石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

七夕。

今年も、掲示板に立てて頂きました、(izumiさんありがとう!
短冊スレッド。
http://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=iyukari&dd=04&re=21325


七夕の願い事を書き込むスレッドです、是非どうぞ。
2004年から、有志の皆様に毎年立ててもらってます。




。。。。
今見たら、なぜか去年のがログになってない!(爆


管理人失格   orz



今年はちゃんと残します、がんばります!


みんなの願い事を読むのも、何かすごく面白いです。
おおーこんな願い事もあるのか、みたいな。
街角の笹の短冊を読むのも楽しいですね、そういや。


本日18時過ぎ、月食です。
見ることはできないのですが
こちらのサイトの「月食シミュレート」で、
http://koyomi8.com/
今日の月食の様子をアニメーションで見ることができます。


山羊座の満月、月食

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「毎日」というのは、
ほんとうにどんどん忘れられていってしまうのだ。
全然覚えていられない。
昨夜食べた夕食も思い出せない(それはなんか年のせいっていうか


記憶に残る時間というのは
生きてる時間全体の、何割くらいなんだろう、と思うと
気が遠くなる。
たぶん、ほんとにほんとに、ちょっぴりのような気がする。


流れてどんどん流れ去ってしまう時間に、
記念日とかお祝いとか、そういう「付箋」を貼る。
そうすれば
後になってその付箋をくって、ページをめくるように、思い出せる。
その人やその景色とともにあった時間を、
記憶の中からちゃんと取り出せるようにできる。


七夕や、月食なんかも
「あ、満月だね」
って言いながら一緒に過ごした時間を記憶するための
いい付箋になる。



誰かがいなくなってしまうと、
「どうしてその人はいなくなっちゃったんだろう?」
と思うけど
誰かが側にいるときには
「どうしてこの人は側にいるんだろう?」
とは
思わなかったりする。
そこになにかが「ある」ことは当たり前で
それが「ない」状態については、不思議で仕方がない。


でも
月食や満月、七夕や、虹が架かったり夕日が美しかったりする、
その「瞬間」を時間の中から抜き出して感じることができる日には
「ある」
ことの不思議さを意識することができるような気がする。


あれもこれも何もかも失って、
自分はなんて不幸なんだろう
何のために生まれてきたんだろう
という問いを
古今東西、星の数ほどの人間が
悲鳴を上げるようにして発し続けてきたけれど


自分が生きていたり
その大切な人が今生きていたりすることのほうが、実際
びっくりするほど不思議なことだ。


生まれたとき、なにも持たないで生まれてきていて、
そこからだんだん手に入れたものを
元通りに失ったところで
ほんとうは
何も不思議なことはないのかもしれない。
最後には何もかもなくす、つまり、自分が死ぬ。
手の中には何も残らない、どころか
その、掴むための手自体が消えてしまう。


その人がいまいない、ということより
その人が生きていて、関わりを持ってくれた、
ということのほうがたぶん
注目すべきことだったり
素晴らしく不思議なことだったりする。


今目の前にも
そういうふしぎさはある。
恋人やパートナーや子供や親、
それ以外にも
この音楽を聴けたり
このメールを読めたりする、
この花が咲いていたり、
この紅茶の空き缶がペンケースとしてずっと機能し続けている、
そのことがいちいち、実に、不思議なことだ。


それが「ない」ことより
「ある」ことや「あった」ことのほうがずっと不思議で
その不思議さを教えてくれるのが
日食や月食や、七夕や、梅雨の晴れ間や、元旦とかお盆とかなんだろう。


時間の中に、そういう名前付きの瞬間があるのは
今目の前にいろいろなものが「ある」ということの不思議さを気づくため、と
あとになってそのことを懐かしく思い出すため、なんじゃなかろうか。


多くの悩みや苦しみのなかで
人は過去をたぐり、
過去に原因や問題を探そうとするけど
本当の問題はそこにはない。
問題はいつも、現在と未来にしか存在しない。
過去の中には、なにもない。


今日は月食なので
私はそう思うことにする。


いつか明け方に見た大きな満月は、月食の翌朝だった、
その光景は、一生忘れないだろうなと思う。







付箋を貼る価値があるだけの時間を
今日、作るために、
今日は


・・・・





もうすごく仕事しよう!!! 
何年経っても忘れられないくらいすごくすごく仕事しよう!!! (←それしかおもいつかなかったらしい