石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

新潟、ミーティング2

前回「ロンドン並みに面白い」とご紹介した新潟の路地、
「壁の絵」編。



なんかかっこいい。




この写真を撮って帰ってから気づいたんだけど
「星なしで、ラブレターを。」の中にも
この壁の写真があったのだった!


おおお!



ちょっと盛り上がった(一人で(爆


      • -


以下、つづく、の、つづき。



・・・の前に、


なんか話が長いので、
いちおう「あらすじ」を書こう。
(もうよく知ってる方は飛ばして下さい。)
(長編マンガの最初のページについてるやつ、結構好きだったんだよなあれ
それまでのはなしが、けっこう自分の印象と違ってたりするのが面白かった(笑)
私が「ここが要点」とおもってたとこが要点になってなかったり、
あるエピソードの位置づけとか解釈が全然違ってたりするのが面白いんだな)





<ここまでのあらすじ>


2005年頃(かな?うろおぼえ)、
18きっぷの旅をしていてなんとなくふらっと立ち寄った新潟。
折しも真冬で道路はガンガンのアイスバーン
東京仕様のスニーカーではつるつるすべり、ぜんぜん街の散策などできなかった。


で、2007年の夏に再度、18きっぷで新潟リベンジを果たした。
そのとき、古町通の「ラ・デファンス」というアート系の本やグッズを売るお店で
ある写真家の、ポストカードを見つけた。
これに一目惚れした私は、
「ラ・デファンス」さんの店主様に、写真家さんとつなぎをつけてもらえるよう、
手紙と自著を送って、一緒に本を作りたい!と、頼んだ。


幸い、相田さんは快諾して下さって、
新潟の写真家、相田諒二さんとのコラボ本「星なしで、ラブレターを。」が、できあがった。
(ここまでのくだりは、「星なしで、ラブレターを。」の最後に詳しく書いた。)


しばらくして、相田さんが新潟で個展を開いた。
その直後に、新潟に住む「小林さん」という女性から、
一通のメールが届いた。
そこには「相田さんと写真展をやりませんか」とあった。



で、ここから、つづく、の、つづき。

      • -

実は、小林さんがメールをくれたのは
これが初めてではなかった。
私は毎日、とてもたくさんのメールを頂くので、
記憶にハッキリとどまっていなかったんだけど
その前にも、文章への感想などを綴ったメールを頂いていたのだ。
だから、小林さんのメールは、
「今までのメールのつづき」
といった感じだった。


でも、私にとっては、
「写真展をやりませんか」
というのは、完全にそれまでとは意味の違うメールだった。
それまでのメールは、「筋トレのユーザ様」からのメールだった。
このメールは、「スタッフの側」でのメールだ。
だから、ここから先は、私に、
この人を選ぶという責任が出てくる。


こう言うと、なんかおおげさだ。
私は自分だけでこの「筋トレ」というサイトをやってるわけだし
今度の写真展も、入場無料でやるつもりだし、
やめたきゃやめてもいいわけだ。
たとえば、今年の年間占いを書くときは、毛が抜けるほど苦労したけど
これだって、べつに社会的な意味で言う「仕事」ではない。
この作業への対価や賃金はどこからも発生しない。
なのに、私は漠然と、
年間占いを書くことが自分の責任だと思っていた。
これは実に奇妙な思い込みだ。
だけど。


待ってるユーザがいる
楽しみにしてくれてる人がいる
ということは
私にとってはものすごくうれしいことだ。
この、ものすごくうれしい、というところから
「責任」が湧いて出てきたのかもしれない。
期待してくれている方の、その期待を、裏切りたくなかったのだ。
もちろん、全ての期待に応えられてはいないと思うし
「期待はずれだった」といって去っていく方も、これまで、たくさんいた。
私の不徳の致すところ、だ。
でもやっぱり、待っていて下さる方は、今のところまだ、いてくださる。


だから、この小林さんからの
「写真展をしましょう」
のメールに、
我ながらすごくイヤな感じだな! という剣呑なメールを返した。
内容はざっとこんな感じだった。


 小林さんのことを私はまだ、全然知らないから、何とも言えない。
 今までもいろんなお仕事のお誘いを頂いたが、
 中には、イイカゲンに声だけかけて音信が途絶えてしまうとか、
 へんなネズミ講みたいなのさえあった。
 筋トレをはじめた直後、
 チェーンメールみたいのにうっかりはまっちゃったこともある。
 だから、いきおい、慎重にならざるを得ない。
 もしいっしょにやるとしたら、
 私と同じくらいユーザを大事に思ってくれる人じゃないと、できない。
 一緒にやれるって思えるかどうか、お互いにたしかめないといけない。


そのときは正直に真面目に書いただけのつもりだったんだけど
送信ボタンを押してからあらためて自分で読み直してみて
「かー!超やなやつだな−!」
と苦笑いしてしまうような、ぶっちゃけ、失礼なメールだった。
これは返事は、来ないだろうなー
と思った。


にもかかわらず。
小林さんはタフだった。
お返事が来たのだ。
それも、すごく前向きで真摯な内容だった。
まず、ご自身のオフィシャルなプロフィールをご紹介下さり、
あらためて、まじめな仕事として、いっしょにやりましょう、
と、言ってくださったのだった。


あの剣呑なメールの真意を、理解して頂けたんだ、と思った。


それで、再び私は、新潟にでかけていった。


      • -

信濃川が見える、
大きなガラス窓のある喫茶店で、
小林さんと待ち合わせた。
携帯を鳴らして、先にお店にいた小林さんと初めて目があったとき、
きれいなひとだなあ、と思った。
氷に触って「つめたい」とか、カイロに触って「あったかい」とか思うみたいに
なんのひっかかりもなく、何を考えるでもなく
単純にあたまから「きれいなひとだなあ」と思った。


小林さんは、背の高い、エレガントな感じのひとで、
私よりちょっと年上で、知的で、美人であった。
最初に会ってから変わらないのは、
淡いターコイズブルーの印象だ。
そういう色のものを着ていらしたかどうか記憶にないんだけど、
小林さんと会ったあとは、緑がかった青色の残像が残る。


ここで私たちは、雑談をした。
お互いにどういう人間かわからなきゃいけない、とおもったので
お互いにそういう努力をしてたんだろうと思う。
小林さんはちゃんとした勤め人の顔を持っているけれど、
この場では、会社も組織も、なんにもなくて、
自分を作っているのは「自分史」みたいなもので、
それは、型がない。
定石とか、「普通こうやる」みたいなデファクトスタンダードみたいなものがない。
相手のことを知りたければ
「プライベートなことを根掘り葉掘り聞く」とか「土足で立ち入る」とか
あまりイイコトとはされないようなことをしてみるしかない。
小林さんは、その穏やかなインタフェースからは想像しにくいような道のりのことも
オープンに話してくれた。
新潟で生まれ育った人だけれど、
一時は自ら旅立って、アメリカにも住んだことがあるのだった。


小林さんは、かつて、
ご自身で写真展を主催したことがあった。
彼女は、野良猫を保護するようなボランティア活動に携わっていて、
猫の写真を多く手がけていたカメラマンに声をかけて、
写真展を開いたのだ。


その活動では、小学校を回って、子供達にレクチャーもするのだ、
というお話を伺って、
私はふと、
「その子供達には、牧畜のことはどう説明するんですか」
と訊いた。


猫をいじめたり殺したりしてはいけない、と子供に諭すとき、
日頃食べている牛や豚を殺すことは
どう説明するのだろう
と思った。
中にはそれを質問する子がいるんじゃないだろうか。
そのとき、どう答えるんだろう。


そのとき小林さんがどう答えたのか、
私は今、ハッキリとは思い出せない。
ただ、印象に残っているのは、
確かに活動をしている人の中には、
ベジタリアンで、全ての動物を殺すことはいけない、というスタンスの人もいる。
でも、基本的に、
「すべてを救おう」とかそんなに大きいことを考えるよりもまず、
ただ、目の前に、身近にいるその子達を助けよう、という態度の人が多い、
猫は殺してはいけなくて、家畜は良いのか、
というその問題はもちろん、大事なことで、難しいところです
というような話だった。


ほかにもたくさんたくさん、
短い時間でおどろくほどたくさんの話をしたような記憶がある。
でも一番印象に残ったのは
上のやりとりだった。
こういう話をこんなふうに静かに、当たり前に話せる相手だったら
大丈夫なんじゃないだろうか、と思った。
全く論理的に説明できないんだけど、
このやりとりは、私の中でふらふら浮いていた何かを、着地させた。


二時間ちょっとも話していただろうか、
自然に「この人とやってみよう」という気分になっていた。
その感じは、
小学校や中学校で、クラス替えがおこなわれ、
みんな席に着いたところに新しい担任の先生が教室に入ってきて、
その先生がしばらくお話をしてくれて
「よかった、イイ先生みたいだ!好きになれそう!」
と安心したときの気分に似ていた。


小林さんは、その場で相田さんに電話してくれた。
運良く相田さんの身体が空いていて、
相田さんは15分後くらいに来てくれた。
で、その20分後にはもう
「写真展をやる」ことに決まっていた。


そこで、すぐに
新潟会場をどこにするか、という話になった。
相田さんも小林さんも、新潟出身で新潟在住だ。
だから地元の情報は詳細かつ濃密で、
ぽんぽん候補が飛び出す。
そのうち、
蔵織」がいいんじゃないか
と、相田さんが言った。
そして
「どんなとこだか見せるから、今まだ開いてるから、車で乗せてってあげる」
と言った。


こんなに展開が早くて大丈夫だろうか・・・・・

内心、ちょっと青ざめていたのだが
こうなったら行くしかない。
まてしばし、は、ナイ。


で、
相田さんの車に乗せられて
ギャラリー・蔵織さんに向かった。


車の中で、相田さんは
このあいだの個展の話をした。
「お客さんの中に、相田さんの作品は、フェルメールみたいだ、と言う人がいて
 それがうれしくってさあ」
と言った。(この語尾の「さあ」は、新潟弁。)
私は、そのお客さんが言った意味がよくわかった。
フェルメールの絵の、あの「光」の感じは
相田さんの写真のなかにもある。
相田さんの写真を見るとき、
光がどこから射してどこを照らしているか
ということを襟首を掴まれるようにして意識させられる。


私たちにとって、見るということは当然すぎるほど当然のことだ。
見えている状態が「ほんとう」で、
見えていない暗闇はどこか、「まちがい」であるような気さえする。
でも、ほんとうは
光のない、見えない状態が「デフォルト」であって、
見えるのは、どこかから光がやってくるからなのだ。


光は、どこかからやってきて、
そして、目の前を照らし出している。
目の前に何かが見えたとして
それが「見える」のは
けっして、当たり前のことではない。
そこに光があるから、
そして、照らされたものがいくつかの光を吸収することを拒むから、
物体が見え、色彩が見えているのだ。
それをありありと、意識させられる。
光がそこにあることを知らされる。


聖書でも冒頭に出てくる。
神が「光、あれ」と言わなければ
そこは暗闇のままだった。
神様の創造物であるこの世界の最初の創造物は「光」だった。
光はもともとあるものではなくて
他の創造物と同じように
神様の手によって奇跡的にそこにあるものだ、ということなんだろう。


聖書を書いた人が
最初に「光」を置いた、そのことは
とても印象的だ。
古代の人々は、暗闇の中に光が射し込み、辺りが見えるようになることを
一つの歴とした「出来事」として体験していたのだろう。



しばらく走って、蔵織さんに着いた。


相田さんは何か用事があったらしく
小林さんと私を置いて、さあっと行ってしまった。


私たちは、そこに残った。


この建物の中に入り、


私は、
今にして思えば、
・・・・・


たぶん、ちょっとオカシくなったのだ、と思う(爆



つづく。