石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

本屋さん

つづく、のつづきはまた近く書く予定。
あんなニュースを見ちゃったらどうしても先にこれを書かなくてはならなくなってしまった。

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新潟に、二度目くらいに行ったとき、
最初に気に入った「建物」の写真。


暗くてよく見えないけど、
本屋さんだ。




昭和の香りがじんじんするような古びた建物に、
しゃれたショウウィンドウがあって、
中に並んでいる本のタイトルを眺めて
久しぶりに、忘れていた感覚を味わった。


それは、
私が学生の頃まで
本屋さんで本の背表紙を眺めているとき
いつも感じていた温度みたいなものだ。
背表紙を眺め、タイトルを流し読みしていると
無性に文章が書きたくなるのだ。
トーリーとか文章の切れ端が心にうかびあがってきて
ここに紙とペンが欲しいなあ、という、
熱情みたいなものが湧いてくる、あの感じだった。


最近は本屋さんに行っても、
ついぞそんな気分を味わったことがない。
タイトルも帯も扇情的で、
想像の余地が無くなってしまったみたいな気がしていた。
書かれた言葉、つまり「テキスト」というものは、
独特の静けさを持っている。
本屋さんの書棚を眺めていると
その、声を発さない背表紙が
沈黙で出てきた意味と物語の森を作り出していて
その森に一歩一歩、包み込まれていく気がする、
あの充実した静かな興奮を、完全に忘れてしまっていたのだ。


この書店のショウウインドウは、
あの感覚を私の中によみがえらせた。
一目見た、その、ほんの一瞬で。

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この書店の場所は、
相田さんのポストカードに出会った、あの「古町通」の
ちょうど入り口に当たるので
土地勘の無かった私には格好のランドマークとなった。
万代橋から真っ直ぐ海の方に向かって、
この書店があったら、左。
私の頭の中の地図の、ここは「起点」となった。



で、今回の「出張」でも
確かめるようにこの本屋さんの前まで来て



看板をうちながめ




そのあと、信じられないものをみた。



閉店が決まったというのだ。
それも、この1月末で。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/local_economy/?1265011155



この毎日新聞社のURL、「ローカル・エコノミー」。
地域経済。
それはそうかもしれない。
ただそれだけのことかもしれない。
でも。


怒りでも悲しみでもない、
なにか茹ですぎた鶏の胸肉を奥歯でかみ切れないままもぐもぐやってるみたいな
そんなやるせない感じがいつまでも消えない。


これはローカル・エコノミーの問題かもしれない。
でも、ローカル・エコノミーの出来事ではなくて
もっと個人的な出来事でもあるだろう。
たぶん
もっと個人的な出来事であることのほうが
おおごとなんじゃないだろうか。


「ふるいものを残しましょう」
ということとか
文化財を大事にしましょう」
とか
そういうことじゃなくて、
なんかもっと、
なにかもっとちがうことが、あるような気がする。


私が言いたいのは、「残すべきだ」とかそういうことじゃない。


もちろん、ずっとあってくれればいいのに、とは思う。
でも、私がもっと強く感じたのは
そんな「抵抗」感ではなくて、
何か、べつのものだ。



この喪失感って一体何なんだろうとか
このことはいったいどうとらえればいいんだろうとか
そういう
「土地」ということを、ゼロから考えさせられる光景なのだ。


私は「土地」に根を持ったことがない。
家も場所も、子供の頃から転転としている。


なのに、
一週間前にあったこの書店がもうなくなってしまった、ということを聞いて
どうにも、心が動くのだ。



これはいったいどういうことなんだろう?と
私はまだ全然その答えが出ない。
全容がわからない。


人は生まれて死ぬし、
土地もどんどん変わる。
文化や習俗、名産品、地形から地名にいたるまで
あらゆるものがかわらないということがない。
どこでもそうだ。


人間が生まれてから死ぬまで
一つとして同じ細胞は残らないし
赤ん坊のとき、青年のとき、老人のとき、と
風貌も生活も完全に違ってしまうのに
そこに「自分だ」というアイデンティティが何らかの形で保たれるように
「土地」にもそういうものはあるのだろうか?
あるとすれば
それはなんなんだろうか?



それをしつこくこれから
考えるんだろう、とか
それを考えるために、もしかしたら
写真展をやるのかもしれない、とか


そんなことを今は、思っているだけなんだけど。