石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

ピンチのときに。


こないだ
髭男爵の漫才の映像を見た。
普通に始まって
軽快に進んでいった。
ボケと突っ込みがたたみかけるようにスピードアップしていく、
そのさなか



あのワイングラスが、割れた。





樋口君の方。


思わず
うわー・・・・・
と声が出てしまった。


ネタではなく、完全にハプニングだった。
2人のうろたえ方で一目瞭然だった。
会場は騒然とし、笑いと悲鳴の入り交じった状態となり
舞台上の2人も、パニック気味に笑い
全く先が見えない状態となった。


しかし。


ひとしきり驚いたあとで
樋口君が、
手に持ったグラスを下に置こうと言った。


そうやな
とりあえず置こう


みたいになって


二人とも離れたところにグラスを置いた。



そして
ネタをどこまでやったのか確認しあい、
途中から、再開した。


グラスを合わせるところは
片手ハイタッチ。


で、ちゃんとネタをやり終えた。


素晴らしいミラクルな切り抜け方!
という感じじゃなかった。
機転が利くとか、状況を逆手にとるとかいう感じはなかった。
でも
全く先が見えなくなったとき、どうするか
という点で
観客の多くはスリルを感じ、
さらに、彼らの出した結論にあたたかく共感していたようだった。
なんかこう
人間的に「いいかんじ」だった。
一生懸命で、真面目で、必死だった。
朴訥だけど、情熱的で、真剣だった。


なんか
いいもの見たなと思った。


機転が利いてたわけじゃないし、
ハプニングを上手く使えてたわけでもない。
でも
そういう「芸のうまさ」以外のもっと別のことでも、
人の心は動くのだ。


だいたい、あの大ピンチにおちいっても
その「途中からやった」ネタは、
噛みも間違いもしなかった。
スゴイ速さでどんどんたたみかけていくんだから
相当複雑なコトしてるワケなのに
あんなに動揺してても、ちゃんと進むのだ。
そんなこと、ものすごく練って練習してないとできないはずで
その安定感とある種の重厚感にうならされた。


芸というのは、
その内容の面白さもさることながら、
それを覚えたり実演したりすることの難しさ
もまた
一つの魅力であり、人がそれを「見たい」と思う理由なんだと思う。
人は、異常なものや常軌を逸したものを見たがる。
ホールインワンとか、
片足のつま先だけで立って片足は上げているとか、
円周率を何百桁も唱えるとか、
そういう「できそうもないことが起こっている」という様子を見たがる。
漫才やコントなどの芸にはそういう面もある。
掛け合いとか、ある種のアクションとかには、
複雑さやスピードの上で、そう簡単にはマネできない「異常さ」がある。
見る側はそれを「芸」として、熟達ぶりを目にしたがるわけだ。



そういう、複雑で異常で、相当熟達しなければならない「技」をやる人は
真剣な状態になる。
真剣でなければできないような技でなければ
人がわざわざ「見たい」と思うほどの異常さは実現できない。
何かを真剣にやっているとき、
人は無防備になると思う。
なにかがむきだしになってしまう。
スポーツで体力の限界に挑戦中とか
痛みで苦しんでいるときとか
突然のトラブルに焦っているときとか、
絶対に逃げられない状況の時とか、
とにかく
「ふざけてる場合じゃない状態」の人間の姿は、
それをみている他人の気持ちを何となく動かしてしまう。
最初、ふざけ半分に始めたとしても
最終的に本人が、ふざけてる場合じゃなくなったとき、
それを見ている人は、なにかしら、
感応し、動揺したり涙したり笑ったりし、
その人をとても好きになるか、あるいは、とても嫌いになるんだと思う。
それは、好悪のいずれでも、
「無関心」の正反対で、
まさに、人の心が動いた結果だ。


ふざけてない、取り繕ってない、どこかに自分を隔離して守っていない人の姿は
見ている人間の気持ちを真剣にさせるんだろう。
多分、あの状況で他のことを考えられる観客はいなかっただろうと思うのだ。


どんなにすごい失敗をしても、それでも真剣にやってれば
なにかしら、生まれるのかも
と思えると
なんかちょっと安心したりする、のだった。


いやあ
いいものを見た。