石井ゆかり@筋トレのブログです。
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夜明け前、静かな川。




七夕の時の日記に
「大切な人」
という言葉を使ったら
それについて、幾通かメールを頂いた。


そのとき、やっぱりこの言葉も
人によってだいぶ定義が違うんだなあ、と思えた。



私にとって「大切な人」は
片道の、一方通行の思いを意味している。
極端に言えば
相手が私を知らない場合でも、それが成立する。
その人に生きていて欲しいとか、元気でいて欲しいとか
喩え死んでしまっていても忘れたくないとか
そういう思いで思い浮かべられる人を意味する。


私にとって「大切な人」とは
解り合える人とか
絆で結ばれている人とか
そういう意味じゃない。
向こうがこっちをどう思ってるかは
大切かどうかとは一切全く関係ない。



だけど
そんな意味でこの言葉を使ってる人は
あまりいないのかもしれない

頂いた数通のメールを読んで、思った。



相手が私をどう思っているかなど
頭の中をあけてみることができない限り
わかりっこないのである。
相手の行動とか、態度とかによって
ある程度推し量って想定することはできても
究極には「わかる」ことはない。
だから、
そこは最終的には、結論を保留しておくしかない。
保留という名の断絶がそこにある。



でも、
自分のことなら、解る。
わかんないこともあるけど、でも、
少なくとも、人の気持ちよりは
自分の気持ちのほうがわかっている、はず、だとおもう。



ので
私が「大切な人」と言った場合でも、
その人は
私のことをそもそも知らないかもしれないし。
知っていても、私のことなどどうでもいいのかもしれないし
私を利用しているだけなのかもしれないし
私のことなんか思い出しもしないのかもしれないし
ひょっとすると私を軽蔑したりしている・・・可能性もないではないわけであるが
それでも
その人の言葉とか、存在そのもの、生き方全体から
私が勝手に受け取るものについて
私が勝手に素晴らしいと感動できるなら
その人は私にとって立派に「大切」と言える。


というのが
私の「大切な人」の定義なのだった。


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どうでもいいんだが
長年(15年くらい)愛用して修繕までして使っているコーヒーカップの取っ手が
さっきぼろっととれて
あー
と歎息していたら
たった今
これも、長年(多分7、8年)愛用しているキーボードのエンターキーがはずれた。



どっちも
今まで無事だったのがおかしいくらい丈夫だったわけだが


なんか
あれだなあ(どれだ









っていうかキーボード・・・・・



調達しなきゃ(いや、どっかにあったよな