石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!



読者の方から、送って頂いた。
(Mさんありがとうございます!)




          • -


相田さんの写真展
http://www.hanga-cobo.jp/eya/eya01.htm#907-2
今日の夕方五時まで!


思い切って
行ってきてしまった(爆




新潟の、歯のように密に並ぶ商店街に
かつて「LA DEFANCE」というお店があった。
画集やポスターや本やいろんなアートなものを扱っていた。
でも、少し前に突然、店主の方が亡くなられて
このお店も、無くなってしまった。


記憶を頼りに
お店があったあたりに行ってみたけれど
夜でもあり、
他のお店もシャッターが降りていて
どこだか、わからなかった。
街角の地図からも、そのお店の名前は消えていた。


そのお店は、
私が最初に写真家の相田さんの作品を見つけたところだった。
そこで相田さんの写真を使ったポストカードを見て、
どうしても一緒に本を作りたいと思い、
このお店宛にお手紙を出して
そこから
「星なしで、ラブレターを。」ができた。


でも
そのスタート地点になったあのお店はもう、ない。
どこにもない。
場所も解らない。



場所。



私が「場所がわからない」と言っているのは
単に
他のお店との相対位置というか、
今あるお店のどこの向いでどこの隣だったか
ということだ。


その周りのお店も
生まれては消えていく。
ごく近くのお店の前には、葬儀の案内が出ていた。
そこのお店の奥さんが亡くなったらしい。享年76歳。
もしその奥さんがお店を切り回していたのだとするなら
このお店も、時を置かず、なくなってしまうのだろう。


GPSを使ったりして緯度経度で特定できるようなポイントが
「場所」なのか。
どうも、おかしい。
地球そのものも公転し自転しプレートテクトニクスし、
いろいろな動きをしている。
太陽系そのものも
銀河系そのものも、
今この瞬間にもモノスゴイスピードで移動し続けている。
火山が噴火し
洪水が流れ
村がダムに沈んだり、テーマパークが更地になったりする。
軍艦島の廃墟。宇宙ステーション。



「場所」って
なんだろう。




考え始めたら
「場所」というものがつかみ所のない、
亡霊のようなものに思える。
単なる幻想であり、記憶であるようにおもえる。
お祭りの境内にある屋台、次の日はその場所は跡形もない。



たとえば
虹が出た場所は
あやふやだ。
だれも、その虹がどこに出たのかなんて
記憶し続けようとはしない。
虹は不意にでてきて
しばらくして、何事もなかったかのように、消えてしまう。


お店というひとつの「場所」は
「また来よう」
とおもえるほどに、確かな感触がある。
でもそれも
まるで虹のように
いつのまにかこんなふうに
消えてしまう。
「場所」という、いかにも確かそうな言葉が
意味を成さなくなる。



そういえば
相田さんの写真にはそういうものが映っている。
今そこにあるのは、
それは、「今だけ」なのだ。
瞬間的にそうなっているだけだ。
時間がどんどん経って
場所の様子はどんどん変わって
私たちは絶対にその場所に戻ることができない。
たとえ
同じ場所に戻ったように思えても
そこはもう
同じ場所ではない。


それなのに。
「この街」「この場所」というふうに
私たちはそこに
変わっているにもかかわらず何らかの「かわらないもの」を見いだそうとする。
私たちの細胞は生まれたときとはまるで違うものでできているのに
全取っ替えしてしまっているのに
あいかわらず私を私だと感じ、そう言う。
赤ん坊だった私と今の私に、形状もサイズもまったくおなじところはないのに
なのに
「私」だと感覚しつづけている。
10年ぶりに会うその人の肉体は
どこをとっても10年前と同じ物質でできてはいないうえ、
様子が変わり、関心事が変わり、
なのに
やっぱりどうしても
「その人」だ。




私たちも、建物も、街も、みんな、虹のようだ。







      • -



そういえば最近
虹的なものに悩まされていたりもする。



ハデに出てきてはなにごともなかったかのように消える、



じんましん!!!



どうしたんだろこれ(涙



最初は、
いやあ、ここ、昔大やけどしてね・・・
みたいなあまりの派手さにうろたえた。
ダニかなと思って盛大に掃除して駆除したりしたが
2,3時間で跡形もなく消えるので
なんか違うなと思い
じんましん
と判明。



こどもかよ!(びし



若干退行中。





まあ
ムヒ塗っておけば
いんだけどね(それほどは気にしていない。こういうことはへいき。



どこへ行くにもムヒを携行。(プチじゃない。本気。ボトル。