石井ゆかり@筋トレのブログです。
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新潟、ミーティング3


>>>写真展の詳細はこちら。


新潟で見つけて一人で盛り上がったものシリーズ、第4弾(っていつからシリーズ化したんだ




古町通商店街のとあるブティックの看板。
スタッフかオーナーさんの手によると思われる印象的な絵に
段ボールで「30%OFF」と切り抜いて貼り付けてある。
画材はアクリルか水彩だろうか、


画面から華やかな気迫が感じられて
写真に撮らずにいられなかった。
描きたいものを描きたいように描いた!これいいでしょう!
という純粋な情熱みたいなものがただよってきて
これ描いた人はだれだろう!
と訊いてみたかったんだけど
お店の中にたまたま誰もいなかったので訊けなかった。




つづくの、つづき。



        • -


私と小林さんは、気がついたら、ギャラリー・蔵織の中にいた。


そこは木造の古い日本家屋だった。
神社仏閣でもなく、過去にお店だったわけでもない。
しっとりと生活の香りのしみこんだ、清楚な家だった。
玄関を入るとたたきがあって、
そこから上がるとすぐに座敷になっている。
左側に一間、奥に続く廊下、廊下の右には坪庭。


たくさんの観光地で、
こうした古い建物が残されている。
それらの多くは、博物館などのかたちで公開されている。
でも、そうした、
古い建物と見知らぬ人々が出会う場では、
「だれになにをされるかわからない」
という危機感がある。
落書きをする人、柱の木をむしり取っていく人など
「なんでこんなことするんだろう?」
と思えるようなイタズラを、
一部の旅行者はほんとうに、執拗にやっていく。
だから、結局、古い建物には
たくさんの「ここから先はスタッフオンリー」があるし、
あらゆるところにカバーが掛けられていて、
順路は絨毯で覆われていて、
畳をそのまま足で踏めたり座布団に座れたりすることは、
ほとんど無い。


でも、蔵織はちがった。
ここはギャラリーとして使われているにもかかわらず
今も「家」だった。
少なくとも私にはそう見えた。
このときは近くの大学のゼミ生による作品展示が行われていたが
入ってすぐの座敷には座卓が置かれていて、
そこに、作品の制作者である学生さんがぺたっとすわって何か作業をしていた。
建物は慎ましやかだけれど、よく見ると瀟洒な作りで、
ふすま絵や欄間などに濃やかな趣味が感じられた。


二階には3間、建物の奥には蔵があって、そこが一番広い展示スペースとなっていた。
私はこの家を歩き回りながら、
「記憶」を掘り起こされていた。


私が幼稚園から小学生の頃はまだ、
都会でも木造で和風の家が多くあり、
自分の家もそういう作りだったし、友達の家もそうだった。
でも、自分の年齢が上がるに従って
こうした、木造の日本家屋はどんどんみかけなくなり、
考えてみれば、畳のある家に住まなくなって、もう、10年以上になる。


子供の頃に住んだ家は、
柱や天上の木は焦げ茶色でしっとりしており、
階段は1段1段が高く、
畳の上に座り込んであそんでいた。
たばこ盆があって、
鰹節削りがあって、
四角くて大きなラジオがあって、
窓のカギは鈍い金色をしたハートの部分をくるくる回す、ネジ式だった。


蔵織のなかをあるきまわりながら
私は、幼稚園の頃の光景とその空気を思い出していた。
こういう家の中で育ったのだ、ということを思い出した。
否、私の生まれ育った家はこんなに立派でも古くもなかったけど、
でも、木でできていて、畳で、こういう階段があって、
まさに、こんな感触だった。


旅に出て、いろんな「古い家屋」が博物館や美術館になっていて
そこに何度も立ち寄ってきた。
でも、こんなに
「ここは、家だ」
と感じた場所はなかった。


これは、「自分の家みたいな気がした」というのではないし、
「アットホームな空間」というのともちがう。
あくまで清潔でオフィシャルだ。
だけどたぶん、
多くある「古い家屋を利用した○○」は、
「かつて家だったけれど、今は家ではなくなった場所」なのだ。
ここはそうではなく、「家」の、ままだった。
どうしてそうなのかはわからなかったけど
部屋は部屋のまま生きていて「展示室」に化石化しておらず、
廊下は廊下のまま生きていて「順路」に風化していなかった。



そんな不思議な気持ちでぐるぐる回っていたとき、
ふと、あるものが目に入った。
それは、写真だった。



たぐいまれなる美少女の。



美少女の写真。
といってもそれは「新潟美少女図鑑」みたいなアレではない。
そうではなく、
とても古い写真だ。
そこに写っていたのは、
この家の元の持ち主、
「庄内屋しん」
という女性の、13歳の時の姿だった。


この写真を見て、ちいさく息を呑んだ。
ちょっと時間が止まったような感じがした。
それほど、私にとって、印象的な写真だった。
誰もがそう思うかはわからない、
ただ、私がそう感じただけだ。


来歴を書いた新聞記事のコピーがそばにあったので、それを読んだ。
彼女は明治時代に、ここ新潟の花街でデビューし
その後長いこと語りぐさになったほどの、絶世の美少女だったのだ。
13歳で芸妓となった彼女は、その可憐な美しさで大評判をとった。
「容色極めて美しく 色は白雪を欺き、
 梨花一枝春雨を帯ぶる風姿あり。
 長唄を能し 見る人その愛すべきを覚ゆ。
 当時最も流行の芸妓なり。」
と評された。


この表現は、この写真の姿にいかにもぴったりくる。
記事にも
「この紹介が決して誇張ではないことは、
 ・・・当時の写真を見て頂ければ
 『なるほど』と納得されるであろう。」
と書かれている。



肩におろした、いわゆる「洗い髪」で少し横顔に写る表情は
澄み渡る冬の空気のように清雅で、
切れ長のまなざしも透き通るようで、
見ていると、ほとんど痛みにも似たものが胸をよぎった。
顔かたちの美しさもさることながら、
この表情に浮かぶ、可憐としかいいようのない潔さはなんだろう?


現代風の基準で「美人」といえば
目はぱっちり大きく、鼻は高く、鼻筋が通っていなければならない。
だが、「庄内屋しん」の写真は
彫りはどちらかと言えば浅く、目は切れ長で細く、面長だ。
条件がこうもちがうのにもかかわらず、
やはり
この写真は「美少女」としか言いようがない。
それも、何度も写真を見直したくなるような、
心をうばわれる美しさの。


庄内屋シンがこの家を買い取ったのは
この写真を撮った時期より、ずっとずっとあとのことだ。
彼女はデビュー後、それほど時をおかず、
東京の華族様に身請けされ、上京した。
その後、彼女を請け出した伯爵が病に倒れ、
彼女はまた新潟に戻ってきた。
そのあとで、彼女はこの家に住んだのだ。


文豪や歴史上の人物が住んだ家
という観光地はたくさんある。
私もそういうところは好きで、しばしば訪れる。
中には、作家が作業をしていたそのままの状態が保存されているようなこともある。
彼らの「生活」「日常」に触れるようで、
時間が逆戻りしてひどく身近に感じられて、ドキドキする。
そういう経験はかつて、あるのだが、
しかし。
この家と、
この「庄内屋しん」の写真は、
私の中に、もう少し、べつの作用を引き起こした。


それがなんなのか、
今考えてみても、まだよくわからない。
でも、私はこのとき、
この建物と「庄内屋シン」という女性の生活空間全体に
魅了され、はまり込んでいたのだ、という気がする。
この家には女主人がいて、
その女主人の家として
モニュメントにも「文化財」にもならずに
今も家のままでありつづけているのだ。


こんなふうに、幻影に酔っぱらったみたいになるのは、
私だけのことなんだろうか?


そんなふうにぼーっとしながら、気がつけば
蔵織のオーナーである志賀さんに、
建物の中にある喫茶スペースで、
写真展でここを使わせて欲しい、という話を始めることになった。


この時点で私はすでに
「ここでやる」
と決めていたと思う。


      • -

あたたかく深いオレンジ色の空間で、
話し始めた「志賀さん」は、
ざっくばらんで、とてもパワフルなインタフェースの持ち主だった。
たぶん、相田さんと同じくらいの年代だと思うのだが、
骨っぽさとか反骨みたいなものが、全く錆びない感じの人だ、と思った。
ある程度年齢を重ねた人に見えてくる、あの、
なにか悟ってしまったような感じとか、諦めた感じ、
もう前には進まない感じ、しなびたようなくすんだような感じは
全然無かった。
明るくて磊落な感じの言葉は
知的で、ちょっとシニカルで、ユーモアもあって、
なにより、「熱」がこもっていた。
この「熱」は、情熱とか、優しさとか、熱中とか、真剣さとか、
そういうものが何層にもかさなった厚みのあるものだ、という気がした。


その、あくまでナチュラルな勢いで、志賀さんは、
この建物の由来や、新潟の花街の歴史、
このギャラリーで行われていることなどを
一気に説明してくれた。
もともとこの家は、志賀さんのひいお祖父さんが建てたもので、
それを、シンさんが買い取って住んだ、といういきさつがある。
志賀さんのお家は、お祖父さんくらいまで遡ると、
お互いの家族同士の縁組みで、シンさんと縁が続いている。
志賀さんは建築設計関係の会社の社長さんで、
数年前にこの家を買い取り、ギャラリーにした。


蔵織では、アート作品の展示会の他に、
ミュージシャンのライブがあったり、
日本酒の試飲会があったり、
外国語教室をやる人もあるのだそうだ。
時には泊まりたいっていう外国からの観光客を泊めることもあるよ、
布団もトイレもあるし、
風呂はないけど、すぐ裏に銭湯があるからね、
と志賀さんは言った。


聞けば聞くほど、
ここでやりたい
と思った。
メインの展示スペースである蔵は2階建てで、
それぞれのフロアをやまちゃんと相田さんに割り当てればいいから
二人展にはうってつけの会場だ。
さらに、
母屋の二階には30人くらい入れるというから、トークライブみたいなことできるし、
母屋の一階にはテーブルの上に本を置いて、
図書室みたいに楽しんでもらえるだろう。
なにより、座敷に座って、
来てくださった人とのんびりおしゃべりができる。
ここに座って、
下半期を配ったり本にサインしたり、
人が居ないときは占いや本の原稿も書ける。
たぶんやりたいことがここで、全部できる。
イメージがいっぱい湧いてきて
興奮してちょっと息が苦しくなった(←喘息。ごくたまに出る。


説明のさなかに、
志賀さんは、この建物がテレビに取材されたときの録画映像を見せてくれた。
隣の座敷に移動して、そこで座って見た。
そのあと、志賀さんは、
「庄内屋シン」のことをあらためてくわしく、説明してくれた。
志賀さんは彼女を「シンさん」と呼ぶ。
そのとき、洒脱な語り口の中に、かすかに厳かな感じがこもる。
冒しがたい大切なものを呼んでいる、という気がする。
彼女の写真を私に手渡すとき、
まるで昔の恋人の写真を見せるみたいな感じだ、と思った。
そのとき、
ああ、私だけじゃないや、と安心した。


これは私のカンだけど
たぶん、志賀さんも、彼女の存在に、
なんらかのかたちで、「はいりこまれて」しまったんだろう。
(なんて言うと志賀さんにおこられるかもしれないけど(汗))
もちろんそれは、
志賀さんにしかわからない何事かなんだろうと思う。
私のこの感じも、やっぱり
私にしかわからないだろうし、人に説明できはしない。


でも、この空間を作ったのはこの人なのだ、と思った。
この家屋をギャラリーとして運営し、
しかも、「家」の空気を絶対的に残しているのは、この人なのだ、と思った。
からりと乾いて熱い、志賀さんの中に
いかにも繊細で濃やかな、
何か全く別のものが、隠されているんだろう、と思った。
相田さんといい、この志賀さんといい、
対面したときのインタフェースとは全く違った時空を
内蔵している人たちなのだ。
そう思うと、ある種の畏怖と、惹きつけられるものを感じる。


小林さんと一緒に志賀さんの話をきき、
そのあとで、小林さんが私たちのことを志賀さんに説明した。
志賀さんと小林さんは初対面だったが、
志賀さんと小林さんのおばさんにあたる方は学生時代の同級生であることがわかった。
さらに、蔵織は小林さんの実家からすぐ近くにあり、
志賀さんは小林さんの実家を知っていた。
「地縁」はどこまでも続いているのだった。


他の候補を探すなんてまったく考えられなかった。
私たちはここで、ゴールデンウィークに写真展をやることに決めた。
それは、あらかじめ決まっていたことのように思えた。


蔵織からの帰り道、
小林さんと私は、
とても不思議な気分で道を歩いていった。
何を話したかは覚えていないんだけど
とにかく
不思議だ!
と言い合っていた気がする。


あらかじめ用意されていた一本道を、ただ歩いてるみたいな気がしたのだ。
私は東京にいて、
新潟には何の地縁もなく、
小林さんにもこの日に会って
そこで初めて、写真展の話をしたばかりなのに。


      • -

東京に戻ったあと、
志賀さんと数回、確認事項や手続きについてメールをやりとりをしたのだが、
その何通目かに、不思議な話が添えられていた。


蔵織の前庭には水場がつくられていて
そこに、金魚やメダカが泳いでいる。
私たちが帰ったあと、
そこに、志賀さんはへんなものを発見した。
白くて細い、妙な虫のようなものがいたのだ。


そんなものを見たことはなかったので、
志賀さんはそれが何なのか、調べた。
するとそれはどうやら
ハリガネムシ
という寄生虫であるらしいことがわかった。


ハリガネムシは、カマキリに寄生する水中生物だ。
カマキリが水に触れると
お尻からその虫が這い出す。
さらには、ハリガネムシはカマキリの脳にはたらきかけて、
カマキリを水に入りたくさせる、ということまでするらしいのだ。


この話を読んで、
ちょっと鳥肌が立った。
といっても、
このムシが気持ち悪かったのではない。


新潟から帰ってきて、
私は、マンションの自宅の前で、一瞬、部屋に入るのをためらった。
なぜなら、ドアの真ん前の手すりに
朽葉色のカマキリがいたからである。
カマキリはきゅっと首を曲げて私を見た。
私は立ちすくんだ。


このマンションに住んで5年になるが、
こんなところでカマキリなんか一度も見たことがない。
夏、セミはたまに飛んでくるけど、
階も高いし、周囲もコンクリートアスファルトに覆われていて
カマキリの住処になりそうなところからは
遠く離れているのだ。
どんな径路でここまで来たのかわからないし
更に言えば
カマキリが来たくなりそうな餌その他があるわけでもない。


カマキリは数日間、我が家の前で番をはっていたので
出入りするときはいつも、ドキドキした。


そのことがすぐに思い浮かんで、
メールを前にしてしばらく呆然としていた。


あの場所とこの場所が繋がっているような気がしたのだ。


勿論こんなことは、「単なる偶然」でカタがつく。
でも、それを体験した私や志賀さんにとっては
このことはどうしても、意味を持ってしまう。
いや、志賀さんはどう思ったかわからないけど、
少なくとも私には
忘れがたい出来事になってしまった。
意味とは、出来事の側にあるのではなく
出来事を体験した側に生まれるのだ。


これを、シンクロニシティとかセレンディピティとか呼ぶ。
そういうふうにでも名前をつけずにいられない何かが
人間の中には、起こってしまうのだ。

      • -


今度は、東京会場をさがさなければならない。



ここでも、セレンディピティは続いていった。



以下、
つづく。



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ほんとは志賀さんの話はもっとおもしろいこともあったんだけど
ここではこれだけを紹介しちゃうことにする。
これだけでもそうとう面白い。

http://www.amazon.co.jp/dp/B0000C4GIY/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=music&qid=1265434415&sr=8-3

↑このレコードのジャケットは、志賀さんが描いた絵なのだ。



ちいさくてこの画像だとよく見えないけど、
めちゃくちゃかっこいい。


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なんと、この日の模様を、蔵織の志賀さんが「志賀さん目線」で
外伝にしたためて下さいました!


「イミフメイ外伝」
http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/2010sp/gaiden.html
これを一読して、私は志賀さんに
「私・・・これじゃ完全にあほの子じゃないですか!!」
と抗議しました。
それに応えて志賀さんは
「まあ、ほんとはそうじゃないんだからいいじゃない、
 それに、つづきもあるから。いや、あるかもしれないから。」
と宣いました。


・・・こうなったらぜひ!アホの子挽回になるような続編を!絶対お願いします!(このままじゃおわらないぞ!(涙