石井ゆかり@筋トレのブログです。
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苦境に打ち克つ人はしばしばいるが
順境に打ち克てる人はなかなかいない


というような文章を、ある本で読んだ。





たぶん、
順境に打ち克った人というのは
苦境でもそれほど苦しいという気がしないのかもしれない

ふと思った。

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自分の現況をうちながむるに
これは苦境なのかな、順境なのかな
と考えると
なかなか難しい。
苦しくないと言えば嘘になるが
これより苦しかった時もいっぱいあったわけで
これまでのどの時点と比較するかで
苦境とも言えるし、順境とも思える。
あるいは、
他人の経験などと比べると
自分の経験なんかままごとみたいに思えることも多々、ある。


若いうちはあまり、苦境のストックがないので
壁にぶちあたるたびに
「ここまでの人生で最大の難路!」
「一番の落ち込み!」
とか、すぐ思うが
そういうのが積み重なっていってある程度在庫ができると
「あのときと比べれば、今はマシだ」
とか
「こういう場合はこういう手段で乗り切ろう」
とか
そういうふうに思うことができる。


順境や苦境というのはそんなふうに、相対的だ。
だから
どんな記憶とも比較しないでおいて常に
「今は苦境だ」
と思っていれば
打ち克とう、と思い続けられるだろう。


でも
もっといいのはきっと
いつも
「今はまったく順境だ、順境に打ち克つほうが大変なんだ、ここでふんばらないと」
と思ってることなのかもしれない。


苦しいことは簡単に記憶に残る。
楽しさや嬉しさは、意識しないとどうも、記憶に残らない気がする。
人にも寄るんだろうけど
私は、そうのようだ。
だから
「順境だ」
と思っているほうがいいのかもしれない。



人に非難されたり、侮辱されたり、陰口を言われたりすると、
心が激しく揺れる。
でも、たぶん、ほめられたりしたときも
心は揺れている。
浮き足立ってしまったり、何かが見えなくなったりする。
大事にされたり丁寧にされたりすると
いつかそれが当たり前みたいに思えて、
それがふいに無くなると、激しくうろたえたりする。
最初からそんなものがなかったなら、なんともおもわないのに。


揺れない心などないし、
心が揺れるからこそいろいろなことが起こるんだろうし
心が揺れることそれ自体は
いいことなんだ。
でも揺れた後に
その揺れのままで傾いて倒れてしまってはいけない。
柳の枝が風に吹かれて揺れていても
風がおさまればまた元の位置にちゃんと戻るように
なんかそういう
支柱みたいなものが必要なんだろう。
それがあれば
北風にも南風にも同じように「打ち克つ」ことができるんだろう。



自分のことだけ考えると
そんなふうに強くなりたくないよ、もういいよ、倒れちゃいたいな
と思うときもあるけど
誰かを守りたいとか
いい仕事をしたいとか
そういうふうに、意識が外に向かっているときは
限りなく強くなりたい

思ったりする。