石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

12th-SNさん chap.2


インタビュー企画、12人目、SNさん。
第一部
http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20080623/p1
に続く、これが第二部。




2年ほど前、私は、隔月の12星座占いを、
ネットプリントコンテンツ」というシステムを利用して販売していた。
これは、セブンイレブンに置いてあるコピー端末から、
お金を入れてプリント出力できるというシステムで、いわば
オンデマンドパブリッシングの一種だった。
紙に印刷した占いを、販売していたのだ。


これをスタートさせてからしばらくして、
私は1通のメールを受け取った。
これが、SNさんからの最初のメールだった。
その後、彼女は私に会いたいと言ってくれ、
さらに、四ッ谷のイベントにも参加してくれた。
その間、私たちはしばしば、長いメールのやりとりをした。


最初のメールの内容は、私に、決して忘れ得ない多くの、強い印象を伴っていた。
その内容は、
ネットプリントの隔月占いを、テキストデータで送ってほしい」
というものだったからだ。


紙で販売している情報は、基本的に、データで渡せない。
データはコピーや改竄が容易な上、流用もできてしまう。
私はこのころ、会社勤めを短時間のバイトに切り替えていて、
そういうことに少し神経質になっていた。
でも、彼女からのメールを読んで、
そんなつまらない心配が一瞬でふっとんだ。


彼女のメールにはこう書かれていた。


「名前:SN 光もわからない盲人です。」


一心に仕事に打ち込み、家庭を持ち、
多忙な日々を送っていたある夜、
寝床で目を閉じてしばらくして、SNさんは不思議な光景を見た。
ぱーんと大きな花火が上がって、キラキラと美しい火花がまいおちて、
その舞い落ちるかたちがスヌーピーのまるい鼻先のようで、
なんだかそれがとても可愛らしく思われて、
彼女は、うふふ、と微笑みながら、眠りに落ちた。


そして翌朝、
朝なのに、SNさんの朝は二度と明けなかった。
おもえば、あの花火のような光景が、
目の血管が破裂した状態だったんでしょう。
朝、娘と夫に起こされたのに真っ暗で、
夜中なのにふざけて私を騙してるんだわと思って、
なにふざけてるの、まだ真っ暗じゃないの、と言ったら、
何言ってるのママ、もう明るいよ、と言われてはっとしました。


SNさんは、若い頃から「若年性糖尿病」という厄介な持病を抱えていた。
糖尿病というと、
不摂生を重ねた人が大人になってからかかる生活習慣病
というイメージがあったが、そうではない人もいるのだ。
彼女の病気は症例としてめずらしかったそうで、
研究者からしばしばサンプルケースとしてお呼びがかかり、
いろいろ検査されたりするほどだった。
大人になってからも定期的に診察を受けていたが、
このままハードな生活を続けたら、いずれ失明するかもしれませんよ
とは、かねて医師から脅されていたことだった。
わかっていながら、日々走り続ける自分を止めることができなかった。
その結果、彼女は一切の光を感じることがなくなってしまった。


失明直後は、文字通りパニックにおちいった。
手術も受けたが、効果はなかった。
鬱に近い状態になり、家から一歩も出られなくなった。
更に追い打ちをかけたのが、突然ひろがった筋腫だった。
体中にしこりができて硬くなり、激痛が走った。
間接や腹部など、あらゆる場所に筋腫様の固まりができていた。
関節が曲がらなくなり、
服のファスナーを上げることも、髪をとかすこともできなくなった。


このお話を聞きながら
私は、体の上の方から下の方へどんどん、
血の気が引いていくような思いがしていた。
体が冷たくなって、手にじっとりと汗をかいた。
それは「お話」ではなくて、実際にこの人の身の上に起こったことだった。
私はこの人の家で、そのことが起こった場所で
そのことを聞いているのだった。
それは彼女の話だったけれど、
私にある日、似たようなことが起こらないとどうして言えるだろう。
もちろん、私は彼女ほどハードな働き方はしていないと思う。
でも、何が起こるか、ということは
本当に誰にも解らないのだ。
そしてそれは、誰にでも起こりうることなのだ。


私にもし、全く同じことが起こったら、
私は一体どう感じるのだろう、と心の中で自問し続けた。
想像しながら、
悲しみと怒りのないまぜのようなもので胸がいっぱいになった。
そこは道の行き止まりのように思えた。
多分、私は、間違いなく、死にたくなるだろう。
彼女も、そう言った。
死ぬことばかり考えていました、と。
この階から飛び降りれば確実に死ねる、
でも、そんなマンションに夫も娘も暮らせなくなってしまう。
薬、は買いに行くことが出来ないし、
ガスの元栓をひねっても、近所に迷惑がかかるかもしれない。
どうにもならない。
ナフタリンみたいに空気中にふわーっと消えてしまえるならいいのに
と思いました、と彼女は言った。


筋腫が広がる奇妙な病気は、九州から飛んできたお母さんの献身的な看病で、
3年の後に、快癒した。
でも、やはり目は見えないままだった。
最初は「いつか必ず見えるようになる」と思っていたが、
眼科医には「私たちにできることは、障害者一級の手帳を出すことだけです」と言明された。


このころ、彼女の娘さんは高校生だった。
母が失明してからは、ブラスバンドをやめ、家事や介助を担うようになった。
娘さんとご主人は細やかに彼女を気遣いながら、あたたかく彼女を守ろうとした。
そんな家族に対し、彼女は、無力感と申し訳なさでいっぱいになった。
しかし一方で、なにもできない、という怒りや焦りがこみ上げ、
2人に困らせるようなことを言ったり、当たってしまうことも少なくなかった。
そのことで更に、彼女自身が傷ついてしまうのだった。


かつての同僚や知人がかけてくる電話も、彼女には苦痛の種となった。
くり返し病状を聞かれ、生き甲斐を持ってがんばってね、と励まされるその言葉に、
「どうやったら生き甲斐を持てるって言うの?教えてよ!」
という叫びをぐっと飲み込みながら、「ありがとう」と言わなければならない。
受話器のところにテープレコーダーを置いて、
電話が来るたびに同じメッセージを再生したいという気持ちになりました、と彼女は笑った。


そんなある日、ご主人が、自宅近くにあるオフィスへの異動を希望した。
ご主人はそれを朗報として、SNさんに話した。
SNさんは、強く反対した。
それは彼の希望していたキャリアとは全く違う道筋だ。
このとき、SNさんは決意した。
私は、娘と夫の足を引っ張る存在になっている。
今の私にできる、夫と娘への恩返しは、私がいなくなることだけだ。
明日、2人が出かけたら…。


翌朝、彼女は普段通り、2人を家から送り出そうとした。
ご主人には、必ず異動の希望を撤回して欲しい、とお願いした。
部屋には時計の音が響き、ご主人と娘さんの動く気配がする。
その空気は、いつもとは違っていた。
SNさんは、自分では、冷静にいつも通りの態度を保っているつもりだった。
でも、2人は気づいていたのだ。
不意に、SNさんは抱きしめられるのを感じた。
ご主人だった。


SNさんは、必要とされていた。
ご主人と娘さんは、SNさんを必要としていた。
目が見えなくなり、何もできなくなってしまったSNさんを、
どうしても必要としていたのだった。
SNさんはかねて、自分さえいなければ、ご主人は新しい女性を迎えて幸せに暮らせるだろう、と思い、それを口にもしていた。
でも、ご主人にとって、妻となれるのはSNさんだけだった。
ご主人はそれを、SNさんを抱きしめて強く伝えた。
娘さんも同様だった。お母さんが必要なのだった。


私は必要とされているのだ、
私は生きていていいのだ、
と、SNさんはこのとき、思ったという。
心の中を硬く凍らせていた氷が溶けて、
家族の一員として生きていこう、という気持ちが湧いた。
そうSNさんは語った。


「必要とされる」。
このフレーズを、この「インタビュー」シリーズの中で、
私は、なんどかカギ括弧付きで書いてきた。
SNさんは明らかに必要とされたのだった。
必要としているのだ、と強く要請され、
彼女も、「必要とされているのだ」と、それを「知った」。
必要とされている、と思うことができたのだ。
そして、生きていていいのだ、と思うことができたのだ。
それはウソではない。
本当のことだ。
そこには両者の確かなコンセンサスがあって、
SNさんは、生きていていいのだと信じることができている。
過去の、別の方々へのインタビューの中にも何度も
そんなことが語られてきていた。
そこにいてもいいのだ、と
生きていていいのだ、と
必要とされているのだ、と
みんなが、どこかで、感じている。
そう理解していて、信じていて、それが揺るぎない「現実」となっている。


「必要とされる」。
このことに、私はカギ括弧をつけずにいられない。
そのことの真の意味が、私には、なぜか、解らないからだ。
一体それはどういうことなんだろう。
私はなぜ、ここで立ち止まってしまうのだろう。
どうして、どうしてもここから動けないんだろう。


必要とされる、ということはどういうことなのだろう、と
この疑問が心に浮かぶたびに、
私は、一つの光景を思い出す。
光景、というよりは、体験、と言った方がいいだろう。
それは、とある研究施設の中に作られた、1つの部屋だ。


その部屋の壁は、あらゆる音を吸収してしまうようにできている。
一切の音が反響しないのだ。
音が吸い込まれてしまう。
あらゆる雑音がここでは消え去る。
完全な無音状態になる。
かわりに、自分の体の中の音が聞こえてくるようになる。


そんな部屋の中で叫んでいるような気分になるのだ。
そこに一人で閉じこめられて、
その疑問を誰に向かうともなく、多分自分に向かってなのかもしれないが
それは一体どういうことなんだ、と際限もなく、
終わらない耳鳴りの中で駄々をこねるみたいに問い続けている感じがして
その徒労感に沈黙し、ただ、立ちすくんでしまうのだ。
この部屋の外に、必要とし、必要とされている人々がいる。
お互いにそれを信頼し合って、分かち合って生きている人々がいる。
そのつながりがあり、そのつながりの中に人々の生活が
いきいきとたえまなく生起している。
だが。
私はこの部屋の中から強硬に出ないのか、あるいは、出られないのか、
よくわからないのだがとりあえず、いまだこの部屋の中にいる。
この部屋の中にいて、虚空に向かって呆然と
一人、なぜなんだろう、それはなんなんだろう、と考えている。


SNさんは、必要とされていることを確信した。
家族はそれを彼女に伝えることに成功したのだ。
重ねてきた時間や幾多の関わりの体験のかなたに、その伝達は成功した。
SNさんは、生きていくことを選択した。

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この稿は、長くなりすぎたので
第三章  http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20080709/p2
に続く。