」
と言った。
そして、アナウンサーという仕事について、
「アナウンサーというのは、いわば『額縁』のような仕事なんです」
と説明してくれた。


アナウンサーは、原稿を読む。
あるいは、人にインタビューしたり、情報を伝えたりする。
額縁と絵画の関係のように、
「伝えること」が「伝える行為」の真ん中にあるわけだ。
だから、「額縁」。
絵が見えなくなってもいけないし、
絵より注目されてもいけない。
絵よりも額縁が目立つようなら、その額縁は「絵にあっていない」ので、
マチガイということになる。
それでも、額縁は美しくなければならない。
絵を守り引き立てるものでなければならない。
額縁がきれいで立派だと、絵もその迫力やインパクトを増す。
なにより、受け止める側がそれを受け止めやすくなる。
たぶん、意識がその額に納められたものに、自然に集中する。


なるほど、と思った。


彼女はほんの小さい頃から、女優さんになりたかった。
「将来の夢は女優さん」
が、子供の頃から決まっていた。
いつか東京に出て女優さんになるんだ、という少女らしい夢を持ちつづけ、
本当にそれを叶えるべく、大学進学に合わせて上京した。
そして、女優を目指して、しばらく演劇をやった。
でも、やっているうちに、あることに気づいた。


「私は、お芝居はそこそこうまくできたんです。
でも、いわゆる『大物』と言われるような女優さんとは
何か違う、と気づいたんですね。
そういう女優さんは、たとえば舞台に立つと、
あるときなにかが「ぷちん!」と切れてしまったように、
思いがけない表現ができたりするんです。
我を忘れるというのか、
その役の中に入りきってしまうというか、
そういう瞬間があるんです。
でも私は、いつも、それがないんです。
いつもどこか、冷静な自分がいるんです。
我を忘れられない、というのか、
なんとなく自分や周囲を、
クールに、客観的に見てしまっているところがあるんですね。
女優として食べていく、ということを、
卒業近くなって、真剣に考えたとき、
これはどうも、向いていないかもしれない、と思ったんです」


この話をきいて、私は以前、劇作家の阿藤智恵さんにきいた話を思い出した。
阿藤さんも女優志望だったのだ。
でも、彼女も、あるとき気がついた。
「俳優になれる人種というのがあるんです。
 彼らは、舞台の上で光合成するんです」
と言っていた。
彼女はそれに気づいて、女優から劇作家に転向した。
その感じと、これはなにか、似ているのかもしれない。


あまやさんもまた、そこで
「職業選択」をした。
答えは「アナウンサー」だった。


「アナウンサーは女優とは逆に、
そういう冷静さが求められるんです。
特にアナウンサー学校に通ったり、という準備もなく、
アナウンサーの試験を受けて、地元で就職しました」


そこで五年ほど福井放送のアナウンサーをやったあと、
彼女は再度「上京」した。


「私はなぜか、1つのことを三年やると
『で?』
ってなるんですね。
石の上にも三年、じゃないですけど、
三年やるといろんなことがわかって、力もついてくるじゃないですか。
そうすると、この先五年、十年、と考えたとき
『この先これをずっとやっていくのか? 
いまここで得た力を、このことだけのためにずっと使っていくのか?』
って思えて来ちゃうんです」


彼女は、特に伝手があるわけでも何でもなく、
一年生活できるほどの貯金だけを頼りに上京した。
そしていくつかオーディションを受けて、いくつかの仕事を経て、
東京でフリーのアナウンサーとしての仕事を軌道に乗せた。
彼女はさらりとその経緯を説明してくれたが
たぶん、いろんな障壁や困難もあったはずなのだ。
何かに守られていたわけではない。
徒手空拳でチャレンジしてきたのだ。


彼女の物腰や表情からは
そういうアグレッシブな雰囲気は全く感じられない。
ふわっとしてかわいらしく、
リラックスして、
でもよく見ると、堂々としている。


この「堂々としている」感じは
虚勢を張っているとか、偉そうにしているとか
そういうのとは全く違うのだ。
牡丹の花が可憐でありながら堂々としているように
向日葵が健気さを感じさせながら堂々としているように
そんなふうに、堂々としているのだ。


たぶん、ガツガツ汗をかいてこの世界に立ち向かってきたわけでは
彼女は、ないんだろう、と思った。
いろんな苦労もしたけど、でも、
花のように堂々としていたのだろう、と思った。
風に吹かれれば揺れるし、雨が降ればうなだれるけれども
でも、花として咲くことをやめなかったのだろう、
という感じがした。
花は花として咲く権利があるのだ。
どうして余人にそれを傷つけることができるだろう。


彼女はいつも同じ強さで、やわらかく笑っている。
私の声はものに怯えて
強くなったり弱くなったりする。


東京でもまた、三年ほど経つと、
『で?』
という思いが湧き出してきた。
彼女はステージではなるほど、どこか冷静なのだが
それでもやはり、「自分の力や輝きで勝負したい」という気持ちの強い人なのだった。
「だれでもいいような仕事ではなくて、
あまやゆか、で勝負できるような仕事がしたいんですね、たぶん。
五年十年経った後で、あまやゆかさんのハナシだから聞きたい、って言われるように、
そんなふうになりたい、と思うんです」


そんなとき、
仕事でたまたま知り合った、NPOの関係者が
あるとき、着物を着て現れた。
素敵だな、と思って話を聴いたら
「着物は着ちゃえばいいのよ、毎日着ちゃえば楽よ、
いつも着物着ていれば、周りも『あの人は着物の人だ』って思ってくれるし」
と言われた。
なるほど、と思った。
それがきっかけで、まず、着物を着るようになった。


「アナウンサーの仕事は、とても好きで、
それも、ずっと続けていきたいと思ってるんです。
でも、その一方で、
自分自身が注目されたい、というか
自分でなければ、という仕事をしたい気持ちもあったんですね」


最初、女優さんになりたかったんですもんね、
アナウンサーが額縁なら、女優さんは「絵」のほうじゃないですか、
その転向には、ギャップがあったんだろうなと思うんですけど。
と私が問いかけると、彼女は
「そうそう、だからその鬱憤が、
この、着物のほうにいったのかも」
と、笑った。



私は、あまやさんに会って彼女の仕事を知るようになってからずっと
不思議に思っていたことがあった。
それは、
元々アナウンサーなんだから、着物に興味を持ったんだったら
着物ライターとか、取材者になって情報発信する、というほうが
ずっと自然なのに、ということだった。
なぜ、敢えて、会社を立ち上げて着物を販売することにしたのだろう?
在庫を抱えて、売る、ということを始めたんだろう?


それを聞くと、彼女はこう応えた。


「最初は、取材して回っていたんです。
いろんな工場とか、製造者の所を回ったりしていました。
そしたらあるとき、京都で絹織物を扱っている方に言われたんです。
綿なんて、作るのにどれだけコストがかかるのか知ってるのか、
農薬を使いまくって、土壌汚染もひどくて、日本では自給率はゼロなんだ、
木綿の着物がいいとか言ってるけど、
そういう現実を知らないから言えるんだ、と。
だから絹の方がいい、という話で、
私の『木綿の着物がいい』という考えはいわば、全否定されたようなわけです」


「それで、私は
『じゃあ、オーガニックでやればいいじゃん!』
と思ったんです。
木綿がいい、というのはどうしてもそう思えたから、
最初は、オーガニックの糸を扱ってる会社さんと、
取材で知り合った木綿織物の業者さんを引き合わせて
オーガニックコットンで着物の反物を作りませんか?と、
話を持ちかけました。
できたら、プロデュースとかデザインとかやらせて下さい!
というくらいのノリだったんです。
でも、木綿の着物なんか、ただでさえ着る人は少ないし、
取り扱う小売店も少ないし、で、なかなか話が前に進まなかったんですね。
そこで、もういい!となって、
『私がその糸を買って、商品作って自分で売ります!』となりました。
自分で会社を作って、小千谷の工場に話をして、織りをお願いして、
ばーっと一気にやってしまったんです」


否定されて、そこでぺしょんとなるのではなくて
「じゃあ、こうしてやろう」
というふうに、彼女は次の手を思いつく。
でも「次の手」はきまって、
安全な手ではない。
オーガニックコットンは、勿論、普通に流通していうコットンより高い。
そして、「自分で糸を買って製品を作って売る」のは
リスクを負って事業を立ち上げる、ということを意味する。
在庫を抱えて、自分で売ろうとしていく、ということを意味する。


「作る立場の人というのはみんな真剣なんです。
だから、私も『ただあいだを繋ぎます』という感じでいるより、
そうやってリスクを負って話にいくほうがずっと、いい話が出来るし、
いわば、ものづくりをする、という同じ目線で付き合ってもらえるんです」


たしかにそうだ。
そして彼女はそのことを、
まさに身をもって覚えていったのだった。


リスクを負う、ということは
それが「リスク」である以上。
大失敗する可能性を当然、孕んでいる。
リスクを負えば、ソンをすることもある。
ソンする覚悟をし、ソンしてもだいじょうぶな策をある程度講じ、
その上で、選択をする
というのが「リスクを負う」ことだ。
リスクを負って、そのリスクの側に転んでしまったときは
だれのせいにもできない。


これはとても、むずかしいことだ。
だれもがそういう選択を迫られることがあるんだろうと思う。
時には
リスクを負えば選べる選択肢があることに気づかずに
何も選ばずに終わってしまうこともある。
逆に、リスクを負っているつもりで
実は、無計算のまま乱暴な結論を出していることもある。
それは「負って」はいないのだろう。



彼女の「着物」は、
「和風が良い」
「和の文化を守りましょう」
というようなアプローチのものではない。
普段使わなければ、生活に結びつかなければ、意味がない。
生活に結びつく、というのはしかし、どういうことだろう。


「たしかに、守らなければなくなってしまう素晴らしい技術、というのはあります。
でも、そう言う技術があるというのはみんな解っていることですし、
そういうものを『守りましょう』といっても、
それは、そのままでは、生活から遠すぎます。
私がやりたいのは、『和を!』というような押しつけがましいものじゃなくて、
もっとちがったものなんです。
これかわいいでしょ、とか、これすてきでしょう、とか、
そういうノリでやりたいとおもうんです」


彼女は私に、着物を勧めたことはない。
私が勝手に、
「あまやさんと話すなら、無論あまやさんは着物を着てくるだろうから
私がその隣に洋服で立つのはクヤシイ」
と思って、ムリして着ているだけなのだ。
彼女に「これってどうするの?」と聞くと
彼女は教えてくれる。
木綿の着物はキモチイイし、洗えるし、むずかしいこと要らないし、
気軽に着られますよ、と話してくれる。
でも、それは雑談レベルで
まるで「あそこのお店のケーキ美味しいですよ」
という感覚の域を出ない。
それ以上でもそれ以下でもない。
彼女はただ、黙って自分の好きなように着物を着ているだけだ。
少なくとも、そういうふうに見える。


でも、私にはあるリアリティがあった。
その「これいいでしょ」という話の、奥行きである。
私はこの日、彼女の着物ショップで売られている半襦袢と裾よけを着ていたのだ。
もちろん、コットンである。
この日はめちゃめちゃ暑かったのだが
このコットンはキレイに汗を吸って、さらりと乾いてしまう。
着ていて、いかにも気持ちが良いのだ。
着物も紺の木綿だった。
この木綿の肌触りの「よさ」「すずしさ」というのを、
私は話している間ずっと、感じ続けていたのだ。
私は彼女に勧められたからじゃなくて
自分でそれを着ていた。
着物は、私にとっては
最近いきなり出てきた下腹や二の腕を気にしなくていい、
すこぶる安心な衣装だ。
その上、美しい色や文様が、洋服を着るのとは違った気分を
私の中から引き出してくれる気がする。


智恵子抄」で知られる、
高村光太郎の妻・智恵子は、
その人生の後半の数年、精神を患った。
元々油彩画家であった智恵子は、そうした病中にも
切り絵という手段で表現を続けた。
最初は、その辺にあるお菓子の包み紙などを使って
果物や花を切り絵にしたのだが
やがて色紙を欲しがるようになったという。
私は以前、そんな作品をいくつか目にしたのだが
そのとき、非常に驚かされた。
この話から行くと初期の作品だと思うが、
ありものの包装紙や紙袋などを使って
いかにもリアルな「柿」がそこに、表現されているのを目にしたのだ。
その柿をよく見ると、包装紙らしく、屋号やロゴが入っている。
でも、この絵をぱっと見ると、
みずみずしく丸い、つやつやの柿の実が描かれているようにしか、見えない。
彼女の切り絵作品は有名で、本にもまとめられているが、
私は、その包装紙が「柿の色に見えた」というのがショックだったのだ。
なぜそんなふうに見えるのだろう?

長い間疑問に思っていた。


でも、自分で今回のイベントのために
ネットで木綿の着物を探していったとき
その疑問が溶解する気がした。
着物は、形がある程度以上に決まってしまっている。
だから、選ぶときは
純粋に色と柄だけを見つめていくことになる。
色と柄のみを見て、選んでゆく
というこの面白さだ。
服を選ぶときの感覚とは全く違う。
紺、縞、白っぽいの、黄色っぽいの、茶色、
それらに何種類もの色調があって、さらにそこに、柄がくわわる。
たとえばお店でふつうに洋服を買うときは
「三色展開です、白と黒、あとカーキ」みたいなことで
「このなかなら、白かな」という選び方をしたりする。
でも、和服はそうじゃない。
一つ一つの色と柄、そして布地だけを見てゆく。
その色と柄が眼の中に、気持ちの中に入り込んでくる。
そしてそれを買うと
自分全体がその色と柄に覆われる。


たぶん、和服を日常着としていた人々にとっては
色と柄をじっくりと見る、吟味する、感じ取る
という「眼」が備わっていたのだろうと思ったのだ。
古い色の名前の多様さは
そうした「眼」によって作られたのだろう。
サイズやカタチのデザインはとりあえず置いておいて、
柄だけ、色だけ。




このあいだ、私の祖母が死んだ。
そのとき、伯父と伯母は、棺の中の、白い布をかけられた祖母のなきがらの上に
縞の着物を着せかけてやっていた。
あとで伯母にそのことを聞いたら
「お義母さん、あの着物が好きだったのよね、
 写真にも何度か写ってたのを見たことがあるのよ、
 縞はね、粋な人じゃないと似合わないのよね
 こう、ちょっとガッチリした人じゃないとね」
と、言った。


この話をすると、あまやさんは
「縞は、関東のほうが好まれて、よく着られる柄です。
京都なんかだと、もう少しはなやかな、
かあいらしい柄のほうが好まれる気がします。
着物を着るんやったら、はんなりと女らしく着な、意味ないやろ、
みたいな感じだと思います」
と応えた。


東京の「粋」という言葉の意味が、
少し解った気がした。
祖母は、江戸弁の残る早口の、
勝ち気で強い、でも、とても愛情の深い人だった。
黒い、太めの縞の柄の「粋」が
そういう祖母の人柄とよく合っている気がした。
死に際の、95歳の寝たきりの祖母から
若かった頃の生き生きとした祖母までちゃんとつらぬかれている
一本の純粋な個性と生命力を、
そのひとつの柄の中に
ありありと見たような気がしたのだ。



あまやさんは、ハンカチから半襟を作る、と言う。
木綿の着物に合う木綿の半襟などは
そのものとしてはなかなか売っていないのだが
ハンカチを半分に切って縫い合わせると
とてもカワイイ半襟がいくらでもできるのだ、と言う。
半襟の色、帯の色、帯揚げの色、帯締めの色、鼻緒の色。
ちょっとずつ色を組み合わせていって
全体の印象ができあがる。
大きな制限があるところに、不思議な自由が生まれている。
洋服のコーディネートとはこれは
かなり違っているように思える。
サイズを気にすることも、形を気にすることもない。
色を重ね合わせて、魔法のように、全く違った印象ができあがる。


私も今回、半襟というものをつけてみた。
あまやさんのネットショップで買った半襦袢
同じく、べつのネットショップで買った半襟を縫い付けたのだ。
縫い付け方もネットで調べた。
着物もネットで買い、
着付けもネットでしらべ、
私の和装は頭の天辺からつま先まで
ネット漬けでできあがっている。
デジタルで仕上がったアナログだ。


「ざくざく縫っていきましょう」
と書かれているのを本気にしてざくざく縫ったら
ななめについてしまって、やりなおした。
裁縫箱がそもそもなかったので、
トラベル用の、ボタン付け向きのソーイングセットを使ったため
まち針がなかったのである。
でもできあがってみたら
なんだかそれは「自分のもの」になった。
そしてそこに、重みが生まれた、


私とその衣類に、人間関係のような結びつきが生まれた気がした。
あまやさんが今まで経験してきた「リスクを負う」ことと、
ものを作る人の真剣さ、本気さ、ということと
私の手の中で起こったほんのささやかな作業とが
私の中ではなんとなく
繋がっている気がする。
これらのことは本質的には、同じことなんじゃないだろうか。
自分の体型に合わせて巻いたり端折ったりし、
紐で縛り、作り上げていく「衣装」。
手間と時間をかけて自分で自分を作っていく。


彼女はインタビューの最後の方でもう一度、
その手触りを確かめるみたいに、
「やっぱり、私は、あまやゆかだからできる、っていうことをしたい、
という気持ちがあります」
と言った。
その「私だからできる」という表現には、
唯一無二の!とか、目立ちたい!というような
綺羅綺羅しい降って湧いたようなシンデレラストーリーのイメージではなく、
たとえばこの「半襟を選んでつける」ということに私が感じたリアリティと重なる感触があった。
濃やかで力強い、よく肥えた土のような創意工夫と、
花が自ら花として咲く、その自然に華やかな輝きとが
彼女のこの言葉を作っている感じがした。



話を終えて、トークイベントの前半が終わり、休憩時間に入ったので
私たちは用意して頂いた控え室に落ち着いた。
するとすぐに控え室の扉が開いて
スタッフの方が顔を出した。
「あまやさん、すみません、みなさん着物にすごく興味持たれて見ていらっしゃるので
 会場にいらしてくださいませんか」
あまやさんは、みんなが着物を見ている会場に戻っていった。


残された私は、控え室にあった大きな鏡を見て
あちこち気になるところをチェックしたりなおしたりしつつ
デジタルとアナログの違い
ということを
何となく思った。


ごく、大雑把なイメージなんだと思うが
アナログは「波」で表現される。
デジタルは0/1の世界で、
なだらかな波をカクカクしたデコボコに変換していく。
着物の手間暇は、洋服の世界ではそぎ落とされた
「波」なのではないか、という気がしてしょうがなかった。
洋服であれば裁ち落としてしまうであろう余分な布地を
折ってたたんで縛って、しまいこんでしまう。
同じ人が同じように着ても、その日の気分や体調によって
たぶんいつも、
ほんのわずかに、ほんのかすかに違う容(かたち)がそこに現出する。
人の姿にぴったり合うように作られた洋服は
それがぴったり作られれば作られるほど、その人にしかまとえないサイズになる。
もちろん、偶然同じようなスタイルであれば、着られるかもしれないけど
人から人へと受け継ぐことをあらかじめ予期して洋服を仕立てるということは
あまりないだろう。
でも、着物は、親から子へ、孫へと、受け継がれていったりする。
かつてはそれがほぼ前提だった時代もあった。
たとえば
アナログレコードの音とCDの音の違いやフィルムとデジカメの画像の違いなどは
私にはほとんどわからない。
でも、玄人や愛好家は、そこには歴とした差がある、と主張する。
その「歴とした差」の、そぎ落とされてしまった差分が
この作業の中にこもっているのではないだろうか。



着物ってふしぎなものだ。
私にはまだ、
これがなんなのかイマイチ、よくわかっていないところがある。
そもそも「ものを持つ」ということが私は、どうにも苦手なのだが
この「着物を買って着る」ということは
「ものを持つ」の最たるものだという気がする。


私にとって、ものを持つということは
ある種の「恐さ」をともなうのだ。
ものは人を縛る。ものは人に責任を負わせる。
私に言わせれば、ものを持つということは、
ある種のリスクを伴う行為なのだ。


いったいこれは何なんだろう
まだぜんぜんわからない。



しかし、なにかわかるまで
もう少し着てみようかな
と思ったりした。


      • -

あまやさんの着物、ネットショップ
「るるん」
http://www.kimono-organiccotton.com/


当日、彼女はこの「フォトギャラリ−」の中の
一枚目の着物を着ていた(たしか)。