石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

インタビューその2・妙覚寺さん


新潟「上古町商店街」の人々にインタビュー、のシリーズその2、は
お寺さんである。
商店街のなかほどにある妙覚寺さんの29代目住職、吉田さんにお願いした。


実は、今回のイベントスタッフである小林さんのご実家は
妙覚寺さんのお隣なのだ。
だから、小林さんは吉田さんをちいさいときからよく知っているのだった。
最初は小林さんに連れて行ってもらった。
ご住職は60歳代で、作務衣のようなものを着ていらして、
親切に私たちのお願いを聞いて下さった。



緊張して写真を取り忘れた。
http://blogs.yahoo.co.jp/hiyoriyama5/57961748.html
このページに、写真がある。
2枚目の写真に写っているネコは
小林さんのご実家の、ゴンちゃんである。



ご住職は、笑顔にはあまりなられないのだが、
目の奥に、ちょっといたずらっぽいようなほほえみがある。
なにか、おもしろがっていらっしゃるような感じでもある。
ちいさなことでもおもしろく感じる用意がある、という
「世界の想定外の面白さへのスタンバイ」みたいなものが感じられた。


たとえば、大人がちいさな子供と遊ぶとき、
子供の言うことがおかしくても、わらってはいけない。
子供扱いせず、まじめに聞かなければならない。
子供は当然、こどもっぽいことを言うけど、
油断していると、たまに、本質を突いたことも言う。
だから、子供と上手に遊ぶ大人の表情は
とてもまじめくさっているけれども、
その瞳の奥に、こどものおかしさを楽しむ大人の色と、
子供と対等な感覚でいたずらや遊びを発見する色とが
両方、ひかっている感じがする。
このときのご住職の印象はそんな感じで
インタビューにこたえていただいている間中、
やっぱりそんな感じだった。


これはあくまで「子供扱い」という意味ではない。
とてもまじめにお話をして下さっているのだけど
その中になにか、ユーモラスな、「笑い」の感じが光っているのだ。
この「笑い」の感じは、
大黒様の笑顔の感じとか、そういうのに似ている。
世の中とか、生きていることとかには
なんのつまらなさもなくて、あじけなさもなくて
よく見ればおもしろい不思議なモノでいっぱいなのだ、
という、わくわくするような笑いだ。


私は自分について、実にこどもっぽいなと、しばしば思う。
未熟だ、ということももちろんあるのだが
そういう「成長不足の部分がある」という意味でなく
単に「こどもじみている」という気がするのだ。
これは決して良い意味ではない。
たとえば、
新潟での、志賀さんや五十嵐さん、迫さんを交えたミーティングのあと
CCでお礼のメールを送ったのだが
どういう順番で宛名を並べて良いのかわからず
「どういう順番が正しいのかわからなかったのであいうえお順にしました」
という添え書きをしてあいうえお順に列記させていただいたりしていた。
これはもう
こども
という以外のなにものでもない。ような気がする。


だから
私はまるで、良寛上人と遊んでもらっているこどもみたいな
「こどもまる出し」でお話しさせていただいたような気がする。

      • -


インタビュー当日は、一人で伺った。
お寺に向かう道々、
私は「怖いなあ」と思い続けていた。
それには、いくつか理由がある。
ひとつは、私は仏教のことを何も知らないのに
去年「禅語」という本を出版している、という事実だ。
いわば、プロの料理人に、
生まれて初めて作った肉じゃがを「どうでしょう」って持っていくような
そんな怖さがあったわけだ。


あとひとつは
私の商売が「占い」である、ということだ。
キリスト教では、占いは「悪いこと、悪事」となっている。
基本的には「占い禁止」なのだ。(でもキリスト教圏の人々は星占いが大好きのようだが)。
宗教の場で扱われるのは、
死や、生きていることの苦しみだ。
喪失や病気や未来への恐怖が、宗教の場でのいわば、メインテーマとなっている。
かの有名な般若心経の冒頭にはこういうフレーズがある。
「度一切苦厄」。
つまり、一切の苦しみや災いの向こう側に行く、ということ。
「度」は「渡」で、苦しみの向こう側にいって自由になる、
苦しみから解放される、ということを意味している。
「人生の一切の苦しみから解放されるにはどうしたらいいのか?」
というのが
宗教のもっとも大きな関心事なのだ。
しかるに、
占い。
幸せな人や悩みのない人は、占いはしない。
占いの場に持ち込まれるのは、
不安や悲しみや喪失や、そんなものだけで
やはり、「この苦しみから解放されるにはどうしたらいいのか?」が
メインテーマなのだ。


私は、自分がやっていることの間違いやウソを暴かれるような気がして
それがたまらなく怖かったんだと思う。
でも同時に
自分が日々直面している「人の悩み、苦しみ」というテーマについて
お坊様は日々どう取り扱っているのか
ということを
自分の問題として心から、聞いてみたかった。
このことを思っただけで、涙が出てくるような感じがした。
私は不安だったのだと思った。


もうこの時点で
「新潟」はほとんどテーマではなくなっている(爆


これは完全に
私のハナシ
だ。(スマン


お寺に着いて、呼び鈴を鳴らす前に、
本堂の前に行って手を合わせた。
ものすごく緊張していたので、めちゃくちゃ不安で
「うまくいきますように!」と
まさに仏様にすがるような気持ちだった(爆


で。
お目にかかったご住職は、
黒い衣に袈裟をかけた、お坊様の姿だった。
座敷に通していただいて、座布団に座った。
畳で座布団の「インタビュー」というのは、初めてだった。
私はあらためて自己紹介をして、
仏教のことは何もわからないのに「禅語」という本を書いたりしてすいません
とあやまるような気持ちになりながら
それでも、無謀にも、自著を献本させていただいたのだった(暴勇


迫さんのサイトや他のブログなどで、
妙覚寺さんで音楽コンサートなどが開かれている、
という話を目にしていた。
そういうことをなさっているそうですね、と言うと、
「いや、場所を貸して欲しい、って言われて貸してるだけなんですけどね」
と言われた。
「ああ、本堂は音が良さそうですもんね」
「いや、音とかもあるのかもしれないけどね、
 多分、ふだん仏様に関わりのないような人たちがお寺にくると、
 どうなるんだろう?という意図があるような気がするんですよね、
 ありありと、それがある、だからまあ、
 まんまとそれに乗せられてやろうか、というようなね、
 それでいいかな、と」


お寺をお葬式や法要以外で使うことは
最近は少なくないらしい。
昨年は山梨県で、身延山五重塔の完成を記念して
歌手の加藤登紀子さんがライブをやったりしたそうだ。
「お寺は、最近、なにか、はやりです」
とおっしゃった。
それは、お寺にとってはうれしいことなんでしょうか、と私は聞いた。


「お寺っていろんなとらえ方があって良いと思うんですね、
 あるオウム真理教の信者が言った、有名なセリフがあるんです。
 『お寺って、風景でしかない』
 というんです。
 立派な伽藍があって、仏像があっても、
 それは結局、何の意味も持たない風景でしかない、と。
 我々の研修なんかでも、この言葉はしばしば取り上げられます、
 『お寺は何の意味も持たない風景でいいのか?』というふうに、
 坊さんたちがみんなで考えたりしています」


風景。
子供の頃住んだ家には、いつも仏壇があった。
何度か引っ越ししたが、
ほとんど祖父母や大叔母などと同居していたので、
誰かがいつも恭しく仏壇を掃除したりお膳をあげていたりした。
幼稚園はお寺が経営していたし、
家の法事なんかにも連れて行かれたので
「お寺の本堂は、厳かで畏れ多い場所」
というスリコミがある。
あそこで走り回ったり大きな声を出したりするなんて絶対にあり得ない
と思えるし
今も、お葬式などでお寺の本堂に上がるときは緊張する。


この「緊張」は、単なる子供の頃からのスリコミというだけのことなんだろうか。
もしそういうバックグラウンドを持たなければ、
あの空間も、普通の部屋と同じだったりするのだろうか。


確かに、柱や壁や金属の固まりに、意味はない。
美しい装飾は、それは「見て美しい」ということだけで
そこに宗教や善があるわけではない。
敬うべきなにかがそこにあるわけではない。


ただ、本当に「風景には、意味がない」のだろうか?


「意味」ってなんだろう。


「お寺は、いろんなとらえ方があって良いと思います。
 死んだおばあちゃんを思い出しに来るのでもいいし、
 なくした子供を思って泣きに来るのでもいい、
 いろんな受け取り方があって良いと思います」


ここにくれば、おばあちゃんに会える、というのは
その人にとっての「意味」なんだろう。
お寺という風景の中にある、その人にとってだけの意味がある。
でも、お寺という風景そのものが意味を与えてくれるわけでは、
どうも、ないようだ。


私は、私の話をした。


「私の生業は星占いなんですが、
 占いの場には、それこそ
 誰か大切な人を亡くした人や、病気で苦しむ人や、
 経済的な悩みを抱えた人などが来ます。
 ご住職も、お葬式で大事な人を亡くした方に日常的に接したりして、
 日々、そういう悲しみや苦しみに触れていらっしゃると思うんですが
 そこでは、どんなふうに応えていらっしゃるんでしょうか」と。


私自身は、多分、ただ占えばいいんだと思う。
昔からの占いのルールを利用して、
ホラリーではこう出ました、とか、易ではこういう卦でした、とか
たんにそれをやってればいいのだと思う。
それ以外のことを考えるなんて傲慢だし、
そも、誰も望んではいないのだ。
当たったら忘れるし、外れたら私をけなしたり恨んだりする、
それでいいんだろう。
相手の気持ちとか本当に必要なこととかなんか
考える必要もないし、そもそもそんな能力なんかないのだ。
そんなことをしている暇があったら
どうすれば当たる占いになるかを真剣に研究したりするほうがいいのだ。
少なくとも
そのニーズの方が確実に強いのだ。


でもなぜか、そういうふうに割り切れずに
余計なことばっかりしている自分がいる。
そういう自分の欺瞞や思い上がりが憎かったし、
そう考えていくと、何もかもがやりきれなくて悲しかった。


ご住職は、宗教者だ。
宗教は、喪失や死や恐怖を体験している人のためにある、と私は思う。
そこでは何が起こっているのだろう。
どういうふうになさっているのだろう。
私はそれが聞きたかった。
聞いてどうなるわけでもないけど
「ほんとうはどうやるのか」
が無性に聞きたかった。


ご住職は、こう応えてくださった。


「僕の、坊さんとして生きてきた時間というものがあって、
 それとひきかえ、ということなんでしょうね」。


ひきかえ。


ドラマのセリフなんかで「私の命と引き替えに!」と言ったりする。
自分の生きてきた時間と引き替えに。
自分のこれまでの人生と引き替えに。
それはまさに「命と引き替えに」ということだ。
ごく何気なく、真剣を目の前ですらりと抜かれたような気がした。
それは私に向かって構えられているわけじゃないけれど、そこにある。


「僕の修行してきた、というか、生きてきた時間が、
 その人の生きてきた時間と、からみあう、ということでしか
 ないんじゃないでしょうか。
 修行、といえば、誰でも苦しんだり悩んだりして、
 誰にでも、生きていることがいわば、修行ですよね。
 そうして、悲しみを得た人と、
 僕の生きている時間がからみあうことで、
 なにかを創りだす、ということじゃないでしょうか。」


一つ一つの言葉を丁寧に味わうようにそう言ったあと、
ご住職はこんな話を続けた。


「僕が20歳くらいの頃、若い修業時代に、
 こう、団扇太鼓ってあるでしょう、棒がついていて持って叩く太鼓です、
 あれを叩きながら修行僧がみんなで、本堂まで行進していくときに
 それを見ているおばあちゃんたちがいるんです。
 おばあちゃんたちが、僕らを見上げて、
 手をあわせたり、地べたに手をついて、涙を流したりするわけです、
 そういうとき、やっぱり、
 『僕ってなんだろう?』っておもいますよね」


確かに、これも子供の頃のスリコミなのかどうかはわからないが
墨染めの衣を着て袈裟をかけたお坊さんを見ると
なんとなく、手をあわせたくなるような感じがする。
でも、そういうふうに「拝まれる側」っていうのは
どんな感じがするんだろう?と思った。
拝まれる、というのはすごい。
それを受け止めるには、絶大な力が要るような気がした。


「そういうことを思うと、やはり、
 僕の伝えられるものを伝え、向こうの言ってくることを聞くのが、
 僕の仕事なのかな、という気がするんです。
 同じ日蓮宗の坊さんでも、ひとりひとり、
 その坊さんが出会う人は違いますよね、
 その人その人が、それぞれの出会いによって、
 別な答えというものをもってやっていると思います」


そして、少し置いて、笑顔で
「やっぱり、生きている時間って、
 いつも順調にはいかないじゃないですか。
 そのときどきによって、問いも変わるし、
 こたえも変わると思うんですよね」
と言われた。


それから、ふっと、ご住職の声が明るく強くなった。


「2500年前、お釈迦様はインドで生まれてインドで亡くなったわけですが、
 私はインドに、お釈迦様を訪ねていくんです。
 インドは地方によって気候が違っていて、
 お釈迦様は4ヶ月ごとくらいに移動しながら修行されたんですね。
 ベナレス、という有名なところがあって、
 そこで骨に焼いてガンジス川に流すと良いところへいける、
 なんていう伝承で有名なところですが、
 そこに僕がでかけていくわけです。
 すると、現地の坊さんが僕を案内してくれて、
 『吉田君、お釈迦様はこのベナレスのシルクを愛用していたんだよ』
 と言うんです。
 また、ある木陰を指さして
 『お釈迦様はここで、弟子のアーナンダに、
 アーナンダ、ここで休んでいこうよ、
 と言って、この木陰で休まれたんだよ』
 と言うんです。
 2500年前ですよ!(笑)
 で、僕はこれに会いたくて行くわけです。
 お釈迦様がベナレスのシルクを愛用していて、
 この木陰で休まれたのだ、という、その風に、当たりに行くんです。
 お釈迦様がいた、その風に、会いに行くんです。
 これがとんでもなく、たまらなくうれしいんですね。
 それがうれしくて、わざわざ飛行機に乗っていくわけです。」


お釈迦様がまさにそこにいた、その風にあたりにいく、
それがたまらなくうれしい。
それが、今の僕にとっての、
ある「答え」の一つみたいなもの、なのかもしれないですね。
そう、ご住職はおっしゃった。
ほんとうにたまらなくうれしい微笑と声で、そうおっしゃったのだ。
それを聞いて、私もなんだか無性にうれしくなった。
そのうれしさにはなんの混じりものもなくて、
痛切なほどつきぬけた感じがあった。


「お釈迦様に会う、ということが、うれしいんですね」
と、私は、そのうれしさに打たれたみたいにつぶやいた。
ご住職はかさねて、こう言った。


「どの宗派でも、本山参りというのをします。
 真宗本願寺に納骨に行くし、禅宗永平寺だし、
 どこでもやるんですが、
 そういうふうに本山にお参りするということは、
 みんな、700年から800年も前の時間といっしょになれる、
 っていうことなんじゃないでしょうか。
 たとえば、僕は毎日お経を上げるじゃないですか、
 そういうふうに毎日おつとめをして、
 その報告をするみたいに、本山に行って、
 そこで力をもらって帰ってくるんです」


たとえば、同じ時代を生きている相手であれば、
出会って、相手を尊敬して、
なにかアドバイスをもらったりして、ほめられたりもして
力をもらう、というのは、考えられる。
でも、日蓮上人もお釈迦様も
遙か昔に死んでしまって、いまはもういない。
なのに、その人から力をもらったり、
その人が生きていた場所に行ってどうしようもないうれしさを感じたりする、というのは
どうしてなんだろう。
それはどういうことなんだろう。


「おそらく日常的に、ずっと自問自答しているんですね、
 だって、とんでもないときにびっくりするようなお布施をもらう自分がいると思うと、
 一生懸命お経を上げても何にもならない自分もいるわけでしょう、 
 これは、もう、『そういうものがある』と思うしかないですよね」


「そういうもの」。
それは、目に見えないなにか大きな力、
というようなものなんだろうか。
お布施をもらったり、誰かに拝まれたりしたら
それは、たしかに、すんなりとは受け止めがたいだろうと想像できる。
それをあえて受け止めようとするとき、
「なにかそうさせている大きなものがある」
と感じる、ということなんだろうか。



ご住職、吉田さんは、18歳の時出家した。
吉田さんの家はお寺ではなかったが、
叔父さんが佐渡の根本時というお寺の住職だった。
高校三年になる頃、その叔父さんに
「おまえ、卒業したらどうするんだ」と聞かれて、
学校の先生になりたいな、と答えていたのだが、
やがて、お寺もいいかもしれない、と思うようになった。
というのも、
根本時には、昔日蓮上人が半年ほど滞在した、という伝承があり、
全国から信者さんがたくさん訪れるのだった。
その信者さんたちと叔父さんが話しているのを見て、
「なんか、いいな」
と思ったのだそうだ。
もっとも、坊さんと言えばお経を上げて掃除をしていればいいんだろうと思っていたが、
実際は「サラリーマンと大してかわりません(笑)」とのことだった。


ご住職は、檀家さんを回っては、ご命日にお経をあげる。
檀家さんを回るのは、おもしろいですね、とご住職は言う。
「それこそ、食べていけないような家から、
 大会社の社長さんの家まで、いろんな家があります、
 それを同じように回って、
 同じお経を上げて、同じお茶を飲んで、同じ話をして帰ってくる。
 おもしろいですね。」


「僕が最初にインドに行ったのは30歳の頃ですが、
 そのとき、旅費を貯めるために、ちょっと手伝いに行きました。
 僕の同級生に、横浜の大きなお寺の跡継ぎがいまして、
 お盆というのが、東京近郊では7月で、こちらでは8月なんですね。
 1ヶ月ずれているわけです。
 それで、7月にお盆の檀家さん回りを手伝うために、
 横浜に行ったんです。
 そのお寺は、霊園を造って檀家さんを増やしたところで、
 横浜ですからそれこそ、船上生活の人から、中華街の人たちから、
 高級住宅街のお家まで、あらゆる檀家さんがいるんです。
 ドヤ街みたいなところまでありました。
 そのドヤ街に、僕は好んで行ってました。
 もう、足の踏み場もないようなところですよ、
 僕は白い足袋を履いているわけですが、踏むところがない。
 おばあちゃんに『仏壇?奥だよ』ってあごをしゃくられたりする(笑)
 すごくよかったですね、
 『どっからきた?』って聞かれて『新潟です』って答えると
 『新潟のお上人は一生懸命だね!』ってほめられたりして、
 ファンができました(笑)
 中には、肉屋さんが『他に手伝いは何人来てるの?』と聞くので
 『10人です』と言ったら、あとでお寺にコロッケ届けてくれたりね」


なんでドヤ街を選んだんだろう、と
これを書きながら思ったけれど、
お話を聞いているときには、
そんな疑問なんか思いつきもしないほど、
ご住職は、楽しそうな顔をしていた。
お話を聞いている私が楽しさでいっぱいだったから
多分、疑問が湧かなかったのかもしれない。
大変だったはずなのだ、
足の踏み場がないほど汚いおうちで、
足袋は真っ黒になっただろうと思うのだ。


でも、ご住職は「それが楽しい」という顔をしている。
で、私もぜんぜんそれに疑問が湧かないのだ。


ご住職は更に
もっと楽しそうな顔になった。


「僕は、宮沢賢治のファンなんです。
 大学時代、寮に秋田から来た同級生がいて
 彼の本棚に宮沢賢治の本があったんです。
 『雨ニモマケズ』という有名な詩がありますが
 あれを、宮沢賢治は手帳に書いたんですね、
 『雨ニモマケズ手帳』って呼ばれてるもので、
 それにこう、書いていって
 最後『サウイフモノニ ワタシハナリタイ』のあと、
 つづくページに、日蓮宗のご本尊が記されているんです。
 あの詩はそこまででぜんぶなんです。
 ふつうは『サウイフモノニ ワタシハナリタイ』までで終わっているんですが、
 そこではまだ、途中なんですよ」


私は、宮沢賢治の作品は
銀河鉄道の夜」くらいしか読んだことがなくて
彼が仏教を信仰していたとはしらなかった。
むしろ、クリスチャンではないかというイメージがあったのはたぶん
オツベルと象」の中に出てくる
「苦しいです、サンタマリア」のセリフが記憶に残っていたからだろう。


「賢治を知ってそのあと、大学四年の夏休み、
 叔父のいる根本寺に帰省していました。
 すると、賢治の墓のある身照寺というお寺さんが、
 檀家さんをつれて根本寺にお参りに来ることになったんです。
 僕はその話をきいて、
 叔父さんや寺の他の坊さんを差し置いて、学生の身で
 『どうしても私がお経を上げる!』 と言いはって、
 お経を上げさせてもらったんです」


大学時代、賢治の作品を読んで惚れ込んでしまったご住職としては
賢治の墓があるお寺さんからそのような一行が来るということは
「不思議な、奇跡のような巡り合わせ」だと思えたのだろう。
そのできごとが自分に向かって射込まれる光の矢のような気がしただろう。


ふと、私は、
以前、モノレールに乗ったときの光景を思い出した。
それは晴れた冬の夕方で、
高いモノレールの窓を貫くような鋭い夕日が
ギラギラと車内に射し込んでいた。
私の前に座っていた小学校低学年くらいの男の子は、
靴を脱いで座席に膝をつき、夕日を真正面から受け止めて
「お母さん、太陽が僕に向かって射してるよ!ほら!」
と夢中で言った。


あの太陽が、今、僕だけに向かって光を射ている。
僕を狙って、僕に光を投げている。
これは真実なのだ。
私たちは彼を笑えない。
笑うどころか、そうではなく、
私たちが感動したり意味を見いだしたりすることのほとんどはそうなのだ。
世界中の一体誰が
本気で、なんの疑いもなく
「ぼうや、あの太陽は君に向かってだけ輝いているのではないんだよ」
なんて愚かなことを言えるだろう!
彼が見いだしたその光は
まちがいなく、彼に向かって輝いていたのだ。


このときのご住職も、そんな思いに打たれて
きっと、万難を排して自らがお経を上げたい、と申し出たのだろう。
それを許した叔父さんもすごいなあ、と思った。
若い気迫に押されたのかもしれない。


「そうして、無事にお経を上げたら、
 一人のお婆さんが僕に
 『あなた、しっかり勉強しなさいね』
 とお布施をくれたんです。
 ありがとうございます、と受け取って、
 あとで開けてみたら、5000円というお金が入ってました。
 当時、仕送りが月二万円くらい、という時代ですから、
 たいへんな大金です。
 僕はびっくりして追いかけていって、
 帰りかけているさっきのお婆さんに追い着いて、
 あとでお礼状を書きたいから、と、
 お名前とおところを聞いたんです。
 そうしたら、そのお婆さんはクニさんといって、
 なんと、賢治の妹さんだったんです」


えーっ!?
そんなことがあるのか!
宮沢賢治の妹と言えば、24歳の若さで早世したトシさんが有名だが、
クニさんはそれより下の妹さんなのだそうだ。
今でもこんなにうれしそうに賢治の話をする、このご住職が
感じやすい少年の頃に、大好きな賢治の身内の方の前でお経を上げ
その人に直接、励まされたという
この経験は、どんなに衝撃的だっただろう。


さらに、妹さんのほうも、きっと
心から嬉しかったのだろう。
若い若いお坊さんが、
いまは無き自分の兄を慕って心からお経を上げてくれた、
そのことが彼女に伝わったのだろう。
死んだはずの兄の思いが、
若い人の心に伝わって、こうして生きている様を
目の当たりにできたのだ。
年齢をかさねた高僧がお経を上げてくださるのも勿論、「有り難い」けれど、
純粋な少年の心が憧れを胸に上げるお経が
彼女の目に、神聖な輝きをもって見えただろうことは、想像に難くない。
そこには、愛する死者が生きかえるのを見るような
不思議な感動があったんじゃないだろうか。


「ありがたいお経」「ありがたい教え」
等と言う。
「有り難い」は、若い人の言葉でいえば「ありえねー」である。
あり得ないことが、ある。
ありえない、というのは、つまり
「そんなすばらしいことが起こる理由が見つからない」
ということだ。
自分が何をしたわけでもないのに
なにかいいものをもらったらそれは「あり得ない」。
少なくとも、その理由が、自分にはわからない。
その理由を誰が知っているのだろう?


お釈迦様とか神様とかは、そんな「理由」の象徴なんだろう
と私は思っていた。
よくもわるくも、「ありえない」ことばかりがおこる。
その理由は、どこか遠くに在る。
その理由の集合体みたいなものが、神や仏なんじゃないか、と。


「そういう思いがけないようなご縁というか、
 そういうのもあったりしてね、
 僕は、宮沢賢治の話をすると、たまらなくうれしいんです」


と、ご住職は言った。


日蓮宗では、法華経しか読まないんです、
 『雨ニモマケズ』で、
 賢治は、法華経の世界をそのまま
 とらえているのでは、と思いますね」


法華経の世界。
法華経の世界、というのは、どんな世界なんでしょうか。
と私は聞いた。
ご住職はちょっと間を置いて、ゆっくり答えた。


「その人がたずねた大きさのものが、そこにあるような、
 そういう世界じゃないでしょうか」


どんなふうなたずね方をしても、探せば答えがある世界。


「たとえば、今、死んでいこうとするお婆さんになら
 『ちゃんとお経を上げてあげるから安心して逝きなさい』で納得できるかもしれませんが、
 大学生に『法華経の世界とは何か』と聞かれたら、
 それでは納得しないでしょう。
 でも、本当のものにたずねれば
 永遠の力を持ったものに尋ねれば、
 そのたずねた大きさに合った答えが出てきます」


永遠の力を持ったもの。
それはなんだろう?
私が考えていると、ご住職は、床の間のほうを手で示した。


「たとえば、芸術というものがあります。
 あそこに壺があります、
 あれは僕の友達が作ったものなんですが、
 あれも一つの問いかけで、答えだと思うんです、
 問いかけて、何か答えてくれる。
 あれを見る人が、あれに何か問いかけて、
 そこで答えが返ってくることもあるでしょう。
 作る側もそうで、
 答えを探して壺を作り、作った壺が一つの答えになっているけれども、
 そこでおわり、ということはないと思います」


と、ここでさらにご住職は言い直した。


「いや、そこでいい、という人もいるかもしれません。
 この答えで全部で、それでいい、という人もいます。
 でも、ある答えを得たとしても、
 やっぱり、また違う答えを探すんじゃないでしょうか。
 あの壺を作った人も、
 あれはあれで一つの答えだけれど、
 あれで終わりということはなくて、
 もっとべつの問いを持って、また違うものを作るんだろうと思います。
 小学生の頃に探している答えから、
 老人になってから探す答えまで、
 人間はずっと、そのときどきに、べつの答えを探していくものじゃないでしょうか。
 『法華経って何?』の答えはそういうもので、
 小学生にとっての答えと、老婆に対する答えとでは、まったくちがうと思います」


問いと、答え。
私のいまの生業は「占い」だ。
そこは、質問で満ちあふれている。
いつ彼と結婚できるのか。
いつ恋人ができるのか。
いつ家を買うべきか。
この家を買って不幸になるだろうか。
なぜ自分の父は死んだのか。
なぜ自分のネコは死んだのか。
死んでどこに逝ったのか。
生きていたときは幸せだったのか。
信じていたのに裏切られたのはどうしてなんだろう。
どうして自分はうまくいかないんだろう。
自分の使命とはなんだろう。
自分に合った仕事はなんなのか。
どうして漠然と不安なのか。
どうして病気になったのか。
どうして自分ばかり不幸なのか。
どうしてあの人が妬ましいのだろう。
彼の家族のために別れてあげるべきなのに別れてあげられないのは、
なんでなんだろう。
自分はなんのために生きているんだろう。
自分は死にたいのに何で死ねないんだろう。
この死にたいほどの苦しみから解放されることがあるんだろうか?
自分は今、どこにいるんだろう?


書いていたら
きりがない。
悲しみで胸がいっぱいになる。



「60歳にもなって、
 インドに、お釈迦様に会いたい一心で行く、というのは
 これも、僕にとってのひとつの答えですよね。
 今、どんどんその気持ちが強くなっていくのが、
 今の自分のこたえだと思います。
 インドに行って、なにがあるわけでもないんだけど、
 ここに2500年前にお釈迦様がいたのだ、という、
 そういう時間にいることが、たまらなく、いいですね。」


ご住職の胸にも、また、「問い」があるのだ。
探し続けている答えがあって
それを探しに、飛行機に乗ってインドに行ったりする。
でも、その「答え」は、
紙に書いてあったり
誰かが知っていたりするようなものじゃない。


ご住職は「たまらなくうれしい」と言う。
「たまらなくうれしい」ときは、
そのときは、探していなくて
むしろ「さがしあてた」というような気持ち、と言えると思う。
もしかすると
本当に探している答えに出会ったとき、
人は「わかった!」ではなくて、
「わかる」をとおりこして
「うれしく」なっちゃうものなんだろうか。



「インドから法華経西安に持ってきた、
 鳩摩羅什(くまらじゅう)という人がいました。
 法華経を7、8年かけて中国語に翻訳した人です。
 三年前、2006年ですね、
 それがちょうど、彼が法華経を翻訳して1600年にあたるというので、
 記念に、仲間と『彼が歩いた長安までの道を歩いてみよう』
 ということになりました。
 それで、インドからパキスタン天山山脈などを経由して、
 『風の谷のナウシカ』の風の谷のモデルになった中央アジアのあたりとか、
 ああいう場所を経由する旅をしたんです。
 もちろん、交通機関は利用しましたが、要所要所で道を歩きました。
 その道を歩いているときも、
 この道を鳩摩羅什が歩いたんだなあ、
 そのおかげでこのお経に会えたんだな、
 と思って、たまらなくうれしいわけです。 
 といっても、この旅は15人くらいでいったんですが、
 ひとりひとりが、違うことを感じていたと思います。
 同じ場所に行っても、
 ひとりひとり、答えが違うと思うんですね」


鳩摩羅什、つまり、クマラジーヴァか。
世界史で習った、有名なお坊さんだ。
パキスタン中央アジア
2006年というと、そう昔ではない。
そこは、いわば紛争地帯ではなかろうか。
「そこは相当危険な場所だったのでは?」
と私が聞くと、
ご住職はこう答えた。


「そうですね、その頃は一番危なかったかもしれませんね。
 でもそれは、いわば、価値の問題です。
 自分にとってそのことの価値が高ければ、
 危険もこわいもないわけです。
 飛行機でビルにつっこんでいく人の気持ちと同じです。
 もちろん、テロがいいと言うんじゃないです、
 それはもちろん良くないんだけれど、
 その人にとって危険とは何か、ということです。
 宮沢賢治なんかも、いわばそれがあった、
 それが、法華経の世界です」


危ない、怖い。
たとえば、火事で燃える家の中に、
子供を助けに飛び込む親にとって、
ほんとうに危なくて怖いことはなんだろう。
恋人を事故で失った人にとって
ほんとうに危なくて怖いことはなんだろう。


ご住職は「価値の問題です」と言った。
怖いとか危ないとかは、
そのひとにとってなにに価値があるか、で決まるのです
と。



「山にこもって水をかぶって写経して、という『修行』なんかしなくても、
 ふつうに街にいる職人さんとかそういう人の中にも、
 ちゃんとわかっている人がいると思いますね。
 探していることの答えを、ちゃんと知っている人がいます。
 どの坊さんも、自分なりの「坊さんの答え」を探せるんです、
 檀家さんに行くと、それぞれの家に仏様があるように、
 ほんとうにそこに、ひとつひとつ答えがある。
 横浜のドヤ街の、足の踏み場もないような、
 白い足袋で踏むとこがないような場所にも、
 そこにも、悟りみたいなものがちゃんとあるんです。
 右往左往して答えを探そう、なんてしなくても
 そこに、生きている時間の中に、答えがあるんですね。
 たずねればたずねただけの、答えが出てくるんです」



たぶん、ご住職が言う「こたえ」と「価値」ということは
かぎりなく近いことなんだろう。
それで、それは
「これが答えですよ」
というような、説明できるようなものではなく
ドヤ街にも、小さな子供の心の中にもちゃんとある、
なにか不思議なものなんだろう。
それを、「仏様」と呼んだりするのだろう。


そんなふうに考えていると
ご住職は、最後に
びっくりするようなことを言った。


というか
ただ私が驚いたというだけのことかもしれないんだけど。


ご住職はこう言ったのだ。


「結局、
 日蓮様に会いたい、
 お釈迦様に会いたい、
 っていうことなんじゃないかなあ」


と。


お釈迦様に、会いたい、って、なんだろう?
ご住職のこの言葉を聞いて
私は喉から胸、お腹の中までまっすぐに土管のように空洞になって
全き納得となんのとっかかりもない問いとに
貫かれたような感じがしたのだった。
そんなふうに
まるっきりこどもみたいにぽかんとして
同時に、なぜか、涙が出そうになったのだった。

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このインタビューの後、
外に出て、その後の打合せまで少し時間があったので
近くの「ダンデライオン」という喫茶店に寄った。
以前、新潟に来たときここに入ったなあ
と思い出しながらドアを開けると
奥に、偶然、今回のスタッフの小林さんと、
小林さんのお母さんがいらっしゃった。
それで、同席して
今、妙覚寺の吉田さんにお話を聞いてきたんです、と説明すると
小林さんのお母さんは
「あの人はお坊さんらしくないお坊さんだからね、私は、大好き!」
とおっしゃった。
その「大好き!」という言い方が、
あまりにも、たった今お目にかかってきた吉田さんにぴったりな感じだった。
「横浜のドヤ街でファンができた」
と吉田さんが言っていたけど、その「ファン」の気持ちがよくわかる。
ここにもファンがいるし、
私もどうも、ファンになっちゃったようだ、と思って
うれしいような、たのしいような感じがして、笑ってしまった。