石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

「ボールを上に上げた瞬間」。


ツイッターづたいに見つけた記事。

http://www.re-po.jp/ikusei/2010/05/post-4.html
http://twitter.com/miraclon ←見つけたとこ



私はこうしたスポーツは完全に門外漢なんだけど、



…自チームの誰かが足下でボールをキープしていれば
マイボールとして得点を狙うためのプレーが出来ますが、
ボールを上に上げた瞬間にマイボールではなくなってしまいます。
ロングボールを投げる・蹴るという行為は、
相手ボールになってしまう可能性があり、
自ら「マイボールを放棄=攻撃する事を放棄」してしまう事と同義となります。


(中略)


私はボールを全力で奪いに来るDFに対してマイボールを放棄するのではなく、
自陣から繋いで攻撃を組み立てて得点を狙うにはどうしたら良いかを考えながらプレーをし、
そして実際にDFを崩して得点出来た時に楽しさを感じます。



っていうところが琴線に触れた。
何かに取り組むとき、仕事するときに
これは当てはまるなあと思ったからだ。


「自陣から繋いで攻撃を組み立てる」というのは
「自分の状態を認識し受け止めて、そこから勝負を試みる」っていうことだ。
この「あくまで自分の状態から切り離さずに勝負を試みる」ということが
とても難しいわけだ。


こういう要素がないから、こういう力がないから、この条件が揃わないから、
諦める。
あるいは、一発逆転の魔法のようなものを望み、それに無謀な賭けをしてしまう。
さらには、人のせいにしてみる。人に「できない責任」を負わせようとして逃げる。


または
「こうすればうまくいく!」とか
「成功している人はみんなこうしている!」とか
そういう「ノウハウ」さえわかれば自然に今の状況は脱出できるんだろうと考えたりする。
「今の状況を変えよう」という思いは正しいのだが
それがすぐに
「今の状況を否定・無視して、全く新しい状況と入れ換えてしまおう」
というイメージに結びついてしまう。
一番正しいノウハウを持っている天才のいうとおりにしようとする。
たった一人のスーパーヒーローさえ現れれば全てうまくいくのだと歎息したりする。
これは、映画の中だけじゃない。
毎朝ワイドショーでは政治の話になるとかならず
コメンテーターかアナウンサーの誰かがそう言ってる。
リーダーがちゃんとしてればもっとうまくいくはずなのに、という人間の潜在的な願望が
幾多のハリウッド映画を成功に結びつけているわけだ。


どの場合もみんな
「答えは自分の外部にあるのだ」と思い込み
自分と答えを切り離して取り扱い始めることから、はじまる。


難しい状況に立ったときほど、
人間の頭はそういう方法を全力で探し始める。
これがたぶん「ボールを上に上げる瞬間」なのかもしれない。
マイボールがマイボールでなくなる瞬間、っていうことなのかもしれない。



「いま、この状況から組み立てて、繋いでいく」


ということは、日常生活の中で、
いかにも難しい。


難しいんだけど、そこから得点できたらたしかに「楽しい」だろう。
結果が自分のありのままの姿と繋がっていたら、楽しい。
まぐれ当たりは嬉しいけど、たぶん、楽しくはない。
もう一度やってみせられる可能性が薄いし
とにかく
「運良く」できたことより
「がんばって」できたことのほうが
ずっと嬉しい。


ほんとに「がんばる」「努力する」というのは
自分の「今、この状態、この段階」からしか始められないものなんだろう。
自分を完全にフラットなゼロとして
そこに自分以外のものであるプラスを単純に積み重ねていっても
平面の硬い石の床の上につるりとした表面の箱を積み上げていくことにしかならない。
軽い力で押しただけで、その箱は簡単に動く。
簡単に持ち上げられるし、運び去ることができる。


でも、デコボコの地面を調べた上で
その内側から繋げ伸ばしていったものは
地面の内側に根拠を持っているので
外からの力にも容易に揺るがない。


根っこのある努力は自分にとって
幼稚なように感じられる。
いつも自分が未熟なような感じがするし
人と比べると足りないところばかり気になる。
一方
ただ単に平面の上に重ねた箱のような努力は、
着々と完璧に近づいているような感じがする。


でもほんとうに強いのは
「今、この状態から組み立てよう」と努力する、
根っこのある努力の方なんだろうな、と思った。