石井ゆかり@筋トレのブログです。
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マルジナリア

昨日、晩酌しながらゆっくり読み返していた小説の一節。


「人間というものは現に持っている面倒な問題には耐えられても、
 これからぶつかる問題には恐怖を感じるものなんだ。
 だから慣れた面倒ごとにすがりついて、
 新しい面倒ごとに入ってゆこうとしないんだ。
 そうさ、人間ってのは、生きてる人たちから逃げ出したいなんてよく口にする。
 だけども本当に人間に痛手を負わせるのは死んだ人たちなんだ。
 死んだ人たちってのは、一つ場所に静かに横たわっていて
 人間には手を出さないけど、
 それでも人間はやはりこの死んだ人たちからは逃げられないんだ」


この一節の前半は、容易に理解できた。
でも、後半がよくわからなかった。
今もよくわかっているとは思わない。
この話に出てくる人の幾人かは
死んだ人たちの記憶に縛られて、「そのまま」の自分であり続けようとする。
過去の中に住んでいて、外に出ない。
彼らは深い痛手を負っている。
逃げられずに、そこに居続ける。
そんな世界に、あたかも彗星のように、
凶兆を持った者と吉兆を宿した者が現れる。


生きているということは誰かを殺しているということだ。
自分の手が汚れていないように見えても
よく考えてみれば、嘱託に嘱託をかさねて、遠いどこかで
今日も自分のためにだれかが死んでいる。
死んだ人間としゃべることは出来ない。
だから謝ることも誤解を解くことも許してもらうことも不可能だ。
でもどうして人間は
他の人間にゆるしてもらったり誤解を解いてもらったりしなければ
居ても立ってもいられないのだろう?



引用部は、フォークナー「八月の光」。