石井ゆかり@筋トレのブログです。
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14th-AZさん chap.2

インタビューシリーズ、14人目のAZさん、第二章。

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AZさんの子供時代には、
あまり幸福な思い出はなかった。


父親はいわゆる「飲む・打つ・買う」、
いえ、買う、はどうかわからないですけど、
お酒とギャンブルが好きな人で、私にはとても厳しかったんです。
私は反発して、折り合いが悪く、
家の中はいつも暗い感じでした。
中学3年生の時、誕生日の前日で明日は15歳、という日に、
父とケンカしたんです。
そのときに、父の口から何かの拍子に、出てきたんです。
私は、父の実の子じゃなかったというのです。


それを言われた時の感じというのは
場景がコマ送りになると言うか、
ストップウォッチで刻まれるというか、
そんな感じでした。
ちょうどそのとき母が帰ってきて、
父は母に、本当のことをしゃべった、と言ったんです。
そうしたら母は
「何でこんな大事な時に!」
と、父に言いました。
高校受験を控えた大事なときなのに、なぜ今それを言うのか、
ということだったわけです。
それで、私は
あ、本当なんだ
と解りました。
心のどこかではまだ、父に言われただけでは
そんなはずはない、と思っていたんですね。
それが、母のその反応で、
ああ、本当だ、とわかってしまったわけです。


それでも、私はやっぱり
心のどこかで違うんじゃないかと思っていて
しばらくして、母に、
血液型は何型?
と聞きました。
すると母は、
ごめん、いままでウソをついてたの、
今までBだと言っていたけど、ほんとはOだった、
と答えました。
父は、O型でした。
これが最後通告、みたいな感じでした。
私はB型なので、O同士の両親からは生まれないですから。


それから、AZさんはいわば
「O型コンプレックス」
になってしまった。
O型の人に対して拒否感を感じたり、
信用できないと思うようになってしまったのだ。


夫はAO型で、私がBOだから、
娘がOで生まれる可能性もあったわけです。
でも、検査をしたら、B型でした。
娘は喜びました。
検査結果を聞いた後、女の子同士だから同じB型だねーって、
スキップしていました。


私は、実の父には会ったことがありません。
実の父の存在を知ったときには、父は既に他界した後でした。
身内は母しかいないんです。
親戚と言えば父の親族だけで、
その親族も私が継子だと解っていたんでしょうね、
仲間はずれにされた記憶があります。
母にO型だったと言われた瞬間、
それまで「何かあったら、私が血をわけてあげるね」と言っていた母が、
突然、自分からとても遠くなったような感じがしました。
ああ、これから私が怪我や病気になって血が足りなくなった時、
誰か他の人に助けてもらわないといけないんだ、と。(※)
大げさだけど、
自分の命は母だけじゃつなげていけないと悟ったというか、
覚悟したというか。
これからは他人との関わりの中で、生きて行くしかないんだなと思いました。


高校を卒業してから、
AZさんは新聞奨学生として上京して専門学校に進んだ。
高校での成績は良かったけれど、大学には行かなかった。
血も繋がっていない親の世話にはなれない、という理由で、
高校3年生のときは就職しようと思っていた。
でも、やっぱりどうしても諦めきれなくて進学した。
この選択をした時、
自分を生きる、ということを始めたような気がします、
とAZさんは言った。
貧乏で、とても苦労したけれど、必死で生きました。
倒れたこともあるし、それによって収入がなくなって、
役所の、福祉の貸し付けを受けたこともあります。
そういうとき、
誰も守ってくれないんだ、
自分は全く守られていないんだ、と
身にしみて思いました。
お母さんはいたけれど、あまり娘に関わろうとはしなかった。
働きすぎて体をこわして倒れた時も、
医者が何度も「きてください」と要請したのに、
なかなか来てくれなかった。
AZさんは、「ひとりぼっち」だった。


だから、結婚して生まれた私の娘は、
私の前に初めて現れた、
「血の繋がった身内」だったんです。
B型だ、と解った時、それを強く感じました。
私が娘に、同じでよかった、と言ったら、
何がいいの? と聞かれて、
「血を分けてあげられるんだよ」
とこたえました。
私と同じ血液型だと知って
喜んでスキップしていく娘の後ろ姿を見ていたとき、
突然、耳元で
「私は、ひとりぼっちの母ちゃんのためにきたんだよ」
という娘の声がハッキリ聞こえた気がしました。
いえ、きこえたんです、本当に。
こう話した時、AZさんの声が潤んだ。
私も、ずきんと胸が痛む気がした。
それまでのAZさんの「ひとりぼっち」の空虚さが
その空虚さの痛みが、伝わってくるような気がした。


そのあとしばらくして、
夫がちょっとした病気で、小さな手術をすることになったんです。
で、病気の検査をして、帰ってくると
「すごくショックなことがあって・・・O型だったんだよね」
と言うんです。


AZさんは、これを聞いて凍りついた。


母親にずっとAだと言われていたから、
完全にAと思ってた、と夫は言いました。
貴方がO型とわかってたら、結婚してなかった、とは
さすがに言えませんでした。
でもそうだったと思います。
このとき、私にとってO型というのは、
すごいコンプレックスなのだ、と改めて自覚しました。


でも思ったんです、
これは、神様から与えられたプレゼントなのかもしれない、と。
だってO型だと解ったからって離婚もできないし、
きっと、O型だとかB型だとかで傷ついていた自分を
そろそろ乗り越えなきゃ、っていうことかな、と思いました。
この話を、少しあとになって、
思い切って、夫にしました。
夫は、普通に、そうだったんだ、と聞いてくれました。


夫はお母さんの愛を存分に受け取って育っている人です。
夫の母親とは、接する機会がたくさんあるんですが、
血の話をすごくする人なんです。
親戚のあの人は○○さんに似てる、とか、
あの子供もよく似ている、とか。
そういう話をされると、
自分はそれを、父方にたどっていけないんだ
という気が強くします。
なんだか、自分がとても
ふわふわしているような気がするんです。
そのことは、時々、寂しいなと思います。


AZさんはこの話を、淡々と、よどみなく話した。
それを聞いているうちに、
「ルーツ」という言葉が、思い浮かんだ。
AZさんは、それをたどれないのが
ふわふわして、悲しい、と言う。
私は両親はともに実の親で、生きていて、
その上の階層も子供の頃、健在だったから
それがあるのが当たり前で育った。
だから、それがなくて悲しい、という思いに
初めて遭遇して、動揺した。
自分の生みの親が誰だか解らない、
というのは、一体どんな感じなんだろう、と
思いを巡らしてみた。


そういえば、大学時代の友人がそうだった。
彼も父親を知らない人だった。
お母さんが再婚しなかったので、父親が不在のまま育った。
誰も彼の父親のことを話さなかったので、
いまだに、彼は自分の父親を知らない。
彼がどんなふうにそのことを受け止めていたのか、
本当のところは、わからなかった。


私にとって、その友人の印象は、とてもハッキリしている。
彼はとても気が強く、良くも悪くもワガママで、
凝り性で個人主義的で、おだやかだけど、鋭い人だった。
私から見て、その友人のアウトラインは、
ふわふわしているどころではなく、とてもクッキリしている。
いわゆる「キャラが立っている」というやつだ。
でも。
人は、自分を外から見ることはできない。
自分を他人を見るように見ることができない。
だから、自分がどんな人間か、
ハッキリとは、意識することができない。
そういうとき、自分の「ルーツ」は
大きな意味を持つのかもしれない。
誰かに似ている、と言われて
そこに、自分の中にある何かを見いだす。
「自分」というもののイメージは
けっこうそんな「かけら」を合成してできているのかもしれない。


西欧で、精子バンクからの人工授精で生まれた人たちが、
自分の父親を知る権利を主張している
というニュースをちらりと見た。
彼らは、
精子を提供した男性と、親子の関係を結びたい」
と思っているのではないだろうと思うのだ。
自分がどこから来たのか。
自分は何でできているのか。
それを知りたい、確かめたい、という思いは
とりもなおさず
「自分を知りたい」というところから来ているのではないか。
絶対に見ることのできない自分の姿を
親という鏡に映して見てみたいのだ。
そこにはかならず鏡像のかけらがある。
遺伝子のかけらが、自分のなかにあるものの表現形がそこにあるのだ。


見えない場合は、見ることを渇望する。
では、見てしまった場合は。
これは、ケースによる、と言うしかない。
親を、尊敬する人物の筆頭にあげる人もいれば、
親が自分を産んだことを呪う人もいる。
親の中にある自分のかけらを無意識に憎む場合もあれば
親を愛することが自尊心の土台になる場合もあるだろう。


どんな社会にも、「世界創造」の神話がある。
どうやってこの世界ができて、
どうやって我々が生み出されたのか、
そのオオモトを語るストーリーが存在する。
それが存在するということは、
それを人々の心が求めた、ということだ。
自分がどこから来たのか、それを知りたい
というプリミティブな欲求がある。
この欲求はいったい、どういうことなのだろう。


ルーツの曖昧さへの空虚感を
心に悲しみとして抱きながらも、
AZさんは自分の娘に、
過去ではなく未来につながる「ルーツ」を見つけた。
これは妙な言い方だけれども、
たしかにそうだった。
「ひとりぼっちの母ちゃんのために、私が来た」
というこのことは、
AZさんとこの世界を
「血」という何よりも説得力に富むつながりでつなげる、
足がかりのようなものだった。
だけど同時に
彼女のパートナーはO型だった。
彼女は、それを受け入れよう、と考えることができた。


実はこの話を聞いているあいだ、
私はずっと迷っていた。
私は、O型なのだ。
それを言おうかどうしようか、迷い続けて
結局その場では、言わなかった。


ルーツというのはつながりだから、
過去から連綿と、一つの流れとしてとぎれずにある。
でも、からだは、
突然この世にあらわれて、
何十年かすると、
ほろびて、きえていく。
からだは、今、目の前にある。
どんなに古い家柄の人も、両親ともにわからない孤児も、
体は今、たしかに、見える形でここにある。
この儚い、だけれども厳然たる「実体」に、AZさんは掌で触れる。
今、目の前のこの人に、さわる。
どこからこようが、どこにいこうが、
その体は今ここに、目の前に、この瞬間に、
確かに「その人」として存在する。


誰もが普段は、
自分が親であることや主婦であることや会社員であることや、
その他諸々のことに追われて生きていると思うんです。
でも、私がトリートメントしている間は、
そういうものから守ってあげたい。
時間を止めたい。
私が触れている間だけは、
○○ちゃんのママとか、○○さんの奥さんとか、
そういうのをとっぱらって、
あなただけ、になる、
その人だけ、になる時間を提供したいと思うんです。
そう、AZさんは言った。


だれも頼れない、と思った日から、
彼女は自分の足だけで立つべく、
ラットホイールを走り続けるハムスターのように
止まらずに生きてきた。
働いて働いて、働くことを続けずにはいられなかった。
そんな「止まれない」思いを、
多くの人が感じているのだろう。
AZさんは、そのラットホイールからつかの間でも
人を、自分のてのひらで解放し、解放された状態を守りたい、
と思っているのだろう。


ごく最近、私は生まれて初めて
マッサージというものを受けてみた。
腰が痛むようになったので、試しに、と思ったのだ。
「台湾式」というもので、服の上から揉んだりほぐしたりする。
文字通り、頭の天辺からつま先までやってくれる。
私は相当凝っていたのか、肩も腰も、
台湾人と見られる体格の良い男性にエライ力でもみほぐされた。
張ってますねー、と半笑いで言われた。
指先がびりびりし、何かが流れ出したような気がして、熱を帯びた。


人が人に、こういうふうに触っていく、ということを
いったい誰が考え出したのだろう。
他人に自分の体を「お任せ」してしまうのだ。
誰かが自分の五体のあちこちを、
流れの滞ったところや凝り固まったところを探しながら
ほぐしていく。
自分がそのとき「からだ」そのものになってしまった、と思った。
自分が「からだ」で出来ていることを意識せざるを得ないのだ。
このからだが自分なんだ、と思った。
当たり前のことなのに、普段はこの体のことをすっかり忘れている。
忘れている、というか、
太った、痩せた、とかは思うのだが
そんなこと以外、たいして意識していないのだ。
でも、こうしてみると
自分はやっぱりいきもので、「からだ」でできていた。
腕や背中や首やアタマやこめかみやふくらはぎや、
そんなものでできている「からだ」が自分だった。


その「からだ」である自分に、
こうして関心を持って関わってもらうのは、気持ちが良かった。
誰かが温かい手で、悪意でも欲求でもなく
みしみしと自信たっぷりに触ってくる。
さわる、というより、支える、とか、掴む、とか
そういう、もっと強い感覚だった。
おそるおそるではなく確信を持って、
私の気持ちや関係性への配慮の一切ないところで、
からだとしての私にコミットする。
私は安心してそこで「からだの自分」になっている。
AZさんの言っていた「守る」ってこういう感じなのかなあ、とか、
施術されながら、ぼんやり思った。



AZさんの生い立ちや、社会に出てからの生き方には
壮絶、という言葉がオオゲサでないと思えるほど
すさまじい出来事が重なった。
この稿に書いたのは、その中のほんの一部でしかない。
苦境の中では、死にたい、と思うこともしばしばあった。
話を聞いていて、
なぜこの人は壊れてしまわなかったのだろう、
すねたりひがんだりして、たごまってしまわなかったのだろう、と
不思議になるくらい、それは険しい道のりだった。
だけれども、彼女は、最終的に、絶望しなかった。


それはなぜか、という問いに、
彼女は
「くやしいから生きてやる」と思った、
と言った。
彼女は、辛い時ほど
こんな思いばかりで終わってしまうのはくやしい、
と思ったのだ。
体をこわしたし、経済的にも破綻しかけたし、
裏切られ、絶望し、ギリギリのところまでいって、
でもどうにか踏ん張って、
今の自分がある。
我ながら、諦めないでよく頑張ってきたと思います、
と、AZさんは微笑んだ。
その微笑みは、
静かだけれど、明るくさわやかだった。


多分、AZさんのてのひらに守られている人はその時間、
すべての「ルーツ」からも守られているのかもしれない、と、
ふと、考えた。
人は人とのつながりで生きている。
「ルーツ」もその一種だ。
関係で生きている。
役割を果たすことで繋がれている絆がほとんどだ。
でも。
それ以外にある、自分固有の、確かにそこにあるものとは
いったいなんだろう。
それは見つめても見えないけれど、
目をそらすと見えてくる。


AZさんは、自分の道のりについて
「あきらめないでよく頑張ってきたと思います」
と言った。
その声には、静かな自信がこもっていた。
彼女は、折れ曲がりそうな圧力を
いろんな方向から受け続けてきたにもかかわらず
曲がりきってしまうことはなかったのだ、と思った。
金属がその展性と粘性で、
どんな形に変形させられてもその本質を変えないように、
彼女は悲しみや痛みに苛まれながらも
最終的には自らのなかにあるものまで
腐食させられることはなかったのだ。


それは一体、どうしてなんだろう、と思った。
それは一体、なんでなんだろう。
この、魔法で守られたようなできごとの不思議さを
あらためてこの稿を書きつつ、考えたとき、
やっぱり、何の答えも思いつかなかった。
彼女は徹底的に守られずに育った。
なのに、なにごとかが彼女を徹底的に守ったから、
いまこうして彼女が無事に、ここにいるのだ、と思えた。
私にはどうしてもそう思えた。
私の中でぼこっと空いたままになっている穴が、
彼女の中では埋まりつつあるように見える。
少なくとも、彼女は自分の手と他人の手を借りながら
それをまっすぐに埋めようとしているように見える。
それを埋めることは、彼女のためだけではなく
誰か彼女以外の人のため、というベクトルを持っている。
この「肯定する力」は、どこからくるのだろう。


誰も何もしてくれないのだ、とわかったとき、
AZさんが感じたのは、寂しさと心細さだった。
守って欲しいという気持ちだった。
おなじことに直面したとき、
私が感じたのは、怒りと遮断だった。
否、おそらく私もAZさんも
その思いを抱かされた瞬間は、
その思いを抱いたことに気づかなかったのだと思う。
密閉して、ひたすら生きるしかなかった。
子供はみんなそうじゃないかと思う。
少なくとも私はそうだった。
何年も後になってから、
自分の中に、その思いを「発見」した。
彼女は、自分に手の届かないものを肯定し続けられた。
だから「さびしい」と言えた。
私はそうじゃなかった。「そんなものいらない」だった。
この歴然たる差に、私は呆然とした。


彼女には、ある冷静さがある。
それは、関係を考える力、だ。
自分の思いに飲み込まれずに、
関係を考察する力が常に話の中に、感じられる。


歌手の八代亜紀さんが、
あるインタビューの中でこんなことを言っていた。
私の歌はみんな、捨てられた悲しい女の歌なんです。
だけどそこには、愛があるんです。
捨てられて悲しいんだけど、でも、
捨てた貴方も辛かったのよね、というのが愛です。
愛がなかったら、悲しい歌は歌えないんです。
たしかそんなふうに話していた。
AZさんの話を聞いていて
このエピソードをふと、おもいだした。



この項を書き終えて、
ライラックの、あの静けさとゆたかさを二つながら備えた姿が
AZさんの印象といよいよ重なって思えた。
それは花ではなくて、
涼しくて安心できる初夏のちいさな空間で、
いつもいい匂いがしている。
そういうイメージなのだった。

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一般に、O型から他の血液型への輸血は可能と言われていますが、
これに関して、以下をご参考まで。
http://www1.fukui-med.ac.jp/BLO/QA/QA-1.html#Q&A6