石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

新潟、ミーティング4・・・の前に。

これも新潟で撮った。
蔵織の近所。




よーく見ると、雀がすずなりになっている。


蔵織の志賀さんがこの下までくると、
この雀は一斉に、向かいのビルに逃げ去った。


そして、
志賀さんがこの木の真ん前にあるお店(ここもギャラリー)に入ると
入った、まさにその瞬間に、
この状態に戻った。


ちらほら戻る、とか
様子をうかがいながら戻る、
とかではない。
瞬時に、全員が、
ばっ!!
と戻ってきた。



やるな、雀。



      • -


で。
新潟に出向き、小林さんに会い、相田さんに会い、蔵織さんに行き、志賀さんに会ったあと
私は、東京に帰った。



そして、
とるものもとりあえず
もう一人の写真家・山口さんに
「お願いします!」
と頼んだ。


「二人展をやらせて下さい。」


たぶん、写真家にとっては当然
「個展」
のほうがいいと思うのだ。
自分だけの作品でめいっぱいやりたい
と思うのは
絵だろうが写真だろうが音楽だろうが文章だろうが
クリエイションなら、みんな同じだろうと思う。
もちろん「コラボレーション」の面白さはたしかに、あるんだけど
でも、やりたいことを徹底的にやるには
やっぱり、一人じゃないと難しいだろうと思う。
二人展でお願いします
なんて、ある意味、失礼だと思う。
二人とも、過去に何度も個展をやっている、
一人でちゃんと会場を創造できるアーティストなのだ。


でも、相田さんも山口さんも、快くOKしてくれた。


二人展にしたいと思ったのは、
いくつか、理由がある。
思いついたときは全く直観的に思いついたので
それに問題点とか矛盾とかは一切感じなかった。
でも、
どうして二人展にしたいと思ったんだろう
と、あとで考えたとき、
いろんな理由がわきあがってきた。


小中学校では「図画工作」とか「美術」の時間がある。
そこでは、レンブラント岸田劉生のちがいをまなべる。
画家にはそれぞれ作風というものがあり、
同じ木を描いても、ぜんぜん違う絵になるのだ
ということを
私たちは小さいときから教えてもらっている。


でも
写真にもそういうものがある
ということは
あまり、教えてもらえない。
写真家の作風
というものをリアルに体験できる場は、
義務教育の場にはない。


ミュージシャンにも、作家にも、みんな「文体」「作風」がある。
写真家にも当然、それがある。
でも、
それをまとめてがっつり体験する場には
なかなか、出会えない。
編集者さんたちの話では
「写真集は売れない」のだそうだ。
超有名な写真家のはもちろん、売れるけど
それはごく限られた人たちで
どんなに良い写真集でも、業界だけで有名な人とか、
あまり普通に知られていない人の写真集は、
ほんとう!に、売れない、らしい。


でも、写真は面白い。
私は写真を見るのが好きだ。
写真家には作風がある。
写真家は自分にしか見えないものを見る目を持っている。


それをどっぷり味わうには、どうしたらいいか。
作風が立っている2人に、二人展をやってもらえばいいのだ。


山口さんも相田さんも沢山作品のストックがある。
もし、それをまぜこぜにされてしまっても
たぶん私はほとんどまちがわずに、
二人の写真を、ひよこ鑑定士みたいに分けられると思う。
それは、作品を記憶しているからではなくて
筆致が違うからだ。


これは、私だけの印象じゃなかった。
こないだ、「フォトステージ」誌の取材を受けたとき、
取材して下さったNさんに、2人の写真をみせたら
「どちらも、『光』がとても印象的ですが、作風は全然違いますね」
という感想を言ってくださった。
その通りだと思った。
しょっちゅう写真を見て、その業界で仕事をされてるNさんのような方が、
そう言ったのだ。
私は自分の「目」には全然自信がないので
Nさんのこのコメントに、なんとなく、ほっとした。

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てなわけで
やまちゃんにお願いして了解してもらって、
ここで、二人の了解がとれたわけである。
これで晴れて、
「手段」のほうに走り出すことになった。



そこからの記憶がちょっと、前後関係が曖昧なのだが
まず
「東京会場」を探すべく、
ネットでいろいろ検索したり
やまちゃんと二人で新宿のギャラリーを探して歩いたりした。
写真のギャラリーと絵のギャラリーは違う
(絵専門、フォト専門と分かれてるのが普通で、使用料も大きくちがう)
ということや
街のあちこちにギャラリーはたくさんあって
いつも無数に写真展が開かれているのだ
ということがわかった。


このプロセスの中で私は
「写真展」のノウハウというものがあって、
プリントや展示の仕方やDM作成やなにやかにや、
そんなあらゆることをまとめてくれる会社さんがあるのではなかろうか
と考えた。


私はハッキリ言ってこういうことはまったくやったことがないわけである。
で、器用でもない。
こういうイベントは、工作とかが得意だったら
あれこれ工夫して、自前でいろんなもの作っちゃったりしてやるのだろう。
でも私は、嘘みたいに不器用なのだ。
私の手は、パソコンのキーボードを打つこと専用にできてるのではないかと思うくらい
ほかのことが
・・・箸を持つくらいしかできない(爆


だから
写真展全般のことをよく知っていて、
いろいろ手助けしてくれる業者さんはいないのだろうか・・・
と安直なことを考えたのである。



ググりまくったその結果
写真弘社さん
を発見した。


そう!
私が言いたかったのはこういうことなんだよ!
と興奮し(←すぐ興奮する。たぶんこのせいで人よりも心臓に負担がかかっている気がする)
ドキドキしながら「ドシロウトなんです!ヘルプ!」のメールを出してみた。
すると、すぐに返事を頂けた。
私は神田にいって、ドシロウトぶっちゃけで話を始めた。


写真弘社のHさんはさいしょ
私が趣味で撮った写真の写真展をしたいのだろう
と思ったそうだ。
ムリもない。
いざ説明するとなると話が非常にややこしかった。
まず私はライターで、写真のことはまったくわからなくて
出してる本は占いの本がほとんどで
なぜか二人展で、二カ所開催で・・・


イミフメイ


である。
話しながら自分でも、
わけわからんなこりゃ
と思い、内心、半泣きになった。


でも、Hさんは根気よく話を聴いて下さり、
さらに、ギャラリーとしてよさそうなところを
すぐにいくつか、ピックアップして紹介し始めてくださった。



さすが
プロ



頼もしさに涙が出そうになった。
大袈裟なようだが
私は、知らないことをしたり知らない場所に行ったり知らない人に会ったりするのは
極端に緊張するのだ。
それも
向こうからの仕事のオファーで会うときはなんともなかったりするのだが
こっちから「お願いします!」の時は
めちゃくちゃ緊張して、てんぱって、
もうどうしようもなくなっちゃうのだ。


だから
最終的にこのややこしい話をわかって頂けたときには
ほんとにほっとしたのだった。


その後、ギャラリーを何件か当たっていただき、
後日、メールで紹介していただいたのが
渋谷のルデコだった。


数日後、Hさんは祝日のお休みを押して出てきて下さり、
やまちゃんも川口から来てくださって
3人でルデコを見学した。


ルデコビルはフロアがたくさんあって
ひとつひとつが1つの会場になっている。
そして、すべて、内装や間取りが異なっている。
私たちは上から一つ一つ、開催中の展覧会を眺め、スペースを確認していった。
ギャラリースペースはきれいだが、
エレベーター脇の階段は細く古く、
この古さが、じわっ、じわっ、と気に入った。



そうして2Fまで来たとき、
私は、ここだということがわかった。
広い部屋が、ふわりと半分に仕切られている感じで、
二人展にはぴったりだった。
窓があり、壁は白く、
風通しが良くて、明るかった。



責任者の島中さんとは
2度ほどお話しさせて頂いた。
実は拙著「禅語」にて
「自ら返照して看よ」の稿に紹介したのは
このときの、ルデコの島中さんの言葉だった。


写真作品を焼き増しして販売すること、
「記帳」はお願いせず、もっと他の落書きとかできるものを置きたいこと、
「順路を通り過ぎて通り抜ける」ような写真展じゃなく、そこにしばらく座っていられるような空間にしたいこと。
あらかじめ打ち合わせていたかのように
やまちゃんがやってきたことや、私がイメージしていたことと同じことが
島中さんのお話の中に、いっぱい出てきた。
そうそう、そうなんです
の勢いで話しをうかがううちに、
さあっと鳥肌が立って、
自分の顔が赤くなるのがわかった。


私は興奮するとそうなるのである。



そのあと1ヶ月くらいして、
相田さんが新潟から会場を見に来てくれた。
資料で間取りを見たとき、狭いのではないかと心配だったそうだが、
現場を見たら、すごく気に入ってもらえた。
そのあと、二人でラーメンを食べた。
ちょうど昼時で、ぎちぎちの相席だった。
あのあたりは、ラーメン屋さんがめちゃくちゃたくさんあるのだ。


相田さんは、私の死んだ父親と同じ歳なのだ。
ぜんぜん父とはタイプも雰囲気も違うけど
同い年なんだな、と思いながら
並んで静かに、ラーメンを食べた。


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以下、さらにつづく。