石井ゆかり@筋トレのブログです。
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メモ。

昨日の日経の「私の履歴書」、
ヤクルトと西武の監督として活躍した広岡達朗氏の連載第七回。





現役時代、
「守りの技術を追求したが、なかなか答えが出ない。
 逆にミスが増えてくるありさま。
 正直いって
 『打球が私のところへとんでくるな』
 と祈るような気持ちにもなっていた。」


そんなスランプの中で、当時大活躍していた長嶋茂雄氏にピンチの時の心境を聞いてみたら、
長嶋氏は
「ボールよ、僕のところへこないでくれと祈ってます」
と応えた。



自分よりはるかに優秀な人や強い人でも、
同じような気持ちだったりするんだよな。



で、さらに面白かったのがそのあとのくだり。


なおも追い求める答えが見つからない中、
日米野球で来日したアメリカの選手のプレーに目がとまる。



堅実なプレーの秘訣を探ろうと毎日、目を凝らしていたら、ある日気がついた。
打球が来る前の準備が大切だということ。
自分はボールが来たら捕ればいい、というレベルで、
それだから構え遅れもしていた。
投手が投球動作に入ると同時に守備体制に入って集中し、
どんな打球にも対応できるようにする。
経験から打球のコースが読めればさらにいい。


まねしてみたら、ボールが見えてきた。
ぴしゃっと捕れるようになってきた。





よく選手がダイビングキャッチや逆シングルで捕ると
「ファインプレー」
と叫ぶアナウンサーがいるが、
ほとんどは準備が悪くて、
スタートが遅れた故のプレーである。
早く動き始めていれば、
ダイビングする必要もないし、
正面でしっかり捕球できる。



なんかとても心に響いた。
というのも、
占いの現場ではしばしば
「何も起こらない、何か起こるかなあ」
「何か起こればいいなあ」
「何が起こるか、期待しよう」
というような感想が出てくる。
これって
「ボールが来たら、捕ればいい」
という姿勢ににてるなあ、と思ったのだ。


「打球が来る前の準備が大事」
「どんな打球にも対応できるようにする」
というのは、
「チャンスがくる前の準備が大事」
「どんなきっかけにも対応できるようにする」
っていうことじゃないかとイメージしたのだ。
「自分のほうにボールが来なければいいなあ」っていうのは受け身だけど
「打球が来る前にすでに準備に入る」のは、
全然受動的ではない。


世の中には
頑張ってもどうにもならないこともある。
でも、待ってるだけで何もしなければ、当然何も起こらない。
買わない宝くじは絶対当たらないが、
宝くじを買っても当たるとは限らない。


そうした現実があることはだれでも知っているけど
「じゃあ、どう行動するか」あるいは「行動するか、しないか」
を決めるのは
非常に難しい。

何かが来たら、それに対応しよう、
じゃなくて
先に構えておく、って、どんな感じだろう。
なにかそこにはとても大きな可能性があるような気がする。
人生では意外なことや予想外のことがたくさん起こる。
そこでどう行動するのか、を
先に決めておくことなんかはもちろんできないわけだけど、
でも
「何か起こらないかな」とか「こういうことが起こりませんように」とか
そういうふうに祈るのをやめて
運命の神様が「投球動作に入ると同時に
守備体制に入って集中し、どんな打球にも対応できるようにする。」
っていうことは、
できるんじゃないだろうか。


「打球が来る前の準備が大切」。
何がしたいのかと言えば、ボールが捕りたいのだ。
それだけはハッキリしてるんだから
どんなことが起こるにしても、
そのための準備をしておけばよい。
経験は、その「予測不能」な部分を少なからず補ってくれる。


何がしたいのかと言えば、
チャンスが来たら捉えたいのだ。
自分が進むべき方向に進む、その道を見つけて進みたいのだ。
それだけはハッキリしてるんだから
どんなことが起こるにしても
そのための準備をしておけばよい。
経験は、その「予測不能」な部分を少なからず補ってくれる。


ひょっとすると
「運命の出会い」とか「奇跡的なできごと」とか「幸運」とかは
上記の「ファインプレー」に近かったりするのかもしれない。



ちなみに
「打球が来る前の準備」について
占いはまるっきり関係ないし、なんの役に立たないと思う。
「こういうふうに来るのでは」
というような先入観を作ってしまう気がするからだ。
役に立たないどころか、邪魔になるときもあるんだろうと思う。
占いは、無用の不安を払拭するとか、疑心暗鬼を解すとか
そういう人間の「認識の誤り」をほどくのに役に立つんだとすれば
マシだなあ、とおもうけど
誤解を恐れずに言うならば
占いにはそういう「予測」みたいな機能はないといいなと思っている。



占いを含め、変な想像や期待というのはむしろ
「ボールが飛んできたら、捕ればいいや」
というスタンスに似てるのだ。
「打球が来る前の準備」は、
想像や期待ではない。


想像や期待や恐れは、「現実を待つ」態度なんだろう。
「待つ」という文字は、
ぎょうにんべんが歩行を意味し、
寺は音で止に通じ、「とどまる」の意味だ。
「あゆみをとめてとどまる」のが「待つ」なので、「静」だ。
準備するという「動」とはちがっている。



wikipedia広岡氏のページを開くと
彼の「評価」にこんな一文がある。



過去に確執のあった川上哲治は、
近年の自著『遺書』の中で広岡を


「ひとことでいえば意志の人だ。
頭がよく、ひらめきもある。
特に先を読みながら考えを組み立て、実行していくタイプの野球人で、
コーチであれ監督であれ、ゼネラルマネージャーであれ、
どんな立場に就いても自分をフルに発揮する」


と高く評価している。