石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

新潟、ミーティング6。



え?



えええ??


人間はなぜ
なんでも「似姿」を作りたいのだろう。。。
不思議だ!


上の写真は食べられないが
下の写真は、ちゃんと食べられるさかな。



午後、下のほうは姿を消していた。

      • -


さて、
ヒッコリー・スリー・トラベラーズの経営者であるところの、
上古街商店街振興組合の迫さんに


「上古街商店街で、インタビューに応じて下さる方をご紹介頂けませんでしょうか」


と言ってみた件。


迫さんは、ああ、面白そうですね、と、
これもさらりと受け止めてくれて、
いきなり、私をのぞく三人で人選が始まった。


結果、10分足らずで


・イカラカラさんの平井さん
妙覚寺のご住職様
・糀屋さん
・Dr可児さん


というインタビュイーのリストができあがった。


私以外の三人は
「ああ、ああ、あの方ね!」「そうだそうだ」
みたいな感じなのだったが
私には皆目見当もつかないのだった。



でも
インタビューシリーズ
の時も
そうだったのだ。
ほぼ、事前情報のないままでお会いして、
ぶっつけのガチンコでお話を聞いたではないか!
だから大丈夫だ!



とおもったけど
ここに、肝心な「違い」があった。
インタビューシリーズのときは
「インタビューを受ける側は、インタビュアーである石井ゆかりを知っていた」のだ。



今度は
私がどこの馬の骨で
このインタビューがなんのためのもので、どこに載るのかさえ
全く知らない相手に、話を聴こうというのだ!


はっはっはっは



心の中の顔色は真っ白を通り越して透き通っていた。
このときちょっと
影が薄くなっていたかもしれない。



しかし
ここまで来たらもう、引き下がれない(っていうかこの企画はそればっかりだ



ここで
迫さんと五十嵐さんと小林さんとの4名でのミーティングは
第一弾、収束となった。
五十嵐さんは、あとで蔵織さんに地図などの資料を持ってきて下さるとのことで、
じゃあ、あとでまたね
という感じで散会した。
迫さんは
「僕の紹介って言えば大丈夫だと思うので、
 あと、二人でインタビューの依頼は、いけますよね」
と言ってくださった。
小林さんは、はい!と気持ちよく言ってくださって
それで
私たちは
さきほど勝手に決めさせて頂いた生贄・・じゃない、インタビュイーの皆様に
インタビューを受けて下さるかどうか、
お願いに回ることになったのだった。



こんなにここでも何度も
「初対面は怖い」
「人見知りだ」
「人に会うことにものすごく臆病だ」
と書き暮らしているのに
こんなとになる(というか自分から追い込む)とは・・・・!


わけわからん!


と思ったが
このときはあまりの展開にもうハートがマヒしていたので
小林さんにくっつくようにして、
「連れて行ってもらう」感じになった。


そして
イカラカラさん、という雑貨屋さんに行き、
妙覚寺さん、というお寺に行き(この中ほどの写真の金色のねこは、小林さんのご実家のゴンちゃん。)、
古町糀製造所さん、というスタンド形式の甘酒屋さんに行き、
Dr可児さん、というレストランに行った。


「アンタ、何者?何しにきたの?」
という、容易に予想される厳しい風当たりは
全くなかった。
皆さん、お仕事中なのに、
私のイミフメイの説明を辛抱強く聞いて下さり、
インタビューも、快くOKして下さった。


迫さんのおかげなんだなあ、と思った。
「迫さんからのご紹介で」って言っただけで
私の出自とか、今回の写真展の内容とか
そういうことを詳しく説明しなくても大丈夫だった。
「迫さんのご紹介で」って言うと、
話を聴いて下さる方の表情がなんとなく、安心したような感じになる、気がした。



たてつづけに4件のインタビューのアポイントがとれ、
私は、嬉しさとわくわくと不安と書きたい情熱とでぼーっとなってしまい
ふわあっと、雲の上を歩くような心許なさで
次のミーティング会場、蔵織さんに向かった。


      • -

ここには、カメラマンの相田さんもきていて、
五十嵐さんも加わり、
総勢5人の打合せとなった。


ここで、誰が話し始めたのか、記憶が曖昧なのだが
とにかく、気がついたら
「柳都」
の話になっていた。


柳都
というのは、新潟市全体の呼び名でもある。
「柳都大橋」という大きな橋もある。
文化会館の名前は「りゅーとぴあ」である。
地域の愛称みたいな感じだ。
だから最初、なんの話をしているのかよくわからなかった。


しばらく、聞いていると
やっと話がのみこめてきた。
それは
「芸妓さんたちの踊り」
のことなのだった。
お座敷で歌や踊りを披露する芸妓さんたちがいて、
それを鑑賞する会が開かれたりしているらしいのだ。


市役所の職員である五十嵐さんは
そうした鑑賞会を企画運営していたのだ。
それが、とても人気だった、ということだった。
五十嵐さんは、その人気の様子や、
内容をいろいろ、説明して下さった。
いつもチケットは完売で、
「もう一度みたい」という感想がたくさん寄せられるらしい。


新潟市には、かつて、
全国津津浦々まで知られた、非常に有名な花街があった。
新潟は古くから大きな湊町として栄えたので
人の往来も多く、荷の取引などでたくさんのお金が落ちたのである。
お金の落ちる場所には、繁華街が栄える。
「新潟古町」と言えば、
かつては京都祇園にも匹敵するほど有名な「名前」だったことが
古い双六でもわかる、と志賀さんが教えてくれた。
「名所双六」というような、日本の各県のさまざまな名所を取り上げた双六があって
富士山とか、善光寺とか、そんな名所旧跡が各地で紹介される中、
ただ2カ所、京都と新潟だけが
「美女の絵(つまり、花街が名所!ということ)」
なのだ。
そのくらい、有名だった。


今もその面影は残っている。
木造の大きな置屋さん(芸妓さんの事務所みたいなもの)「鍋茶屋」さんは
いまもそのまま、古町に現役で残っている。
古町を歩くと、まだわずかに、そうした建物がいくつかある。


芸妓は、いわゆる「娼婦」とはちがう。
「芸は売っても身体は売らぬ」が気概だった。
とはいえ、もちろん、夜の花街は男と女の世界だから
そのへんは時と場合と事情に寄ったわけだし
業界内の正しい手順を踏んでそういうふうになることもあるわけだけれど、
とにかく、愛を売ることが専門の娼婦の世界とは、一線を画すのだ。
芸妓はあくまで芸で勝負、の世界なのだ。
娼婦が愛を売るとすれば
芸妓は夢を売るのだ。
たとえば、永井荷風の愛人(妻にもなった)としても有名な日本舞踊家・藤蔭静樹(八重)も、
もとは新潟古町の芸妓だった。


実は、彼女は、何をかくそう、
この蔵織の元の所有者、庄内屋シンさんの、妹分にあたる人なのだ。
シンさんは彼女をずっと、陰ながら支援し続けたらしい。
この話も、志賀さんから聞いた。


今回のイベントで、
蔵織の二階の座敷で、
芸妓さんに、踊りを披露してもらえないだろうか
というアイデア
するするっと細い狼煙のように、
その場にたちのぼった。


それだ!


でも、ぽっと東京から来た、わけのわかんないライターでは、
そんな「申し込み」は怪しすぎて通りそうもなかった。
それこそ、こういう、人と人とのつながりでできた「文化」は、
土地に根を張っていて、
外からそれに接することはできても、
それを開催する側になることは、容易ではない。


しかし。
有り難いことに、五十嵐さんが
手配をして下さることになったのだった。



もしかして

できそうかも。。



わたしは、もう、
何が起こってるのかわからなかったけれど
それが実現している、その情景だけは
なぜか、はっきり思い浮かべることができた。



ここでは、もう、
私が一人でできる範囲のことを、超えてしまっている。
でも、新潟のここ、蔵織さんで、
この時期に、こういうことができる、というのは
地面と時間とがしっかり結びついている感じがして
いかにもささやかなんだけど
とても、すてきなことだ

それは、確信できた。



ここで集まる意味があったんだ、と思った。



私は、2月末にインタビューに改めて訪れることに決めて、
ひとまず、この「ミーティング出張」を終えた。



出会った方々は
最初なんとなくクールで
みんなあまり、すぐには笑ってくれない。
でも
話していくと、びっくりするほど力を貸してくれる、
ほんとは熱い人たちだった。


ツンデレっていうか
なんか
そんな感じだ(爆



そういうわけで
私は2月末、再度「インタビュー」に
新潟を訪れた。
これが、先週の話だ。



以下
「インタビュー」に続く。