石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

新潟、ミーティング4


シャッター。



ここは、かつて私が相田さんのポストカードを見つけた、
LA DEFANSEというお店があった場所だ。
正面の窓から見えるように相田さんのカードが飾られていて
偶然、この前を通り過ぎた私の目に、それが飛び込んできた。


私は相田さんの写真がとても気に入り、
何枚かカードを買って、
この人に仕事を頼むにはどうしたらいいか、と
お店のご主人に尋ねた。
すると、
自分宛に連絡をくれれば、相田さんに連絡しますよ
と言ってくださった。
そして、ほんとうにそうなり、やがて
「星なしで、ラブレターを。」ができあがった。


このお店のオーナーで、私と相田さんのあいだを繋いでくれた村田さんは
一昨年の冬に、突然、亡くなった。
まだとてもお若かったと思う。


それでここは、こうなっている。


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写真展の東京会場を決めたのは、
去年の10月の初旬だった。
そのあと、私は年末恒例の、怒濤の「年間占い祭り」に没頭し
あまりの忙しさに文字通り心を失いかけた。


年末、最後の力を振り絞って年報を書き、
そこからしばらく、ぐったりしてしまった。


写真展のことは
「年が明けたら本格的に動けばいい」
と考えていたけど
こんなにすぐ年が明けるとは・・・と
内心慌てていた。


だいたい、やったことがないんだから、
なにをどう準備すればいいのか、皆目検討がつかないわけなのだ。

私は見当がつかないことというのは
非常に不安になるのである。
なんか「どうにかなるさ!」的な楽観がぜんぜん、湧いてこない。
どうしようどうしようどうしよう

ずーっと「どうしよう」を頭の中に渦巻かせておいてしまうのだ。



そうする間にも
案内ハガキだけは早めに作ろう
と、それだけは年内にやってあったので
さあ
それをどうやって配ろうか
という段になり
プリントのことやハガキを置かせてもらえる場所など、
新潟のスタッフ、小林さんとメールで何度もやりとりを重ねていた。


そのやりとりの中で、なんとなく
「1月に新潟に行こうかな」
という気分になってきた。
小林さんは地の利を使っていろいろな方に声をかけてくれていて、
「お話ししたい」という気持ちになったのだ。
ただ、
具体的に「これをお願いしたい!」というようなことは
ぜんぜんおもいついてなかった。
とりあえずブレーンストーミングかな
という気分だった。



「1月に新潟に行って直接お打ち合わせしましょう」
と言ってみた。
そしたら、小林さんは、2人の方に引き合わせます、と言った。


しかし。
お目にかかれることになったのは
新潟市「水と土の芸術祭」実行委員会の五十嵐さん(つまり市役所の方)と
上古町商店街振興組合の迫さん
のおふたりだった。


。。。。。



敷居
高し!!!!!


たかが
「筋トレ」10周年
なのに


「とりあえずブレストね」
みたいな軽い気持ちでいたのに




そんな社会的広がり的なものを担えるのか、自分!!!



つっこんでみたが
出た○○引っ込まない。



すっかり血の気が引いたが
まあ
小林さんもいるし
だいじょうぶ・・・かな・・・
でもだいじょうぶじゃなくてもべつになぐられもしにもしないし


ひとりじゃないってー
すてきなこーとねー



裏声で呟きながら
社会的立場や地位の差とか自分の社会性のなさとかについては
あまり深く考えないことに決めた。


      • -


この話はやっと
「新潟、ミーティング1」
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20100129/p1
の時点までたどり着いたのだった。



1月半ばも過ぎた頃、
私は新幹線に乗って、若干ビビリながら新潟に向かった。
新潟はこのとき、東京よりあたたかく、
ババシャツを何枚も持っていった私は出鼻をくじかれた。
なつかしい白銀(※)の世界を想像していたのに
東京と同じやん!
と内心ツッコミを入れていた。
(実は私が東京に帰ってすぐ、新潟は記録的な大雪に見舞われ
 そのときはもう、北のロマンどころではなくなったのだった)


待ち合わせは昼過ぎで
私は少し早めに現地に向かった。
指定されたのは古町通のフーデリックというお店だった。
新潟の中心を貫くメインストリート、
(広い広いとおりなのになぜか)「柾谷小路」を、まっすぐ海の方に歩いていき、
白い昭和リリカルな書店「北光社」の角を左に曲がれば、古町通りだ。
角を曲がれば・・・角・・・・かど!!!!


ここで衝撃を受けた話は、↑のリンク先に書いた。


衝撃にちょっとよろよろしつつ、
私は古町通に入っていった。
入ってすぐのあたりはアーケードが通り全体をカバーしている。
新しいお店が多く、ドラッグストアやコンビニなどもある。
しかし
こんなアーケード街なのに、
魚の小骨のような路地が無数に、脇に流れ出している。
路地を覗くと、喫茶店の看板が見えたり、奥にブティックがあったりする。
古い木造の長屋に挟まれるようにそういうものが点在する。





奥を覗くと看板が見える。
とにかく見に行ってみたくなる。




ここまでくるともう「路地」って言ってもいいのかな・・・
いやでも
舗装されてる感じからすると
人が少しは通るんだろうな・・・



これは言っておくが
ほんの「一部」なのだ。



実は、この古町通りには、路地が
こーーーーんなに(↓クリックで拡大する・・かな・・・)




ある。(この縦の茶色っぽいスジがみんな路地。)



もう



http://blogs.yahoo.co.jp/hiyoriyama5/folder/1355002.html

こんなもの(上の地図はこの一部)を作っちゃうくらい、ある。


ハッキリ言って



煩悩!!!!
である。


mixi「細い道が気になってしょうがない」というコミュニティがあって
私はそれに参加していて
今回いっしょに写真展をやる山口さんもそこに入っているのだが
現在参加者は2427人。
ちなみに
mixi内で作って頂いている「筋トレファンクラブ」というコミュニティの参加者数は1639名様だから
筋トレユーザよりも路地マニアのほうが多い
と言える。
そのくらい
世の中には路地に煩悩する人が
たくさんいるのである。


人は誰もが
生まれてくるときに、細い細い道を通る。
それは
「産道」
だ。
ハッキリ言って絶対通れません(っていうかその道の持ち主としてもまずそこはそのサイズはアレだろうっていう気がする)
としか思えないようなあの細い細い道をまずは
「くぐりぬけよう!その先に何かあるはずだ!」
と思わないと
われわれは、生まれることさえできなかったはず、なのである。
細い道に入っていきたくなる
というのは要するに
生まれることの大前提となる衝動であり
誰もが心に持っているもっともプリミティブな生命力の証なのだ。



言ってみたが


私はその産道をなかなか出てこずに
出産予定日を2週間過ぎて
その産道を通りにくくなるほどにでかくなった(4000グラムまで成長)したあげく
それでも出なかったのでバキュームで吸い出された
という経歴の持ち主である(爆


まあ
いい。


もう
こんなものまであるのである。
(この話は上記Iさんにおしえていただいた)
全国路地サミット・・・・・


ぎゃおーん!(←もはや言語になっていない。


というわけで
全国路地を愛する友の会の皆様
是非、日本野鳥の会の人が使うあの、カウントする機械を持って
新潟で路地を数えてみてください。
悶絶だと思います。



。。。


話が逸れた。


そうやって道草を食いながら、打ち合わせ会場に着くと
私が一番乗りだった。

すぐに小林さんが来て
迫さんが来て
五十嵐さんがやってきた。


迫さんは思ったよりずっとお若い方だった。
似顔絵がここにある。
写真も、ちょっと探すとある。
「地域のえらいひと」が来るんだ
とバリバリに緊張していた私は
この、迫さんのおかげですごく助かった。
やさしくてオープンな、暖色の空気を持った方だった。
東京から来てわけのわかんないことをしようとしている私に対し
「お前、なにもんじゃい」感を全然出さないでくださった。
あとで聞いたら
迫さん自身も、新潟生え抜きの方ではないのだった。
迫さんは九州出身で、新潟で大学に進学し
そのまま、新潟にいついてしまった、という経歴の持ち主だった。


市役所の五十嵐さんは、
カンロクというか、存在感がびりびりしている方だった。
なんとなく、
担任の先生じゃなくて学年主任の前にいる
みたいな気分になった。
最初はずっとだまって話を聴いて下さっていて
もしかしたらたいくつなのかな
と思ったりして焦ったが
あとで、熱く、新潟のことをお話しして下さった。
新潟が港の町であること、
そのことがどんなひろがりをもっているか、ということ。
そのお話は、回顧談でも歴史の話でもなくて
「夢」の話だった。
夢と言っても、夢想とか、憧れとかじゃない。
そういう儚いシャボン玉やクラゲみたいにゆらゆらすきとおるものじゃなくて、
大人が見る、しっかりと根っこを持った、
いつか彼方に、絶対に叶えたいと願い続けるような
そんな、筋肉や骨のある「夢」だ。




このお二人に引き合わせて頂いて
まず、やまちゃんに作ってもらった名刺で名刺交換、という時点では
ここに来て頂いて皆さんに「意味があった」と思ってもらえそうな話は
なにもおもいついてなかった(どかーん



でも
話していくうちに
このお二人がいなかったらぜったいムリ、だったものがでてきた。



それは今もまだ
卵の状態なんだけど
でもそうとう、でかいぜ(えへへ



というわけで



つづく。


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mixiやってるかたは、
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2013551
こちらでデファンスさんの在りし日の様子を垣間見られます。


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※ 石井ゆかり、中学校と高校は雪国育ちだった。
 ゆきかきであんなにつらいめにあったのに、
 スキーもできないのに(歩くスキーはできる。がっこのたいくでやったから。)、
 それでもゆきがすき。